FC2ブログ

≫ EDIT

ゆれ動く透明なほほえみ

ラーマクリシュナは偉大だ

彼には根源なるブラフマンは

なかった

ゆれ動くオチャメのゆれだけがあった


そのゆれ動くものとは何か

それは1-1=0 0=1-1という数式

それに意識を集め

その数式になり切るのである

それは人間という形相から 逃れる事でもある


そして自らが自らを呼吸するとは

自らさえも消えるのであって

自らは何者でもなくなってしまうのだ


知情意でもなく 考えの湧く何者でもない

いわば暖かい世界を求める中にいない

では冷たい世界ということになるが

それは暖かいの反対の冷たいではない


有無の世界でなく中性の世界

即ち点の世界でもある

知情意によって求めつづけてきた自己が消えて

自らは人間でないものとなって

軽くなり おどり出して来るのである


結果的に来るべき何かを

待ちわびるのでもない

受け取るべきものもないのである

実りとか実現というものも

ないのである


そこで身が軽くなる

即ち羽毛だ

軽くなるのである 


それが暖かさを求めない透明な

中性的オチャメである

いわゆる冷たいオチャメともいえる


冷たいとは暖かさの中にいた人間模様を

おさらばした状態をいうのである

暖かいものを求め

暖かいものの中に住まう自己がなくなり

自らが消えた瞬間である 


踊りが始まる

冷たい自らがもつ躍動の舞の姿 

それが現われて来た

やっと 何ものかを求めていた自己から

解放されたのである


押さえられていた覆いがなくなり

自らそのもののおどり 躍動がやって来た


ゆれ動く1-1=0 0=1-1が

0そのものに帰ったのである

あるものそれ以上のものも それ以外のものも 

そこにはなかった


自らの冷たい熱情だけがあった 

他に何も関係のない自らである

慄然と立ち そこに揺れている者があった

慄然と一人ほほえむ

言語は消えて ゆれ動く自らだけがあった


一者はほほえむ

それは静かで

ラーマクリシュナのように

世界をつつんでいる


それは最高のものになった

透明なほほえみであり 

透明な静かさである


1-1=0 0=1-1

このブラフマンの数式の偉大さが

これをもたらした


2004.02.25.
スポンサーサイト

| 2004年 | 13:35 | TOP↑

≫ EDIT

自らを呼吸する大鳥

汝大鳥 

ブラフマンなる大鳥

彼の大鳥は 自分自らを呼吸する

ものなり


その大鳥の自分自らとは何か

自分そのものを言っているのか


否 その大鳥にとっては 自らなる自分とは

1なる自分ではなく

すべてを自らとする


宇宙に存在するすべてのものは

何であろうと

彼にとっては自らである


0であろうと 点であろうと

距離であろうと

彼には何ら区別はない


自らなる大鳥は

自らすべてを呼吸し

我が懐に入れて飛ぶ


それこそ大鳥そのものの

飛ぶ姿である


大鳥ブラフマンは飛ぶ

素朴とオチャメを両翼として

その翼の上下運動は

飛ぶ


素朴とオチャメの舞は飛ぶ

これ以上のものはあろうか


2004.02.16.

| 2004年 | 13:33 | TOP↑

≫ EDIT

ブラフマンの数式

酸素は酸素を呼吸して生きているという

啓示を以前受けた事がある

これは生きていることに重きを

おいているのではない


自らが自らを呼吸するという事は

その自らも呼吸によって

吸い込まれてしまうのである

即ち行為者さえ消えてしまうのだ


自らである行為者には関係がない

1-1=0となるように

自らである主体が消え

ただ呼吸という行為があるだけである 


気息という行為により

一者さえ消される 

1という数が消され 0だけ残る

そしてその0が

また息を吐き出すのである

すなわち 宇宙を再創造するのだ



そこには時間も空間のない世界

即ち形も相もない世界がある

形も消されるのである



ただあるものだけがあった 

それは呼吸である

1-1=0 0=1-1 

これがブラフマンの数式である


美感とか知情意は そこにはなかった

花を見ても美しいと思わなかった


彼はブラフマンの中にいた

それと廻転の秘密も分って来た

その中心軸はブラフマンであった

宇宙はブラフマンを中心軸として

廻るのである

それが即ち 呼吸である


2004.02.13.

| 2004年 | 13:32 | TOP↑

≫ EDIT

受けのない世界

受けのない世界 

この発見で すべてが終った

思考がとまった


受けのない世界こそ詩であり

神話である

この受けのない世界が オチャメと幻想力の

翼の上下運動を運ぶ

その上下運動こそが オチャメであり

幻想力である

かつ又 二つを合わせたものである


距離も点も すべて受けのない

世界であった

太古の人々はこの受けのない人々であった

故に詩人だったと言われるのである


受けのない世界がこの現世であり かつ

現世以前の世界であった


人はまちがって受けをもち

すべてをあやまちの中に

引き込んでしまった


私は受けのない そよ風そのもの

そよ風が私だ

人のほほをそっとなでて通る


受けのないもの そよ風が私だ

そこには思考がなかった


2004.02.06.

| 2004年 | 13:31 | TOP↑

≫ EDIT

真実なる斜めの言葉と行為

生きた言語とは 斜めの言語である

それで歌ったら 何故か涙があふれて来た

内面からの歓喜であった
 

知情意で涙を出したのではない

内面が喜んで 涙の滝となったものだった

DNAも本当の構造である斜めにする事が

本物のDNAたらしめる事であると分る


数式は斜めである
 
1-1=0 0=1-1は斜めである 

即ち中性子である

言語も行為も斜めにすること

斜めはオチャメであり 詩 神話である


宇宙はそれによって動き

ブラフマンも斜めそのものであり

この宇宙もそれ以外にはない


本当の言葉はどこからでてくるのか

それは頭からでなく 斜めという

幾何学の中から出されて来る


その言葉は 正しくおだやかなもの

そのものである

ピュアーとは おだやかというもの

それは オチャメと斜めと同じものであり

詩と神話と同じものだ


詩とは今日まで知情意 

即ち感性から出され 感じられて来るものであると

思われているが 

それらは詩歌であって 詩ではない


詩とはおだやか それを言うのである

「木が一本立っている」のもおだやかである 

それは詩であり神話である

それは数式であり 幾何学であり 

幾何学の斜めそのものである


細胞にそれを教えこめ

今日までのような人間であっては

ならない

人間は頭から口を通して

言葉が出てくる

だから今まで本当の言葉を

出した者は一人もいない


涙にくれながら しかもおだやかである

不可思議なるその感覚

歌の調子もそうなった 

真実な行為も

そこから生きたものとして

出てくるのだ


2004.03.23.

| 2004年 | 11:06 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT