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訪問者

彼は訪問者 私は訪問者…………

遠き昔 インドにおいて四・五千年昔に宇宙の根源を突き止めた
神 神々の信仰のジャングルの中からその「存在」を
ブラフマンと名付けた
人々はそれに向かって強烈な信仰心をもやした
しかしそれに至ることは ほとんど不可能であった
彼らは四つの道をそれに選んだ
バクティヨガ ラージャヨガ ギャーナヨガ カルマヨガ

その一方 ヨーロッパにおいては二千五・六百年前から
やはりその宇宙の根源を探していた
それは 信仰や宗教の道にでなく哲学の道を通った
アナクスマンドロス プラトン ニーチェ ヘーゲル 
ヘルダーリン そしてハイデッカー等へと
その道は切れることなく生き続けて来た

そして同じく彼等もその哲学思想のジャングルの中に迷いこみ
ややにすれば 道を見失ないそうになった
だが彼等の歩みは盲信に陥り易い宗教の道でなかったが故に
ついに 一つの道をみつけることが出来た
それは「詩」であった
「詩」と詩歌とを 彼等は区別することが出来たのである

インドはその故郷への帰郷にいつも神をおいたが
彼等は神をおくことなく「詩」をそこに
見つけ出したのである

ところが もう一つの道を開拓していた者がいた
プラトンは「神は幾何学である」と言ったのに対して
ヨハネケプラーは「この宇宙の根底には幾何学がある 
もし神があるとするならその幾何学が神である」と
ついに幾何学を そこに見付けていた
それは 今から四百年前のことである

しかし人々は その偉大さに気付かなかった
この「詩」と「幾何学」がどこで
どのように合流することが出来るのであろうか

私はこれらをよそに光速瞑想を見つけ
その帰郷の方法を発見した
そしてそこにピュアーなるものを見つけ
それを「消えた構図」と名付けた

ブラフマンは空や無でもなく また消えたものでもなく
「消えた構図」の世界だという
そしてその消えた構図の根源なるものと
この有の世界との接点が「神話」であると名付けた

ではその「詩」と「神話」と「幾何学」がどのような
つながりをもつのであろうか

たしかに「詩」を見つけたハイデッカーは正しかった
彼は「思索は詩作である」「詩は詩歌とは違う」と言い
「詩は言葉でもって存在を建設するものである」と言っている

この「詩」に関しては アメリカ人もそれを見つけている
木は一本立っている それは「詩」であると

ではその「詩」とは 一体どんな実態を持つものなのであろうか
ハイデッカーは その実態を突き詰めることなく
「詩」そのものを 相手どった
その「詩」でもって 有と無との接点に近づこうとした

しかしそれは 無駄な時間を費やすばかりであった
その詩なるものの実態をもってその接点を実現せねば
ならないのである

その実態をもって それを実現することが出来れば
その接点である「神話」を実現することが出来る
これが この有として生まれた人間の自己実現の道である

我々人間には 二つの事を実現せねばならないのである
一つは故郷であるブラフマンに合一すること
次は有として生きている人間の実現である

インドでは この世をマーヤの世界だといった
そして幻と名付けた
何の価値もないのだとした
価値はブラフマンのみにあると

しかし ラーマクリシュナは
そのマーヤの世界にも価値を見つけた
そこがラーマクリシュナの偉いところである

我々が実現せねばならぬのは 実にこのマーヤの実現であった
有として生まれたこの宇宙には有としての本質がある
我々人はあくまで肉体をもった人間として
このマーヤを実現せねばならない

その本質として その有と無との接点として
「神話」なるものがあり 
それを実現する事こそ我々の使命である
現われとしてこの世が現われたその意義がそこにあるのである

その「神話」の実現は この「詩」の実態をもって
神話に近づかんとするのでなく
その実態でもって訪問者として現われて来るのである
それによってその「神話」が結果的に実現されてくるのである

神話の実現にやっきとなって求道し
道を登っていくのでなく
我々は「詩」の実態 即ち透明なる角度をもって
訪問者として この世にやって来るのである
その透明な角度こそが 「神話」の実態でもある

訪問者 訪問者
汝は求道者でなく訪問者である

「詩」として 「詩」の実態をもって
この世に訪問者として来るのである

透明な角度
透明な角度は礼拝そのものである
礼拝そのものとして来るのである

1988.12.23.
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| 1988年 | 13:20 | TOP↑

