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神話の輝き

風が涼しく吹いている

ニーチェの考えが

時代をこえて 吹いている


生命力と理性の あれくるう世界

そのいかなる考察も 神話の登場なくしては

からまいするのみ


善と悪 陽と陰 生命力と理性

それらは いずれかをよしとし

またそれらの和解をよしとし

中庸を考える

しかし論理は 論理現実の上を

流れてゆく


神話はそれらの はるか上に君臨する

理性そのものである


自由と平等 自由と不平等

所属 理解

いずれも あるものすべてを

越えた所に 神話は

輝いてある


非合理の輝きをもって それはある


1999.05.06
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| 1998年 | 12:51 | TOP↑

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二つの構図


この構図からは

様々な思想 様々な聖者 賢者 

様々な宗教がわいてくる

そしてそれらは 良いことを言っている

ようだが 

思想のねりなおしであり

つまらぬそれを くり返すだけである



その この構図につまっている物を

捨てるのである

捨てないと 新しい世界に

入ってゆけない


約一万年間 人間をまよわせた

この相対構図と

それにつまっている物を

捨てるのである

ゴミ箱に入っているゴミを 捨てるように


この構図になると 自然にその頂点から

よいものが湧いてくる

だから 

まず ゴミを捨てることから

はじめよ


この構図の頂点に二つのものがある


それは 白紙の舞と オチャメである

この二つに 意識を集めていると

言語も行為も まともなものとなって

その頂点から現われてくる


今までの言語と行為は

この構造からくる

人造的なものである


人間のDNAは その相対構図 構造の

支配下にある

それを 改めねばならないのである

この統一された構造で DNAを

うごかすのだ


アメリカ合衆国のドル札に 三角に目のついた

絵がある

それは トーマス・ジェファーソンがデザイン

したときいている

彼は早くから この統一構造を

知っていたのかも知れない


1998.03.13.

