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詩のつっ立ち

最後に残るもの 
それは 詩と神話という幻想の世界である
正しく彼らは ピュアーというものだ

幻想こそが命である
幻想の行為を 存立たらしめるものは
子が親の手伝いをするということにある
天の手伝いをする為に子があるのである

そこに欲や 個我から離れた子が存在する
欲望は個をつくり 妄想をつくる元となる

手伝いの中に歓びを見い出し
手伝いそのものを命とし
手伝いそのものを幻想の住み家とする

ここで幻想は 迷いの幻想でなく
歓びの幻想となる

幻想を 迷いの幻想としないためには
停めたところから それは来ねばならない
停めるところに 幻想の幻想たるいわれがある

幻想に止めがなければ
それは とりとめもないものになってしまう
ふわついた幻想であってはならないのである

この世で一番止めねばならないもの
それは幻想であり
止まり つっ立っているものが詩である

夕焼け空 その香り
天界の反映像

あれは 詩の香りである
樹は一本立っているように
詩のつっ立ちである

神や 神々や 女神やという名称を
そこでは越えている

名称のあるもの 人 動物
その他生命という名称も
取り除かれた世界
そこに詩がある

その止めるもの
その止めをどこにおくか
何がその止めをつくる役目をするのか
それが見つかれば 幻想が幻想たる意味と
価値が出て来るのである

扇を考えてみよ
その開かれた姿
それが幻想そのものであり
それが宇宙そのものの姿である

しかしその扇には要(かなめ)なくして
扇は開かない

宇宙は開かれ動いている
詩のつっ立ちが 宇宙の錦絵を開くのである

2005.12.26.
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| 2005年 | 00:05 | TOP↑

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反転のラッパを吹き鳴らせ

夕焼け空の女神
この姿は天界の物語の反映像である
幻想の王者 幻想の女神
夕焼けの女神の物語は 天界の物語である

その物語の反映像が夕焼け空である
その天界のお祭りの 
満足と歓びとその涙が
一粒 地上に降った
その歓びと涙の一粒がオチャメとなった

すると瞬間という一粒の時間が出来上った
それがオチャメの一粒の種である
そこから物が現われて来た

空間 力 光 エネルギー 運動その他
生物も現われた
月も太陽も星々も歌い始めた
天界の物語の継承者たちが踊る

星々は輝いて 永遠に歌う
地上も 天界の物語と同じようになった

ところが言語という
分別観念が発生した
その言語は 初めは光り輝いていた
しかしそれは 永くは続かなかった

人は相対の世界を造り
荒れ狂う世界歴史を展開した
それが今に至っているのである

人々はその荒れ狂う世界において 
全滅するより他に
道がないのであろうか

反転 反転 その反転を
もたらす者は誰か

神話 神話のラッパ吹きしかいない
人々よ その神話のラッパを吹け

天の使者よ 使者たちよ‼
集まるのだ‼

2005.12.24.

| 2005年 | 23:15 | TOP↑

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日本のドルガプジャへのメッセージ

今年は第30回のドルガプジャです。1973年に始めて日本の大阪の我々の本部でドルガ女神のお祭りをしたのです。それで、ドルガ女神は日本でもお祭りをしてもらえるので大変よろこばれました。

そして1975年、その2年後にはナーラーヤン先生がアメリカに行かれ、アメリカでもドルガのお祭りを始められた………といういうわけです。そして先生の写真やお弟子さんが写真をとると、そこに白光の光として、女神の魂が現われる………という不思議な事が起きています。

次はアメリカの先生から本年度贈られて来たメッセージを読み上げさせていただきますが、そこにも不思議な出来事が書かれてあります。
アンが6月のなかばに日本に帰った、その後の出来ごとです。

7月の或る日、いつものように七面鳥の群れ15羽位が庭に入って来ていました。
これは、これまでは畑に入っては困るので、時々は追うようにしていました。
むろん人間が近かづきますと、そそくさと逃げて移動し始めるのです。

ところがその日は、全然ちがった事が起きたのです。私がその七面鳥の群れに近寄ると、やはり逃げ始め、我々の屋敷内から外へ出て行きました……。

しかしふと眼の前に、一羽の七面鳥が下を向いて、餌をついばんでいるのです。私は何か錯覚が起きたのかと、呆然と見とれていました。(この一羽の七面鳥は眼がみえないのだ。だから私が1m程の所に立っていても、私が見れないのだ)と思い込んで、それを見ていました。眼を他にむけると、逃げた15匹近い七面鳥がどんどん遠くへ移動していっています。この一羽だけ逃げ遅れたのでした。

私はそれで、その逃げ遅れた1羽の七面鳥を少しあわれに思って見ていました。そして、やはり眼が見えないのだな……と思いながら見ていましたが、その1匹を可哀相に……と思っていたものが、そこにある少しの水溜りの水を飲み始めたのです。

そこで私はやっと、この鳥は眼が見えるのだ、と気付いたのです。よく考えたら眼が見えていないはずはないのです。それまで5分間程見ている間でも、ちゃんと餌をついばんでいるのですから、見えているのです。それなのになぜそれがわからなかったのでしょう。それは七面鳥は皆逃げるものと思いこんでいたからです。

私の足許にいるその七面鳥を私は見下ろしている、それなのに私に気にも留めず、私の身近かにいてくれたからでした。私はそのかわいい垢ぬけした子供の七面鳥のそばで、15分ぐらい一緒に時を過ごしていました。そしてやっと私の心に、次のような考えが湧いて来ました

仲間の他の鳥はどこかに行ってしまった。それをどうするのだろう。……皆の行った所が分らない、その哀れさが、その1羽の鳥に集められていたのです。

いつも七面鳥の群を見ると、追っていたのにこの鳥は逃げない。これは、神がこの1羽を私の前に現わしてくれたものだ……と思うと、それが光って見えるように
なりました。(七面鳥を追ってはいけないよ)と、言われているのだ……と思いました。そして 私自身を「哀れ」に思えるようになったのです。

「哀れ」なのは人間の方でした。何かあると、動物などの生き物を人間扱いしないのが人間です。そしてそれらを見下げ、我々は人間だ……これらは人間ではない……という差別をもって見ている人間。 それが「哀れ」になって来たのです。

神様がそういう事を教える為に、今日はその1羽の七面鳥をつくって、私の眼の前に置き、離れなかったのだ……。これからは七面鳥の群れが庭にやって来ても追わないことにする……と決心しました。

そして七面鳥こそ、ここの住人であって、そこへ我々人間様が入って来て、これは我々の土地だと言っているのです。これではいけない。心を改めて、この土地を彼らと共に共有しよう……という気になりました。

我々は七面鳥ばかりでなく、人でもそうです。善し悪しで眺めます。その、そう眺める者そのものが、自分そのものが「哀れ」な者であるのだ、と自分に言い聞かせました。

善し悪しはないのだ。全て、この地球上にいる共有者だ。自分から他を見るのでなく、同じ位置にいるべきだ。自分と他を分けているから、良し悪しが出て来るのだ。「哀れ」なのは人間であり、自分なのだと反省しました。

このようにして、人間以外の生き物をも大切に扱い、地球上に同じく生き、住んでいるという共同体生活という心のかまえが出来てきたのです。すると七面鳥の群が庭に来ても我々が5mぐらいの所に来ても、逃げずに安心しきって餌をついばむようになりました。

こうして7月8月9月はすぎ10月4日となりました。
……ちょうどドルガ・プジャが9日から始まるので、その準備を少しずつ始めようとしている時でした。10月4日の朝食時に、いつものように七面鳥の13羽の群が庭の大きい池に来て、一列に並んで水を飲んでいました。

朝食をとりながら我々5人(私 メアリ マヤ アラン フランク)が眺めて、七面鳥が水を飲んでいる……と言いながら、あれが白鳥のように白いのがいたら良いのになあ……と口々に言うし、七面鳥が黒いまだらな羽なので、ある者は「黒くて汚いし、格好がハゲタカみたいで気持ち悪い、白かったらねぇ……」などと七面鳥があまり格好のいい鳥でないので白鳥のようようなのがいたら、どんなにか庭と池に良い風景をそえてくれるのに……と思った事を口々に言ったのです。

そして一夜は開けました。そしたら翌朝食事の時に、またいつものように13羽の黒い七面鳥の中に、白い七面鳥が3羽混じっているのが見つかりました。私たちは自分の眼を疑いました!!まさに天から降って湧いたものとしか思えません。

私は始め、あの3羽は一夜の内に真白になったのだと思いました。そうでないとそんな白い七面鳥などあるはずはないからです。かつて今まで20年間ここにいて、
白い七面鳥など見たことがなかったからだし、常識的に考えても居ようはずはない。

まして、昨朝言ったばっかりだった……それがちゃんと、現れて来たのです。……こんなびっくりした事はありません。ムカデ成仏もびっくりしましたが、それは私以外に誰も見た事がなく、その驚きを間近に直接に味わうことが出来ませんでした。

しかしこの七面鳥の件は、皆んなで口々に白い七面鳥が来たらどんなに良いか知れない……と空想し、夢をそこにぶち上げたからです。それが見事に……思いもせぬ事が現実化したのですから、みんなの驚きと喜びは言いようもありませんでした。

魔法の小箱から小鳩が取り出されたように、白い七面鳥が3羽も13匹の黒い鳥の中に混じって、同じように水を飲み、庭をうろつき半時間ほど餌をあさっていました。私たちはこれこそビデオカメラにおさめねば……と嬉しい気持ちを抑えながら撮影しました。こんな事はこれきりで、もう二度と見れないかもしれない思ったからです。

