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長波とスピードの合体

自己の時間性を 破ち

長波をかける

長波になる……

ここまで 見つかったのであるが

これだけでは 不充分であった


長波とスピードの 二つがいつも

相反する位置にあった

それを結びつける事が

今まで 謎であった


その両極端なものを 統一することなく

二十年間程

スピード研究に かかって来ていた

そして 時に

長波の活用を 思いたったが

それは スピードのおそいものだった


そして 自己の動作が ゆっくりしてきた


そこで長波を スピードある長波

とした

すると スピードと長波が 合体してきた

その長波とスピードの 結合させた時間性で

自己の時間性を 破るのである


神話実現は いよいよ可能となってきた

それを そうさせないように

かたいからは 我々をなやましていた

それが 神話実現を

邪魔して来ていたのだった


1990.08.15.
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| 1990年 | 19:45 | TOP↑

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自己の時間性を破れ

長い間さがして来た秘密の扉が みつかった

それは容易に 姿を見せなかったが

それがやっと 見つかったのだ



即ち 敵を見つける事が 出来たのである

敵を 見つけることなく

敵と一緒に 住まっていたのでは

人間は いつまでたっても 助からない

助かりようが ないのである


それを 探し 求めて来たのが

今までの 宗教の歩みだった

よろこべ それが見つかったのだ

自己の内にひそむ敵が 発見されたのだ


その敵とは 何か

それは 自己がもつ「時間性」である

「時間性」といったら むつかしくて

何のことか 分らないだろうが

それを 説明していく


いわゆる 人間の細胞の中にある

DNA即ち 染色体に

きざまれた記号のようなものだ


人間は 今日まで 真理を探し

或いは 自己とたたかって来た

だが いまだに 人は助かって来ていない


ある聖者はいった

自己を知れ

自己をすてよ

無になれ

欲をすてよ

知識をすてよ


しかし それらは そうなれなかった

なぜなら それらは 我々の直接の

敵ではなかったからである

直接の敵でないものと いくら

闘っても

それは 無駄骨をおるばかりである


その敵を 我々は見つけていなかった

のだ

神話を 実現しようとしても

自己実現しようとしても

自己超越しようとしても

その敵を 見つけない以上

どうにもならない


では その敵とは何か

どこにそれが ひそんでいるのか

それは自己のもつ 「時間性」である


我々は いろんな知性

いろんな考え

いろんな習慣 その他が集まって

一人の人間が 形づくられている

その形 型というものは

一つの入れ物で 内味を包んでいる


この型 即ち「時間性」をこわさ

ない以上

内なる間接的な敵を やっつけることは

出来ない

それを今まで 直接的な時間性の

敵をやぶたずに

内部にある敵と 闘って来たのである


知性 理性 道徳性 その他が

その型を つくってしまったのである

先ず その型を 崩さねばならない

すると 内なる敵は 徐々に崩壊する



しかし我々は この敵に気付くことなく

内なる敵と闘ってきた

外なる敵は やはり 敵であった

安々と 姿を現わさず

強個に我々を たぶらかして来た


宗教経典 神 説教者の声に

耳をかたむけて来た

しかしそこに 敵を見つける事が

出来なかった


相対性理論や 運動の法則に

とかれているように

同じ方向に

同じスピードで

車を走らせていたのでは

自己のもつスピードが 計れない

ように

我々は その敵の持つ「時間性」と

一緒になって はしっていたのである


それでは 敵を見つけることは

不可能に近かった


しかし 他の時間性をもってくると

それが 分ってくる

それが 修正されてくる


自己の内なる

「時間性」は 一つの生き物である

一つの大きな 働きをしつづける

それに しつづけられていたのでは

たまったものではない


しかし 安心するがよい

そういうものが 自己の内にあるのだと

意識しつづけると

その敵は 姿をけしてしまう

そして自己に ちがう長い波長の

時間性をおくことである


すると 歩くのも ゆったりしてくる

それは 旧い時間性が破れ

新たにおいた 長波の時間性が

現われはじめたのである


そうして 旧い時間性の型が

破れたら

それを形成していた中味に

ひそんでいる

知性 理性 その他が崩れてくる

そして 自己が 自由を得るのである


神話の実現も そこから可能となってくる

我々はその自己のもつ「時間性」を

発見せず

内なる敵と 闘いつづけて来たのである


長い長い 長波の中で

宇宙的な時間をもって

ゆったり 生きよ


透明に 自由に かつ神話的に

DNAまで その性質をかえてしまう


1990.08.05.