| 1998年 | 14:23 | TOP↑

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西域から来た害毒

古代インド人の ボダイ樹信仰

これはすばらしい

仏陀の全身像を 彫刻するのでなく

ボダイ樹を仏陀として 拝んだ


仏陀の全身像を見るのも もったいない

彫刻するのも もったいない

悟をひらかれ 苦行された所の

ボダイ樹を

仏陀と思って 拝まさせて頂く

この信仰


この謙虚さ この奥深さ

これこそ 本当の信仰である

詩的なもの 神話的なもの

それがここにある


リアルな世界を 人は見たがるし

リアルな中から

捜し出そうとする

それでは いくらたっても

本当のものは やってこない


全身像を 拝むというより

仏陀の足跡だけを 拝まさせて

頂くという方が

奥深い精神の現われである

ということが

分らないだろうか


何でもかんでも あらわにしたがる人間

何でもかんでも 知りたがる人間

その人間たちは 神話をうしなう


自己の心が 空っぽになっているのが

分らないのだろうか


全身像をつくらずに ボダイ樹

だけで十分

足跡だけで十分

そこに偉大な民衆の心がある


仏陀はリアルを 超えた人物である

全身像を拝むというリアルの中を

うろつく人間

そんな人間に 仏陀が分ろうはずはない

自己の中に 仏陀がめざめるはずはない


仏陀の滅後 一千年のちに

インドにシャンカラという聖者が あらわれた

彼は当時の仏教僧たちと 論争をした

仏教僧たちは 論争でシャンカラに

やりこめられてしまった


仏教団は インドにおれなくなって

西に 南に 北へと移動しなければ

ならなかった


中国へ セイロン島へ そして

パキスタンの西域へと


その西域にいった仏教は

西方の文化の影響をうけた

そこで 全身の彫刻像づくりが

さかんになった


全身を見なければ 辛抱できない

感覚信仰がはじまった

その感覚信仰の病気は

更に深くなり

教典をよまねば 辛抱できない

人間になった


仏陀の教典を 捜しまわり

仏陀の教えを 捜しまわった

そんな人間たちに 仏教が

分るはずはない


たくさんの仏教宗派が うまれた

みにくいあらそいが そこにおきた

それが 現在社会のゆきづまりを

つくった

それは仏教だけではない


本当はそんな仏教が 日本に

入ってこなくても よかったのである

日本には神道という立派な

宗教がある


仏教僧は 大きな仏陀の全身像を

建てはじめた

教義もなにもない神道の

すばらしさを理解する力が

うすれてきた


仏教には 仏陀は母親の

脇の下から誕生したという

比喩がある


すばらしい民衆の心は

この比喩をつくった


旧約聖書の中にも

人は 土の中から生まれた

新約聖書に キリストは夫のいない

聖母から生まれた


何すばらしい譬であろうか


人は詩人であることを わすれ

感覚的な世界を うろつくようになった

知的合理主義が それである


時には 聖者や賢者より

一般民衆のほうが かしこい事がある

社会を支えるのが これら無学な

平凡な民衆によることがある


政治家や 学者や 宗教家が

社会を 混乱にみちびく事が多い


土によごれ 食うものもなく

平凡に暮らしている者は

太陽を拝み 大地を拝み

水や空気 風や貧乏を

ありがたいと 拝む心がある


フランスの思想家 ミッシェル・モンテーニュが

死について 考えをめぐらせていた

ところが ペストが発生して逃げ

まわった時

一般民衆と親しくなった


民衆の口から 死への解答をえた

悟りきった死への考えを

一般民衆から 教えられたのである


土と共に生きる者

水と共に生きる者

自然な人間

それが本当の地上の子である


譬えばなし

合理主義的な知識でなしに

譬えばなしを もっと研究しよう

そこにかくされた 神話への入口がある


魂への入口が


1998.03.07.

| 1998年 | 19:26 | TOP↑

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詩人にかえれ

求道をやめなさい

太古には 求道というものは

なかった

ただ或る相(すがた)だけがあった


詩的 神話的な透明な相である

それはピンボケで透明で

意味も 結果も 答もない


精たちと 共に生きた

ただ ふれ合いだけがあった


子供は 犬を見ても

こわがらない

手をさしのべて

さわろうとする

ふれ合いである


野にある小さい花を

手おって 人にささげようとする

これもふれ合いである


これは 求道ではない

求道をやめて 存在する有の仲間となれ

すべてが互に 呼吸し合って

生きている

その躍動の中で生きよ


躍動は オチャメを押し出し

オチャメは 躍動を押し出す


その相互関係の中にこそ

舞がある

白紙の舞の構図がある


羽毛が フワリフワリ飛ぶ

これも 白紙の舞の構図と

同じだ


白紙の舞の構図は 有の

世界に

相互関係をつくる

構図が 創造と運動を

立たしめる


構図なくして いくら頭で

考えても

人は元の自分に かえれない


考えることをやめよ

感じる世界に入れ

太古の人は いつもそれでいた

詩人そのものだった


躍動 躍動 オチャメ オチャメ

白紙の舞の軽やかさ

透明と ピンボケと

答のない 意味のない

大きな世界にすいこまれて

立て


1998.02.28.

| 1998年 | 11:35 | TOP↑

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構図の発見


人は知恵 知識によって

助かるのではない

構図によって助かるのである


人の助かる構図はこの

統一構図である




ただこんな構図が なぜ人を

助けてくれるのか


これが 新しい科学である

二千年以降の人類は

これによって 助かってくる


今までは 精神的な教典が

必要であった


しかし この構図が発見されたら

最早それらの教典は 古いものと

なる


これからは 精神の世界ではない

コンピュータの時代である

これがコンピュータに かける記号である


今までの我々の頭は

精神によって 動かされてきた

と思うだろう

しかし そうではない


次の構図によって 動いて

いたのである



この相対構図 構造は

よくないものである それなのに

それによって 人間は今まで

つまらぬ時を すごして

来たのである


それが 約一万年間つづいた


しかし それより以前は




この統一構図をもっていたのである それが

なぜ統一構図から 相対構図に

かわったのか


それは 人間が言語を

持ちはじめたからである


「私とあなた」

「あちらとこちら」


人はそれによって 相対の

世界におちこんだ


それ以前は 私もあなたも

あちらもこちらも なかった


すべてが自分であった


月 太陽 大地 空気

星々 山々 花々 水も 火も

何もかも 

自分そのものであった


人は魂の ふるえの中にいた

人は詩の かたまりであった


インドのはじめにつくられた言語

サンスクリットは

ひびき――

魂と古里の ひびきにみちていた


深い魂の深淵の前に いつも

彼等は立っていた


彼等は 沐浴した

野山を かけまわった

鳥 けものたちは 彼等の

あとにつづいた


私とあなた

あちらとこちらが

できてから

月 太陽 鳥 山と彼等は それ等を

呼ぶようになった

一つだったものが 二つに別れて

しまったのである


霊感は 消えてしまった

ふるえは 消えてしまった

躍動も精気も 消えてしまった


彼等は 記号としての言葉と

記号としての自分と 彼等との

中で

苦をもって生きねば

ならなかった


人間の体内のコンピュータは

狂ってしまった

狂った記号は 約一万年間

彼等の体内をかけめぐり

彼等を苦しめた


そして彼等は 死をおそれ

生をおそれ

神をこしらえ

救いを 求めはじめた


教師(司祭)と 信者と 教典と

儀式がうまれた

宗教はそれである


そして 宇宙の真理とは

こうであるといいはじめた


相対の中にいる者は

救いを求め

真理をさがしはじめる


世はますます混乱に

おちいった


この混乱をしずめるには

この相対構図



をなくさねばならない


相対構図を持っている以上

人は絶対に 救われない


海を割って 人を救えるのは

統一構図である


相対構図では

海は割れない


1998.02.25.

| 1998年 | 10:26 | TOP↑

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