FC2ブログ

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

星として立つこと

星 星 

星として 立つこと

人間としてでなく

星として 立つこと


人間は ろくな事をしない

人間として 立っていると

人間になってしまう

そして ろくでもない事の中を

歩いてしまう


星 星 

星として立つこと

星になること

星は 神話をみちびく


1991.12.01.
スポンサーサイト

| 1991年 | 13:21 | TOP↑

≫ EDIT

しかし今分った

「有」「存在」そのもの

「有」そのもの

そして 停止すること

それを 瞑想した

詩そのものに なろうとした

そして一瞬は それになれるのであった


だが 長続きしなかった

幾度か 幾日か それをくりかえした

しかし それらしい 長続きのする

実現は あらわれてこなかった


しかしそれが 今分った

その詩そのものに なることが


「有」とか 「存在」そのものとか

「停止」という言語は

古い 昔流のものである事が分ったのだ

ふと ふいに


それらは 詩そのものの内容でなしに

詩そのものの位置を 外見的に とらえている

言語にすぎない事が 分ったのである


それでは それ等を通して 詩そのものに

なれるはずは なかったのである


成る為には その内味その

ものに ならねばならない

内味そのものを 相手どらねば

ならない

それが 分ったのである


その内味そのもの 本性そのものに

ふれないで

言語から それを実現しようと

していた


それが まちがいであった


それが 分ることによって

言語から 入ろうとしたのが

昔流であったという事が 分った


例えば 無も 空も その一例かも

知れない


では 詩の本性とは何か

それは 分りきった事である

「透明」 「透明なるもの」 これだ

その「透明なるもの」に 入っていく事

そこに 「詩」があるのであった

やって来た 本当の事が


やっと道が 開かれて来たのだ

詩の実現の道が

自己実現の道が


この詩を通らないと 神話も

実現されてこないのだ


1991.11.14.

| 1991年 | 19:26 | TOP↑

≫ EDIT

詩そのものとなれ

詩をかく事より 詩になること

詩をかく事より 詩そのものに

なることが

大切である


人はすべて 詩そのものである

ところが人は詩をかく事に

意識をおいた

そこで 自己が詩になる事を

忘れてしまった


詩は 自己の内にある

自然の内にある

それになる事である


有機的に生きている自己そのものが

その詩を忘れて

文章として書くことが 詩であると

誤解してきた


そこから人は 地に落ちてしまった

のである

戦争その他 あらそいは

長い間 つづいてきた


詩を忘れると そういう事になる

詩そのものに なってみよ

宇宙が よろこんでくれる

地球も よろこんでくれる

母なる地球を 忘れてはならない


元なる自己に 立ちかえれ

人間達よ

神話と詩から 遠い遠い所に 住んで

しまった人間たち


今こそめざめよ

今からでもよい 道をひきかえせ

ひきかえすのだ


むだに時間を ついやすな


それには 自己のもつ時間を

停止さす事だ

時間という意識から ぬけ出せ

詩は 時間をこえて 停止しているのだ

有そのものだ

存在そのものだ


時間をこえ 時間を停止させて

詩そのものとなれ


動くな 存在そのものとなれ

存在そのもの

存在そのもの


存在物が 存在しているその

存在そのもの

有そのもの


結果を考えるな

期待するな

動くな 停止せよ


1991.11.14.

| 1991年 | 16:16 | TOP↑

≫ EDIT

長く生きようと思うな

長く生きたい という

ことを考えるな

長く生きるのだ と思うと

時間に ひっかかっている


時間に ひっかかっているから

瞬間を 忘れてしまう


瞬間瞬間とまでは いかなくとも

透明なる自己に 意識を集め

瞬間そのものに ならねばならない


長く生きる と思っているから

意識に 統一を失い

むだな時を すごしてしまうのである


マーヤの時間に ひっかかるな

時間は マーヤである

よい事もあるが よくない事もある


時間を超えよ

長生きを 念頭におくな


1991.11.13.

| 1991年 | 00:08 | TOP↑

≫ EDIT

考える世界と声の世界

考える世界と声の世界を とめる

この二つの世界を やめればよい


考えをやめると 声もやまる


考えをやめるという事は 「停止」である

「停止」とは 「詩」である

そうだ 詩になるのだ


詩から 神話が現われてくる

しかし 神話を期待するな

期待すると 神話はきえてしまう


神話は 期待の中から 現われてこない

神話は 結果の世界ではないのだから

期待するとは 結果を求めている事になる

そこには神話は 姿をかくしてしまう


この世の人々は 期待 結果 考える 声を出す

荒々しい うその世界にいるから

神話を見ることも 感じる事も出来ない

のである

人は詩そのものから 遠のいている


詩そのもの 停止そのものになっても

詩そのもの 停止そのものでいなければ

ならない

何の期待も もってはならない


詩そのもの 停止そのものでいると

眼の前を 神話が通ってくれる

眼の前のものの中に 神話を見ることが

できる


俗心では 俗なことしか見えない

停止では 停止と神話という動きが

見える


停止の中に 動きが見える

それが 神話だ


俗的動き 俗的物音は そこでは

感じとれない


詩になること

そこから 神話が実現されてくる


1991.11.11.

| 1991年 | 12:53 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT