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「有る」から「在る」へ転換せよ

ここに生きている魚が有る
あちらに絵に描いた魚が有る
同じ魚だが この二つをどちらが大切かと尋ねると
人は生きた魚が大切だと答える

これは生きた魚にしか価値を見ていないからである
人は世俗の価値にしか反応ない人間になっている

生きている魚と絵の魚の違いは表面的な
ものにすぎない
魚で在るということにおいて
全く同じ価値が在るのである
魚は魚として同じなのである

しかし人は 動くか動かないかの表面的な現れを
問題視してしまう
これは「有る」の世界観で生きている証拠である

魚は魚であり
「在る」ということの価値は同等である
宇宙の見方を「有る」から「在る」へ転換せよ
これが出来ると宇宙の奥深くに
参入することが出来るようになる

真実の価値は「存在がある」ということにかかっている
だから生きた魚が在るということと
絵の魚が在るということは同じなのである
芸術はここから誕生するのだ

有るという事はつまり
その大元において「在る」のだ
ここに生死を越えた躍動する生命がある
これを存在生命という

この存在生命という世界へ入っていったら
生きていようが 二次元のものであろうが
三次元であろうか関係がない
命の有る無しを超越する世界である
ここでは「有る」と「無い」を同時に扱えるのだ

有るということがある 
これが「在る」という生命をもっている
無いということがある
これが「無い」という生命をもっている

有るということも 無いということも同じだ
生きている人間も 絵の人間も同じだ
たとえ人が宇宙に散り消えて 無くなっても
無くなったというものが在る
そこに永遠の響がこだまする
人は消えてこそ 永遠をつかむのだ

価値の中に生きているから恨み 憎しみ 楽しみ
喜びも生れてくる
価値の産物を越えよ
そこに魂の絶対なる安住の世界が「在る」

1999.06.13.
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| 1999年 | 11:04 | TOP↑

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病気治しと成仏の秘訣

人にはいろんな病気がある
その病気の原因に2種類在る
悪い物を食べて病気になった
これは科学的にはっきりしているので 医者に行ったらよい
病院に行ってもなおらないものがある
その原因は霊的なものである

知り合いの者がが恨んでいる または死んだものがひっついている
死んだ魂がちゃんと行くべき所へ行っていない
自分たちの先祖が死んだ人にうらまれている時も
生きている人がうまくいかない場合がある

40年前からの会員の医者が自分のところへ来ている一人の
患者を私の所へよこした
その患者は7年間医者に通っているが治らなかった
その病気で苦しんでいる患者が 私のところへきて三日もしない内に
良くなった

それら霊的原因の病気は薬で治らない 
この場合もやはり死んでいる人が その人にひっついていた
このひっついている人を成仏させれば病気は治る
そういうような意味で霊的な治癒というのは有り得る

しかしもし人が身体の調子がおかしくなった
疲れやすい 身体が重い あくびが続く 
だるさにおそわれるなどの症状がある時
霊的なものが作用している可能性が考えられる

その霊的なものを自分で落とす方法がある
これは誰も疑うような方法である
しかしこれは非常に霊力の高かった私の先生が
神様から直接教えてもらった方法である

それは自分の側で部屋を閉め切り
線香を12本焚くのである
特別なものでなく 空き缶に灰を入れて焚いてもよい

これを焚くと部屋中が煙になるが
線香が燃え尽きたら窓を開けて 煙を外に出すのである
すると煙と一緒に悪いスピリットもどこかへ行ってしまう

この方法の利点は自分自身で実践できることだ
特別な人に頼まなくともよいし
いつまでも拝まなくてもよいのである

宗教というのは人に死んだ人の事を拝みなさい
朝も昼も夜も年中拝みなさいというようなことを
要求するものさえあるのだ
宗教というのはそんな事をいって人をおどかして
人を集めている

また霊的なものに直接投げかけてやる言葉がある
それがその魂を鎮める方法になるのである
これは霊示により仏陀から教えて頂いたものだ

私がその言葉を仏陀に教えてもらった時の話をする
私が瞑想して人間の魂はどうなるべきかを仏陀に質問した
その時 仏陀の初めの言葉が聞こえて来た

(すでに恋は成って)

私の質問と答えがあわなかった
色恋のことなど聞いていないのに
なぜ恋愛についての言葉が返ってきたのか
分からなかった
そして仏陀からの次の言葉を待った

(希望の海 希望の波は正午であった)

そこまで聞いたらすぐ分かった
哲学の言葉では正午という言葉は
太陽が一番上に上ったということ
すでに恋は成ったという事は
あなたが神を 真理を求め神を恋こがれている情熱が
時計の針が12時をさすように最高潮に達している
つまり神に恋こがれているお前の気持ちを
受け取ったということを示していたのだ

つまり今やっと仏陀からの言葉を直に
聞く事のできる状態になったということなのである
そしてさらに言葉は続いた

(波波波と光の波動になって 宇宙中に散れ)

怒涛の如く打ち寄せる大波が 正に今 
天に向って直立し そこから大音をたてて
今にも崩れ去り 浜辺に消えてゆくように
光の波動と供に 自己自らを宇宙の中に
拡散させてしまえということなのであった  

