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すべては礼拝から

礼拝の時の鐘の音 鈴の音 

その幾何学的な波動

角度と線の交錯 透明な神

いたるところにかくれている

透明な神


神は礼拝することによって

つくられてくる

神が尊いから拝むのではなく

人間に神性があるから拝むのでなく

そんなことに何も関係なく

ただ礼拝する


透明 透明という角度はどこから

現われてくるのか

それは礼拝することによって 現われてくる


現象世界での様々な問題

そこでそれらを解決しようとしても

うまくいかない

その時 心の中で「礼拝」とつぶやく 


礼拝に焦点をあてたら 即座に

始まりの世界へ

ブラフマンと現象界の橋渡しのところへ

もどっていく


人間の感情の世界から瞬間的に

意識は根源へ帰郷し

時間の噴出口そのものとなる


噴出口は創るもの おどりそのもの

躍動そのもの

自己が時間をつくるもの

そのものとして立つのである


時間そのものとして 自分たちは在る

常に創るものとして在る

現象界に在ると誤解してはならない

つねに噴出口に 創るものとして

在ることを忘れるな


そのすべては

礼拝によって導かれるのである


1998.03.21.
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| 1998年 | 23:52 | TOP↑

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生命をつき動かすもの

自分の現状がどうであれ

それは

二義的なもの

それは単なる過程 行き過ごさせてしまえ

流れにすぎないのだから


原因があって結果しているだけのこと

それら原因も結果も

実は単なる 思い込みにすぎない

実態はないのだ


それより根底に在る祈り

本当の祈りになること

それのみを思いつづけよう

あらゆる人を あらゆるものを 

あらゆる瞬間を祈りつづけよう


燃える祈り 

一元への燃える祈り

燃えて祈る

一元へ燃えて祈る

ただ一元を激しく思い燃えること


すべては相対のない一元からできている

だから在るということは 形は 現われは

その一元への思い 

それへの思いが凝ったものにすぎない


一元への激しい思いが

生命の本質かも知れない

それが根底から命なるものを

つき動かしめるのだ


1998.03.20.

| 1998年 | 23:50 | TOP↑

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本当の祈りを

祈り それしかない

祈り すべての根底にあるもの

祈りから形のもとができた


そのただ中にあって

自分にできることは何か 

それは たえず祈ること

祈りの連続の中に居ることである


一瞬一瞬を 一刻一刻を すべてを

今を 今のすべてを

ただ 祈ること


祈り そうだ 祈りだ 

祈りがすべて

祈りは相対が消えたところにある

相対を超えたところにある


手を合わす行為は

相手と自己の境を消してしまう


言葉を切って祈りとなろう

言葉はさまざまなかたちで

自己弁明に努める

自己の存在をなんとか主張し

意味あるものにしようとする


言葉 言語の作用は 相対構図を

強め固定化し

消すべき自己を強化してしまうのだ


言葉を切り 言葉の持つ現実的可能性を

放ること


言葉を切った本当の祈りの中から

オチャメがとび出してくる 

羽毛がとび出してくる

ほほえみがとび出してくる


どうしたら本当の祈りになれるか

それだけを

つねに心に止めておこう


すべての根底に在る祈り それを

思いつづけること

そこから決して それてはならない


1998.03.19.

| 1998年 | 23:45 | TOP↑

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平和を実現するために

人類は何千年間もこの地球上に

生きている

しかし平和な社会が 

未だ実現されていない


それは一番大切な教えを

人類が未だに持てていないせいでもある


その一番大切な教えとは何か

ラーマクリシュナの言った言葉

人々に奉仕することは 神への奉仕と同じだ

という一言である


これさえ持てれば良いのだ

これがすべての土台であり 一番シンプルなものである

なんの特別な修養も

哲学思想もいらないのだ


このシンプルな教えがあったら 

たくさんの教えはいらない

かえって迷いの原因とさえなるであろう


奉仕をしたいという気持ちでいたら 

悪い人というのはいなくなる 

どんな人も厭わなくなる


これが自分たちが生きていくための

ベーシックにあるべきものだ

ラーマクリシュナの一言を

実践してほしい


1995.05.28.

| 1995年 | 00:27 | TOP↑

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ニーチェより学ぶ

善いことをせよ

聖者のような人間になれ 愛情深い人間になれ 

この教えは間違っている


これは弱い人間に与える教え

弱い人間に必要な教えでしかない 

それをニーチェは偽善であると言った


彼は善と悪の問題を考えた

それは無価値だと結論づけた 

人間生活の中で人が頼りとする価値を

全部とってしまった


ニーチェは善悪を超越した存在

人を超えた存在「超人」というものを

指し示したが

最終的なものをつかめず 彼は狂ってしまった


善悪を区別する考えを合理主義という

仏陀の教えも合理 キリストの教えも合理

あらゆる聖者や哲学者のいったことは

合理主義でうずまっている


合理を超えるものは何か

それは非合理である

超非合理なるものである


白紙の舞い降りるさま

羽毛の風に漂うさま

ここにその超非合理がある


物が動く 物が落ちる 物がそこにある

その元にこれがある

あらゆるものの元にこの構図がある

これが宇宙の元の構図である


リンゴに羽をはやしてみよ

そして白紙の舞の軌跡をつくって

羽のはえたリンゴをその軌跡に

置いてみよ


リンゴが超非合理の神話の舞を

そこに展開しているのが

見えないか


非合理が 超非合理が

宇宙の全ての存在を

舞い踊らせるのだ

そこに善悪はないのである


1999.02.15.

| 1999年 | 09:48 | TOP↑

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