FC2ブログ

≫ EDIT

神話に帰る

宇宙はどこから起きたのか、宇宙の創造はどうなっているのか、それを科学者はしきりに突き止めようとしてきました。

しかし、宇宙は謎に満ちており、その謎にぶつかるだけでした。最近の科学者はそのことを「人間はプリズナーになっている」、 即ち宇宙の謎を解こうとして、そのとりこになっている。牢屋に入れられた囚人のような者だ……といっております。

むろん宇宙の奥は、合理的に答えが返ってくるようなものでなく、音楽的、芸術的、神話的にその答えが返って来るものだ――と科学者も数学者も十分に承知しております。

このことに関しては今始まったことでなく、帰郷を見事に歌い上げた詩人ヘルダーリンと、その学友だったシェリングは、共にギリシャ神話の研究を通して、神話の深淵に迫ろうと熱烈に欲していました。

そして『新しい神話』という抗議の中で、「古代に帰り、合理でなく非合理の神話を実現せねばならない」、「自然と一体になって、神話性に満ちた芸術的な柔らかい社会を創ること、国家が社会を動かすのでなく、芸術的な社会が国家を動かす」という民主主義を造ることを述べています。

現代、ヨーロッパにおいては、あれほど昔から戦争し合った国々が、手を握って一つの社会を創ろうとして必死になっています。これは神話芸術の一つのの立派な現れです。一つになること、結ばれることが神話の一面なのです。国があっても、人の行き来を自由にすると、経済が動き失業者も減ります。神話とはこのように開きの系(開きの角度)を持って、全てを統一と平和に導くものです。

アメリカ大陸にも、アジア大陸にもそれを唱える政治家が、近い将来に現れてくるでしょう。早ければ早いほど、国と国の間にある不信感が減り、産業と経済が動き、健全な社会が出来上がってきます。今まで持ってきた、かたくなな宗教的・国家的理念を捨てて、未来を創る神話のやわらかい心に帰るべきです。

輝かしい秩序ある社会、生きてある社会は、この生きてある神話性から出来てきます。神話性をはぶいては、一足飛びに実現を考えるのと同じです。心と社会の間を神話性でつながなくてはなりません。合理はぶつかりの社会を造るだけです。非合理こそ平和の母です。

さて……ここでもう一度同じようなことですが、大切なことなので申し上げておきます。今日までの宗教及び哲学において、自己実現ということが大切だとか,帰郷ということを教えられてきました。しかしそれがためには、この神話という通路を通らないと、実現も帰郷も本当に生きて来ない、という事を頭にたたきこんでもらいたいのです。 むろんそれなくしては、社会の建設も不発に終わってしまいます。 神話こそ輝ける秩序の母です。
スポンサーサイト



| エッセイ | 14:32 | TOP↑

≫ EDIT

神話からの贈り物

人間は根源から現れた
神話の贈り物である

透明な角度をもった
透明そのもの
罪人でもなければ
罪悪にみちた悪人でもない

贈り物そのもの
贈られてきたものそのもの
透明にそれは輝いている

心に非合理を持っていないと
ついつい堅い考えや
他人を裁く考えや
不安が起きてくる

コスモス コスモス 輝ける秩序 神話への信仰
人は知的合理を振り回すばかりでは
進化した人とはいえない

神話学は新しい世界秩序の建設者である
大地の子等はこの輝かしき神話の
透明な懐に帰り 憩わねばならない

| エッセイ | 14:30 | TOP↑

≫ EDIT

祭が永遠となるのは

本当の実りというものは何なのか
いくらうまいのを食べても 感謝しなかったら
栄養にはなっても 魂の栄養にならない

たとえ貧乏であっても 毎日ありがたいなあと
感謝している人にこそ それは実る
表情まで実った顔に ふくよかな顔になる

生きていることを直視すると
そこに喜びが湧いて来る
今のこの時を喜び その喜びをもって生きることこそ
まともな人間といえる

喜んだ時 出て来るのが踊りである
その感謝の踊りが祭りとなる
今日一日を生きた喜びをもって 人生を幸せと感じる
自然に喜びが祭りを導く
この祭りと踊りなくして 人生は生きるに値しない

ドドドン ドドドン ドンドン
感謝そのものが飛び出して来た
音が生きものとなって飛び出して来た
それを実感して唱える

ドドドン ドドドン ドンドン
そのものに成りきったものの響き
生きた音が飛び出して 共に踊っている生き物
本当そのもの

生きている響きと それを唱える成りきったもの
その時 祭は永遠となる

2009.10.10.

| エッセイ | 10:33 | TOP↑

≫ EDIT

老子は踊る

神の世界から来た我々は 踊らなければ
自分の本性を発揮できない
自然に踊れる人間に変らねばならない

魂は 神は踊りを本体としている
神は踊りである 踊りは神である

これを忘れては 本性なる自分から離れてしまう
実現から遠くなってしまう
知的な頭は 踊りの輪に入っていかない

中国の老子は自然を説いた
孔子は国々を渡り歩き 知的な教えを説き 
自らを受け入れてくれる諸侯を探し求め 
利賢く生きた人物であった

我々は知的な孔子でなく
自然に重きを置いた老子に帰らねばならない
 
自然とは神を指し 自然とは踊りを指す
自然とは踊りそのものをいうのである
踊りそのものを神話という

神話の人とは 踊りを本体とする人のことである
我々は神話の人である

踊ることを本体とする 踊りを仕事とする
それが我々の本当の姿である
知的なものから脱皮せよ
孔子から老子に帰れ
自然は踊っている 老子も踊っている

2009.08.15.

| エッセイ | 00:19 | TOP↑

≫ EDIT

進行形を止めよ

時間の中で生きる事は 進行形の中で生きる事である
進行形を止めよ
進行形は自分自身に強制をかけてしまう
どこかで自己を痛め 縮めてしまうものとなる

花は自由に咲いている
自由でなければならない
そのゆとりが 自信が自己を温める

何ものにも気をとられない
何かに気をとられると 
自己の中のナチュラルなものが止まってしまう

王者になれ 創造の王座に座るのだ
それは自己に温かみを与える
自己本来のものが出て来る

王座に座るということは
自分自身に帰るという事であり
そこで自己が消える

自分が自分に帰るということは
自分自身がなくなる事なのだ
それが自分自身の確立となる

進行形を止めよ ingを止めよ
王座に座れ
その時ingが止まる
時間が止まり 消える
自己が止まり 消える
なろうとすることもなくなる

2008.11.06.

| エッセイ | 22:49 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT