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菩提樹を拝む心

神話研究とは 合理主義との
闘いのようなものである

仏教では様々なブッダの像を拝む
そして何事かの望みをかなえてもらおうとする
ここに合理主義が隠れている

仏陀の生れた時から500年間 人々は
仏陀の全身像を造らなかった
そして仏陀が瞑想して悟りを開いた所の
菩提樹の樹を拝んだ

どうして全身像を拝まないで 
菩提樹を拝んだのか

それは仏陀の全身像を拝むことが 見ることが 
もったいない 怖れ多い
悟りを開かれたその場所だけ拝ませてほしい
あるいは全身像でなく 足型を拝んだだけで
満足していたのである

仏陀が亡くなった後の人々の心の中には
このような神話性にあふれていた
この心は芸術そのものである

自分たちの魂の本質は
芸術的な神話性にある

あるいは仏陀は母親のわきの下から
生れたという伝承の清らかさ
このたとえは キリストが夫のいない
聖母から生まれたというのと同じ次元のものである

これらのたとえは非常に美しい
その当時の人々はそういうきれいなたとえを
作ることができた

聖者や賢者より そのような一般民衆の方が
賢いかも知れない
一般民衆というのは 土を耕し 作物をつくり
自然の中にとけ込んで生きている

それが彼らの心に神話性を残し
このような清らかなたとえを
創造させるのである

1998.08.28.
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| 1998年 | 00:09 | TOP↑

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形を変えよ

人間は長い間 宗教的道徳的に
心というものを治めようとして来た
しかしそういうものでは人間の心は
絶対に治まらない
その対処の仕方は表面的に過ぎない

心は形によって出来ている
これが始まりの一歩である

人間の心を修正するのは
道徳的宗教的方法でなく
形を変えていくこと
幾何学的に変えていかねばならない
ということである

私があって あなたがある
主体があり 対象が認識される
認識という行為はいつまでも続く
ここに相対がある

我々は相対という 絶対に交わらない
平行線のような構図に生きているのだ

その相対構図は
人間が言語を発明してから生れた
この構図が約1万年間続いている

その間に賢者や聖者があらわれ
善悪を説き
さらにこの構図を強固なものにした
そこから合理主義が生れた

世の中は表層ばかり追っている
合理主義がそこに巣くっている
その合理主義が
人間の生をさらに貧弱なものにしている

人間の生の貧困を破り
善悪に縛られた心の解放を
なしとげるものが幾何学である

誤った相対構図から 自分自身を解き放て
直立する平行線を割ってみよ
それらは斜めになり
交わりを持つにいたる

角度が出来る
角度は透明を創り出す
人間が改造されていくのはそこからだ

これは意識でDNAを修正していく
ようなものである
コンピューターが日々進化していくように
透明なる角度を意識することにより
人間は自動的に改良されてゆく

1998.08.25.

| 1998年 | 00:07 | TOP↑

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空間のエネルギーで生きよ


相対思考の中ではいくらでも いくらでも 
思考が生まれ出て来る
在る人はこう 在る人はこう……
これは あれは……
とめどなく いくらでも膨れ上がる

クローズすると その頂点から
自然に 本当のものが生まれて来る
この統一構図これさえあれば
何の教理も教典も教えもいらない

目の前にあるのは 目の前に人間が展開させているのは
すべて迷いである
目の前におかれた皿の上の食べ物も 迷いである
これを食べないと 生きられないという迷いの考えである
衣服にも こういうのを着ねばならないという迷いがある

統一構図になれば 
宇宙のエネルギーで生かされる

人間の考えは 全て迷いであった
今までの何千年の歴史は 全部迷いの歴史であった

人間は図形で出来ている
宇宙も図形で出来ている

空間には 無限のエネルギーがある 
0にも 無限のエネルギーがある 

空間は距離 距離はエネルギー
そこに意識を集めれば 
きっと生命が噴き込まれる

今の人が死んだような状態で 
躍動して生きていないのは
いわば生ける屍なのは 
空間に在りながら それに気づかず
自らを閉ざし 宇宙の呼吸をしていないからである

目も耳も細胞も 皆閉ざしているからだ
ただ目を開けて空間を 
生きた空間を意識し 受け入れるだけで良いのだ

1998.06.17.

| 1998年 | 16:09 | TOP↑

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全ては礼拝から

礼拝の時の鐘の音 鈴の音 
その幾何学的な波動
角度と線の交錯 透明な神
いたるところに隠れている透明な神

神は礼拝することによって創られて来る
神が尊いから拝むのではなく 
人間に神性があるから拝むのでなく
そんなことに何も関係なく ただ礼拝する

透明 透明という角度はどこから
現われて来るのか
それは礼拝することによって 現われて来る

現象世界での様々な問題
そこでそれらを解決しようとしてもうまくいかない
その時 心の中で「礼拝」とつぶやく 

礼拝に焦点をあてたら 即座に
始まりの世界へ
ブラフマンと現象界の橋渡しのところへ
もどっていく

人間の感情の世界から瞬間的に
意識は根源へ帰郷し
時間の噴出口そのものとなる

噴出口は創るもの 踊りそのもの
躍動そのもの
自己が時間を創るもの
そのものとして立つのである

時間そのものとして 自分たちは在る
常に創るものとして在る
現象界に在ると誤解してはならない
つねに噴出口に 創るものとして
在ることを忘れるな

その全ては
礼拝によって導かれるのである

1998.03.21.

| 1998年 | 23:52 | TOP↑

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生命を突き動かすもの

自分の現状がどうであれ
それは二義的なもの
それは単なる過程 行き過ごさせてしまえ
流れにすぎないのだから

原因があって結果しているだけのこと
それら原因も結果も 実は単なる思い込みに過ぎない
実体はないのだ

それより根底に在る祈り 本当の祈りになること
それのみを思い続けよう
あらゆる人を あらゆるものを 
あらゆる瞬間を祈り続けよう

燃える祈り 一元への燃える祈り
燃えて祈る 一元へ燃えて祈る
ただ一元を激しく思い 燃えること

全ては相対のない一元から出来ている
だから在るということは 形は 現われは
その一元への思い 
それへの思いが凝ったものに過ぎない

一元への激しい思いが 生命の本質かも知れない
それが根底から命なるものを 
突き動かしめるのだ

1998.03.20.

| 1998年 | 23:50 | TOP↑

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