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デカルト祭

皆さんこんにちわ 
優秀な友達がたくさん集まってくれました 
それと優秀な音楽家が来てくれました

非常に私はうれしいです 
音楽を聴くと私も胸が踊ってきます 
宇宙の奥に音楽があります 
そこから音楽が流れて来ます
 
デカルトの大きな絵がかかっております 
デカルトの求めたもの そして求め得なかったもの
それは音楽だったのです 
その話をします

その話の中心になる言葉を一つ紹介します
ただいま プロフェッサークヌスからも紹介がありましたように 
デカルトの「我思うが故に我あり」という言葉であります 
「我思うが故に我あり」ということについて考えていきますと 
これからの世界がどのように発展していくかが そこに秘められています

デカルトの居った時に偉大な哲学者が何人か生まれております 
ガリレオ ヨハネケプラー ニュートンがそれより少し前に生まれております

ニュートンはいろんなことをたくさんみつけました 
しかしそれは宇宙の表面的なことでした 
デカルトは表面的なこととちがってもっと深く研究しようとしていました 

デカルトはなぜこの宇宙があるのか?
なぜ人間があるのか? 
人間と宇宙がどんな関係にあるのか?
どうすることが 人間が最も良い人生をおくれるのか? 
彼はそのように宇宙を深くのぞいていきました


そして彼は物理学の限界を知りました
そして彼は詩の研究ポエムの研究に入りました 
ポエムの研究によってもっと宇宙というものが深くわかると言いました

ところが デカルトより70年ほど後にイタリアに
ビコという哲学者がうまれました
ビコは言いました 
この宇宙は眼で見えた世界とその奥にポエムの世界があります
そしてもう一つ奥に神話の世界がありますと


では今度は私の話にはいります
私が神話を考え始めたのは7才の時でした
そして今日まで神話のことばかり考えてきました
そして偉大なことを見つけました
そのことは また後で言います

ニュートンが現れました
それからアインシュタインが現われました
宇宙がバァーッと大きく拡がっているということを言い出しました
ところが次の人々は宇宙がまだ膨張している 
ふくらんでおるということを見つけました 
それから次は宇宙が ビッグバンによって造り出された大きくなったということを
言い出しました
ビッグバンのことを言ったのは1948年であります
ジョージワシントン大学教授ジョージガモフであります
そして今日にいたっています 

そして現在は宇宙は心(意志)があるという研究に入っております
そして意志によって作られた設計図にしたがって動いているという
趣旨のことを述べて
宇宙はなぜあるのかという研究に入っています

そして人間はなぜあるのかという研究に入っています
1961年にロバートディッキーが宇宙の人間原理を発表し
1974年にはイギリスのプリンストン大学のプランドンカーターという学者も 
宇宙には意志があるといっています
この宇宙は何らかの意志によって作られた
設計図にしたがって作りだされ動いているという趣旨のことを述べています

そうすると400年前に生まれたデカルトの考えたことと同じであります
そしてその解明へと最近の物理学は近づいているということです
だがディッキーやカーターのいう意志はただ そうだと思うだけの
考え方―「そもそも宇宙は人間を生むためにデザインされていた」というだけでは 
意志なる品物を人の眼の前につまみ出して見せていないということになります

それでは科学性に欠けていますし 
またその意志なるものは どのような種類のものであるかも述べられていません 
それを私が後程説明してゆきます 

ここに意志があるという事と その意志はこんな性質をもっている……ということを
説きましょう

さて私が神話についてずっと研究している間に4年前あたりから 
鼻の病気になりました
鼻の病気になりますと息をするのが大変になります
今はよくなっております 鼻の病気になって息ができなくなると
酸素が大事だということがわかりました 
酸素が人間の命であると思いました

そうしたら天の声を聞きました 
本当ですよ 本当に聞いたんです
それはね 「酸素は酸素を呼吸して生きておる」という声でした 
もう一度言います 「酸素は酸素を吸って生きておる」

これは 水素が水素を呼吸して生きておるとも言えます 
この水は水を呼吸して生きておるとも言えます
今の科学は水は何であるかがわかります 
しかしなぜあるかがわかりません

宇宙は宇宙を呼吸して生きております 
私がここにあります 
これは宇宙のエネルギーを吸ってそれをまた吐き出しております

太陽も宇宙のエネルギーを吸って エネルギーを出しています 
私はこの天の声を聞いてハッと思いました
そしてデカルトの「我思うが故に我あり」という言葉を思い出したのであります

宇宙には一つの法則があるはずです
その法則には構図があるはずです 
私はこのデカルトの言葉と天の言葉から一つの構図を考えました


img004.jpg

こういう構図です
これは呼吸をこの構図であらわせます 
入ってきます 吐きます
ここでストップして 次に吐かれています 
ここが0です

この宇宙には0という数字が最も大切です
0は無限と同じです
今のコンピュータは0と1の組み合わせであります

では なぜデカルトの我思うが故に我ありと言う言葉が
この構図になるか説明します 

自分たちはいつも自分がここにあるということをちゃんと知っています
これはこの矢印であります
今自分があるとおもっていることは 
これは本当にわかっておるのとはちがいます

自分が我思うが故にに我ありと思った時に
はじめてボォーっとして居る自分というものが消されてゆきます

デカルトが言いました
私の自然科学 私の研究は機械技術の助けをするばかりでなしに 
人間の健康と長生きのために役立つでしょう
と言いました

しかし人間が長生きできても立派な人間がいきなければなりません
悪いことをしない人間が必要です 
それには宇宙の奥の奥にある神話をもたなければなりません


神話は音楽と同じであります
話は一度に飛躍しますが 前述した宇宙にある意志なるものはどんなものか 
その性質は何かですが それが「神話」なのです
酸素が酸素を呼吸して生きている
そこに神話性を感じないでしょうか?