これが自らが成仏し また人の魂をも
成仏させる秘訣の言葉であったのだ

宗教では 死後その宗教の拝んでいる神のところへ
行くこととされているが
そういう事皆間違っている
自分というもの今ここにある

行くべき所がある人というのは いつまでもあり続ける
つまり自分たちが行くところがあったのでは
自分たちはいつまでも消えないのだ
本当は自分たち 自己 魂というのは
消えていかなくてはならないのである

自分たちの魂が宇宙中に散ってしまうのである

自らの魂にもそれを言い聞かせ ひっついている魂にもそれを教える
教えると そこからきている身体の不調は
いっぺんになくなってしまう場合がある

この秘訣を知っていたらものすごく利益を得る
これがわからないから身体の不調で苦しんだり
死ぬ時もどうしてよいか分からなかったりするのだ

あなたの魂は間違った考えを捨てて 
光の波動となって宇宙中に散るように諭す
そして自分たちの魂も
おそれることなく宇宙中に散ってしまうのである

これが病気治しと成仏の秘訣なのである

1999.06.13.

| 1999年 | 15:03 | TOP↑

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どんぐりの水泳ぎ

ジムが4才の時の話である
彼はスイミングのレッスンを
受けていた

或る時 ラッセンに行って
小川のほとりで遊んでいた

そこにどんぐりがポトッと落ちた
そのポコポコと浮いている様子を見て
ジムが言った

「このどんぐりも 自分と同じ4才だね
だから泳げるのだね」

そこにある神話性というものは
素晴らしいものだ

神の世界をいくら説いても 
神話を考えずにいては 
本当の宇宙をつかめない

神話というものが分かってこなければ
神話というものが 
自分の中に現われてこなければ
人間は本当の人間になれない 

人間は宇宙の中にとけ入っていかないで 
自然を見ては
自らの欲望の下に
それを利用しようとしている 
それらをひざまずかせようとしている

これは人間中心主義といえる

人間が宇宙と一つになること
その一つになる事が もっとも正しい行為である
それ以外の考えは皆 間違っている
それ以外の考えは皆 自己を守ろうという
意識から来ている

神話をつかむには
宇宙の中に入っていこうとするなら
先ずは人間中心主義を
捨てる事である

1999.06.10.

| 1999年 | 00:10 | TOP↑

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科学と宗教に欠けているもの

科学は日々進歩するが

科学では神話に

到着することは出来ない

なぜなら 神話の中には 

科学が持てないものがあるからなのだ


神話というものは 静かで清らかで 

透明なもの

それは純真で素朴な魂に

やどるものである


では純粋 純朴であったら

それで充分なのであろうか


古代のギリシャの神話 信仰は

すぐれて純粋なものであった


ギリシャの神々は清らかさと静けさの

象徴であった

それら神々は人の救済にむかうもの

ではなかったのであるが

人はその静かで清らかな神々の前に

ひざまづき 

そこから純粋さと静寂にひたることで

自らの魂を 神々の住む天なる世界まで

高めていたのだった


そのギリシャの神々への信仰にも

科学にも一つ足りない

ものがある

それがオチャメなのだ


ギリシャの信仰ばかりでなく

もろもろのその他多くの宗教の中に 

オチャメというものが欠けているのではないか


ギリシャ神話を研究したヘルダーリンや

ニーチェは次のように言っている


世の中が夜のように 暗くなった時

その時は 神話を忘れた時である と


二人とも神話の重要性に

気が付いていた

ヘルダーリンは失われたギリシャ信仰の

清らかさ 静けさということを追い求めた


ところがニーチェは ギリシャの信仰に

欠けているものに気付いた

ニーチェは次のように言っている

宇宙の真理というものは何か笑えるようなものだ と

これがオチャメというものである


ニーチェは踊ることを知っていた

空をとぶことを知っていたのだ


1999.03.28.

| 1999年 | 16:23 | TOP↑

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ニーチェより学ぶ

善いことをせよ

聖者のような人間になれ 愛情深い人間になれ 

この教えは間違っている


これは弱い人間に与える教え

弱い人間に必要な教えでしかない 

それをニーチェは偽善であると言った


彼は善と悪の問題を考えた

それは無価値だと結論づけた 

人間生活の中で人が頼りとする価値を

全部とってしまった


ニーチェは善悪を超越した存在

人を超えた存在「超人」というものを

指し示したが

最終的なものをつかめず 彼は狂ってしまった


善悪を区別する考えを合理主義という

仏陀の教えも合理 キリストの教えも合理

あらゆる聖者や哲学者のいったことは

合理主義でうずまっている


合理を超えるものは何か

それは非合理である

超非合理なるものである


白紙の舞い降りるさま

羽毛の風に漂うさま

ここにその超非合理がある


物が動く 物が落ちる 物がそこにある

その元にこれがある

あらゆるものの元にこの構図がある

これが宇宙の元の構図である


リンゴに羽をはやしてみよ

そして白紙の舞の軌跡をつくって

羽のはえたリンゴをその軌跡に

置いてみよ


リンゴが超非合理の神話の舞を

そこに展開しているのが

見えないか


非合理が 超非合理が

宇宙の全ての存在を

舞い踊らせるのだ

そこに善悪はないのである


1999.02.15.

| 1999年 | 09:48 | TOP↑

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