| 1990年 | 22:26 | TOP↑

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人類の合言葉

私も人間 あなたも人間

私も人間 あなたも人間

この瞬間は 人類を透明にする

これが 人類が一つ心になって

平和を

実現する一つの 大きな鍵である


人類が国家 人種間で争い

うたがい合っている様ではいけない

この瞬間の言葉は

人類繁栄の合言葉である


人は 宗教のちがいで争っている

これもおろかな事である

ちがう神をもっていてもいい

人は 人間が人間を拝み合う

信仰を

もたねばならない


人間の本性は 宇宙の本性と

同じ尊いものである

これへの信仰をわすれて

人間は うたがい 争い 差別

してきた



私も人間 あなたも人間

この言葉の信仰を 忘れるな

根をおろそかにすると

その樹は ほろびる


1990.06.28.

| 1990年 | 10:21 | TOP↑

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瞬間瞑想

二階にある メディテーションホールで

夕べのおいのりを はじめた

するとクジャクが 窓からのぞいている

おお 妙なる宇宙よ


永遠 永遠がここにある

宇宙の諸物と はなれることなく

一つとなること


人は今 すべてのものと離れている

人と人そのものも はなれている

永遠も 未来も そこにはない


永遠を得る者 未来を得る者は

今そこに 今ここに 永遠を

すべてを 拝まねばならない


「私も人間 あなたも人間」という

唱え言葉をとなえて

瞬間に一を 統一をうることである


一つになること ここに未来がある

鳥はうたい 天はほほえむ

天は 一つの自己となる

星々の輝きは 自己となる


瞬間こそ宇宙であり

宇宙をのぞく天眼鏡である


クジャクが 我々のしていることを

窓の外から 今ものぞいている

平和そのもの

神話そのものである


神話の実現は先ず

「私も人間 あなたも人間」

という一つの 閃きからやってくる


その閃きが 宇宙にひろがる

おお 透明なる者よ

ひらめきの中に ひらめくものよ


1990.05.06.

| 1990年 | 17:29 | TOP↑

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「詩的」道と「科学的」道

ハイデッカー哲学は 詩的である

宇宙の根源を とらえに行くとき

宇宙が出来るまでの歴史に

「明るさ」があるという


その詩的な表現を もってすれば

根源に近かづくことが やや可能になる

しかし 宗教哲学では

神は愛である とか

神がこの宇宙をつくったのだ とか

或いは 神は絶対なるものである とかいう


これらの表現には 宇宙的なひびきをもたず

人間的であることにとどまる


また 禅にしろ ヒンドゥ教にしろ

不立文字 とか 否 否 否といって

根源へわけ入る道を ふさいでいる


それのみか そういう あいまいな表現をして

おりながら

独善的態度をとる

我が道こそ 最高なりと


またそれ以外に 宗教の教えには

「何でも 神のおぼし召し」とか

「生かされて いきている」という言葉があるが

何でも 有り難い 有り難い といっていたのでは

より深く 神や 宇宙や 根源を

研究しようとする態度を くじいてしまう


だが ハイデッカー哲学の道は

詩的であるが故に

生きた宇宙の内奥に 入っていける


不立文字とか 否 否 否とか 無とか

空では

とりつきようがない 


こういう否定の道

独善の道は 科学の道を

ふさいでしまう


詩的 透明なバイブレーションが

この宇宙を つつんでいるのだ

その詩的なバイブレーションが

宇宙の根源まで 通じている


宇宙の歴史には「明るさがある」という

この詩的バイブレーションをもって

科学的真理と 合流していくのである


1990.03.11.

| 1990年 | 10:42 | TOP↑

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