詩的霊感は知性を超えて宇宙をかけめぐります
詩的霊感がないとすぐに二次元的な考えをしてしまいます
宇宙はそんな人間の考えるような簡単なものでなく
意志の世界にもちゃんと構造があるし
それを運ぶのにも 構造そのものがこの消された自分が
ここにあるからと発見されたのがこの矢印であります
ここから無限の可能性が生まれてくるんです

この構図がねどんなに大切かをいいますね
分かりやすい実例で言います

自動車がありますガソリンを入れます
すると自動車が動きます
しかしガソリンが自動車を動かすのではありません
ガソリンを入れたら走るような構造になっておるからです

あらゆる運動は構図によって運動がおきています
もしガソリンを入れなくても動くような構図になってあれば
ガソリンはいりません
構造さえよければ太陽のエネルギーを呼吸して車は走るでしょう

あらゆるもの宇宙が動いておるのも 車の動くのもそのもとに構造があります 
今日までの精神文明は構造を考えていません
よいことをしなさい 悪いことをしたらいけませんと言いました
こうしなさい ああしなさいこうしなさい 
立派な人間になりなさいと言いました

これは構図のない機械 構造のない自動車にガソリンをぶっかけているようなものです 大切なことは自分達の
大切な事は自分たちの頭の中にどんな構造があるかを知ることです
自分たちの中にDNAがあります 
DNAは宇宙との関係をどのような構造で生きておるかを知る必要があります
もう一度この構造について話をします

酸素があります 
その酸素は酸素を吸い酸素を吐きます
そして生きています
それがこの構図です

我々人間は宇宙呼吸をしています
宇宙を構成している距離………この距離というのはエネルギーなのです 
その距離と人間との間に電磁波による呼吸がなされています
いわゆる出力と入力であります
物質も生命のように空間の持つ慣性力の一つである電磁波を利用して
呼吸しているのです

そして不思議なことに物質はそれに働きかけてくる慣性力を
解読するメカニズムによって成り立っています
これを物質のもつ「意志」といえます

この「意志」はDNAにも関係してきます 
この研究を進めていきますと全く新しい電子頭脳をつくることができます

1996.04.28.
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| 1996年 | 21:24 | TOP↑

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なぞにみちている宇宙

この世は「なぞ」にみちている

それが 神話だ

それが オチャメだ


その「なぞ」の中から物質が

うまれ

生命をもつものが うまれた

思考するものたちは 動きはじめた


人である


人は 言語をつくった

相対感念が そこからうまれた

そして そこから<なぜ>を

もつようになった

なやみは そこから起きはじめた


詩作 哲学 宗教 科学そして

経済へと

苦の道を 歩みつづけてきた


人は 言語を持たなかった元の

人間にかえらねばならない


<なぜ>が消えて 友をもつ

宇宙のすべてが 彼自身となる


友が来た

彼の内から 友が来た


風の中からも

空間の中からも

自己なる友が来た


手拍子をうって

オチャメの手拍子をうって

それらは 近づいてきた


なぞに満ちている世界では

<なぜ>は通用しないのである


科学も 宗教も すべてが

オチャメの中で

ほほえみはじめる


1996.12.20.

| 1996年 | 15:37 | TOP↑

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オチャメは生命をいかす

はじめに ドロ沼の中から

生命が生まれた


そこに オチャメが来た

すると 生命体は躍動し

はじめた


オチャメがこないと 躍動しない

のである


オチャメは 躍動のもとである

生命を生命たらしめる もとである


オチャメがこないと 生命は

ただの生命で とどまってしまう


人が人となるのは

オチャメによってである


しかるに人は オチャメを忘れて

知のかたまりと なっている

合理主義のかたまりである


人は 人でない

知のロボットが 歩いているのである

街々には そんな人間がうごき

まわっている

本当の生きた人間でなしに


オチャメを 全細胞に 

流しこめ

細胞は 燃えてくる

それは 贈り物である


贈り物のために 生きよ

贈り物として いきよ


1996.12.15.

| 1996年 | 19:52 | TOP↑

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オチャメのほほえみ

インドの スリー・ラーマクリシュナは

特異な存在であった

スリー・ラーマクリシュナや クリシュナ神話には

オチャメがある


オチャメは 哲学を笑わせ

腰をぬかせる


大空にかかる虹

黄色い花 赤い花

透明な オチャメのささやき


損得 生死を超えて

存在するオチャメ


もしここに

いつもニコニコしている人種が

いたらどうだろうか


教典も 哲学書も持たない

人種がここに いたら

どうだろうか


何をしても 何をされても

いつもニコニコしている者が

いたら どうだろうか


ドイツの詩人ゲーテが

ドイツの哲人ニーチェが

イタリアの太陽のもとに

降参してしまった


なぜ今まで

つまらぬことを

考えつづけてきたのかと


大自然の中に

オチャメを 感じとろう

自分の顔が

ほころびてくる


今までの 精神文明に

オチャメがなかった事が

一大欠陥である


聖者や賢者はあまり

合理的な

かたい かしこいことを

いいすぎてきた


トマトや 柿や 太陽が

何もいわず

赤い顔して

ほほえんでいた


1996.12.08.

| 1996年 | 23:15 | TOP↑

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オチャメの木が

科学技術が 発展してきて

オチャメの前で 頭を下げる

経済が いやらしい顔して

走っている

オチャメが顔を そむけてしまった


人間は 宇宙という木の果実を

食いつくし

踏みつぶし

根まで 掘りおこそうとしている


そして 理論 論理 発明という

網をひっぱって

倒した木が 

自分の頭の上に 倒れてきた


1996.12.08.

| 1996年 | 23:11 | TOP↑

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