そしてその翌朝も、又その翌日も待ちましたが、思ったように二度と現われて来てくれませんでした。10月9日にドルガ・プジャが始りました。私たちの心の内には今日はドルガの祭だから、ひょっとしたらドルガがまた白い七面鳥を遣わしてくれるかも……と思っていたのです。

しかしもう夢を見終わったようなはかない気分が湧いてきました。七面鳥が現われて来なかったからです。せめてビデオカメラにおさめた事だけが後にまで救いになる現実なのだと、淋しい心を慰めていました。

私はこの出来事で、今書いている本の最後の所をどんな風にしてまとめようかとしていましたが、この白い魔法の鳥の出現の出来事をその最後の文に見事にまとめる事が出来ました。

それは神は魔法使いであるという内容です。「幻想 一体感の世界」というまとまった内容が書けたのです。即ち我々の世界は時々刻々に景色が変化していっています。夜の星空もそうです。我々の生命も時々刻々に変化して、終いに姿を消します。

するとこの「ある」という実在は、刻々の幻なのです。直ぐ消え変化する……もう最前のものは消されて幻となっているのです。
それをこの七面鳥が消えた事から学びました。そして神は魔法使いであるという結論でした。

現実……というものはないのです。幻の連続という幻想の世界です。それからというもの景色を見ても、全て神の魔法である。幻に見えて来て、それを見ている自分もその幻の一員であると感じるようになりました。

それで「幻想一元論」というものが生まれたのです。「幻想一元論」即ち全ては幻なのです。それを人は幻と分からず、現実というものがあるように錯覚しているだけなのです。

時間というゆっくりした流れの中に身をおいているから、幻が分らないのです。映像でもスピードを落として撮ると、花が急につぼみから開花するのを見たことがあるでしょう。それは魔法のように感じるのです。急にすごいスピードで花が開く……それを我々はゆっくりした時間で見ているから、魔法のような雰囲気が感じとれないのです。この世はすべて幻なのだと白鳥の消えた事で教えられました

皆さんへ!!
こうして第二日目のドルガプジャの朝です。白鳥の七面鳥が又一群に混じって現われたのです。この時の喜びは天にも昇るようでした。これらの映像をいつか日本に送りますので見て下さい。

| 講話など | 22:39 | TOP↑

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涙はあなたと共に ④

涙が香りに帰って行きました
黄金の香りの波動に
帰って行きました

宇宙は幸せの開花です
香りと香りが 散り咲いている夢の世界です
幻想そのものです

宇宙とはこれです
無限はこの幻想の中にあります
踊りそのものです

幻想の踊りの中で
幸せと涙が交叉して 飛び散ります

私はあなたと共にいたいのです
あなたと共に踊りましょうといって
踊りながら泣いてください
それがあなたの本当の姿です

そういう形相が出来る事が
神話性の実現です

知の世界から 合理の世界から
早く抜け出て下さい
我々の仲間となって 共に泣いて踊りましょう

魂の古里は
ここにあったのです

2007.07.10.

| 2007年 | 10:00 | TOP↑

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涙はあなたと共に ③

あなたが私の中にいます
私はあなたと遊び たわむれる時間が
私のいのちです
二人で踊りましょう
これ以上のものがどこにあるでしょうか

泣けます
泣けて 泣けてたまりません
私を一元の世界に入れないで下さい
私はいつまでもあなたと二人で 一緒に居たいのです
踊っていたいのです

二元の歓び
あなたが私の中にいつもいます 
その歓び

黄金の香りはこの踊りです
わたしを離さないで下さい
夜になったら 星空を動かす手伝いをしますから

私が あなたが 
道ばたの石ころ一つにしても 存在しているのです

石はただの石だと人は思っているが
その石でも 涙にむせんで泣いているのです
花一つにしても 泣いているのです
それが分るようになって下さい

彼らはいつも「あなた」と共にいます
「あなた」とは 宇宙の母の事です

泣いて下さい 
泣けるようになって下さい
涙が宇宙のふところです

真理の輝きは 涙となって現われます
涙のない所に 何の真理もありません
そしてその中で 涙の中で踊るのです
これ以上の真実が どこにもありません

私を泣かせて下さい
その涙の大洪水の中で………踊りましょう
あなたと共に

それ以外のものは 全て無価値であり間違った道です
「道」とは泣く事です
泣ける事です
涙に到達する事です

武術も武道も 華道も茶道も
泣く人を 泣ける人をつくる道です
それも「あなた」と共にいつも居る
その事以外を 求める事のない人になる事です

涙こそ 涙こそ 泣けて泣けてたまらぬ
自分になる事が 人生の存在の意義であり
そうなる事の為に それ以外のものはないのです

「道」とは全て 泣く為の道です
涙はこの世の最高のものです

泣く事を見付けるのが宗教です
また 泣く事そのものが宗教です

涙があなたを育ててくれます

2007.07.09.

| 2007年 | 09:43 | TOP↑

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