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お前は生きているか

お前は生きているか
お前は躍動しているか
お前はつまらぬ人間感情の中で生きていないか

躍動すること
生命が震えていること
いつもその状態でおれ

存在生命の躍動を忘れると 
お前はすぐ人間感情の中に落ちているのだ
そして つまらぬ中をうろつく

躍動すること
全てのものの躍動を感じながら生きること
これこそ本当に生きている状態である
そういう意味でほとんどの人は 死んだ状態で生きている
それは生きているのではない

宇宙と感応しあって生きること
それが生きた人間なのだ
つまらぬ中に 首を突っ込むな
ほこりの中で 一生をおくらせるな

躍動すること
全てのものの 生きているのを感じて生きること
それから滑り落ちるな

落ちた中でいくら良い事を考えても 考え出しても
それは偽りに近いものを見つけているだけだ

もっと本物の核心に触れよ
生きている中で生きよ
人間のつまらぬ生活の中で生きるな
それは永遠に続く

あれが欲しい これが欲しいの
そんな心の中で生きるな
もっと違う生き方をせよ

躍動する透明な角度の中で生きよ
本当に生きる人間は 距離に意識を集め 
躍動し続けている

1988.12.15.

| 1988年 | 19:14 | TOP↑

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そこには宗教はなかった

そこには宗教はなかった
神だとか 信仰だとかがなかった
だがそこの人々は やさしく
細かい透明な バイブレーションの重なりであった

体全体が 波動に波うっていた
躍動 躍動 感動にみちていた
しかもそれ自体が 光そのものだった
ピュアーそのものだった

そしてその上 その人々は各自が独立していた
誰に寄り添う事もなく 誰に寄り掛かる事もなく
誰を愛することもなく 一人つっ立ち しかもやさしく
人々の間を通る 神話のような
やさしく 面白くて 時には冗談を言って
人々を楽しませ
しかもそこに関係がない 細かい 細かい
やさしい やさしい 線の重なりであった

宗教も 神も 信仰も 教典も
そこには無かった
だがそこの人々は輝いていた

のびのびと 時間と空間の中を泳いでいた
踊る事が好きで 微笑む事が好きで
求める事がなく 一方通行の人々だった

微笑みを振りまき 冗談を振りまき 輝きを振りまき
科学的な知恵を振りまき
宇宙に飛び出す天子や天女のようだった

スピード スピード
ゆったりしているようだが
そのゆったりが スピードから来ているようだ

彼等は何をしていても手際よく 片付けてしまう
そしてその余裕でもって 人と人の間を通るのである

1988.11.10.

| 1988年 | 10:49 | TOP↑

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科学者は詩人でなければならない 

科学が宇宙の真理を求明しようとしているが 
その行きつく所で その望みを神に捧げた時 その者は
その中に参入出来る

神に捧げるというより すべてを礼拝で迎えた時
参入する資格が出来るのである
詩的真理はその時 顔を出してくる

消えた構造の世界が 科学的真理と
詩的真理の組み合わせによって
知る事が出来る

極限の世界である消えた構造の世界は
物理学的にとらえられ 
認識できるだけの世界ではない
また精神的に 
その世界を知る事もできない世界である

なぜならそこは 
詩的真理の世界だからである
だから科学者は 詩人でなければならない

1988.08.13.

| 1988年 | 10:04 | TOP↑

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品性は宇宙から

物をもって 静かな所に自己を置け
物とは教養でもあるし 経済力でもある
また 立派な家でもある

とにかく人は プアーより豊かな方がよい
物をもたず貧しければ 人間はガツガツしてくる
何につけても豊かであること
そして自己を静かな所に置けば 
立派な人格が出て来る

いくら知識を貯えても
いくら立派な家に住み 物をたくさん持っていても
静かな中に自己を置かなければ品性がなくなる

そこで一番大きい物とは宇宙である
宇宙より大きい物はない
そして一番静かな所とは長い長い波長である
だから宇宙をもって 長波の中におれ

長波といっても 単なる物理的な長波ではない
幾何学的な角度をもった長波である
その長波に意識を集めると人間の言葉は 
穏やかな丁寧な言葉と変わる

もし人は 丁寧な言葉を使わなかったら
人はなんぼでも落ちていく

言葉は 自己の堕落をくい止めてくれる
それには先ず 長い長い長波に意識を集めよ
しかもその長波は 透明な角度であると認識せよ

角度が大切である
静かな透明な角度が

1988.05.13.

| 1988年 | 09:07 | TOP↑

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