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ワンダフルの一本道

優先とワンダフルから

いつまでも抱き合って

おれるようになった

他の人が 側にいても

いつまでも


優先ということで

人の中で 自己の位置が消える


ところがこの方法だけでは

宇宙的に自己が消えない

宇宙的なふるえが

やってこないのだ


そこで人間から 宇宙へ

その優先を切りかえてみた


だがそれは 一つの

技巧にすぎないことだと

わかっていた


そこでせっかく いつまでも

抱き合えるという

いいところまで行って

おりながらながら

ちよっとした難局に ぶつかっていた


ところが その苦しまぎれの

中にあって

《やっぱり光速の彼方》という

人間から離れた世界

……光速 星の彼方

胸を張って歩け

の詩をもって来た


途端に 宇宙的自己の

ふるえがやって来た

宇宙的に消える世界に

突入した


それと 他の人の自由の優先と

どこでどうかみ合ったのか

踊りの時に

まともに踊れて来た


インスピレーションに輝いて

力一杯の踊りが来たのだ

それが一つの 次の型となって

やって来た

それは 今までにないものだった


それは 無意識的に

人々の方を向いて 踊りが

なされて来たのだった


今までの踊りは

いつも前面を向いての

踊りだった


ところが 後ろ向きになって

人々の方をむいて 踊りが

なされてきたのだ


ふとその変化に驚いた

変化だ

突然の変化だ

これがどうしてこうなったのか……

と考えた


やはりその経過が

はっきりしていた

いわゆる 人間と完全に

関係がなくなったのだ


なくなったという事は

完全にひっついた という事である


関係があるという事は

相対的であるという事なのだ

他の人が気になって

いつまでも抱き合って

おれないという事は

相対だからである


アジア人にはその欠陥がある

人と人が向い合って

少しもひっついていない

人と人との間があり

空間があるのだ


それがアメリカ人には

ないのだから不思議だ


それが 優先ということから

ワンダフルが生れ

ワンダフルから差別 空間が

消えていったのである


むろん人種差別は今でも

残っているが

残っているという事は

消えていっているという事である


いつまでも変わらずに

依然として同じくある

という事とはちがう


優先 ワンダフル

これが人々を救った

人と人がひっつき始めた

他が気にならなくなった


私の場合も 先ず最初に

いつまでも人を気にせず

抱き合っておれるようになった


そしてその次に

光速がかかってくると

その踊りが 人々の方を向いて

踊るようになった


それは人々とひっついたが故に

人々の方を向くようになったのである

これは 向い合っている相対

関係をいうのではない


相対関係にいると人は

人の方を向かなくなる

いわゆる 人と離れて

自分の位置にいるのである


人と人がひっつくと

いつまでも 人の方を向いて

宇宙的踊りがなされるのである


そこには 恥 外聞

見栄 見せかけが

少しもない


それは それ等と

一つになって消えた状態で

踊れているのである


アジア人は 人や世界と合一し 更に

超越することを学んだ

しかし 人と人がくっつく事なく

聖者とか 神聖とかの

方向に逃げ勝ちだった


神や神秘主義的な方向で

自己陶酔する恐れがあった

いわゆる「聖」なるものへの

精神病にかかっていたのである


聖 神聖……の深い闇を破って

ワンダフルの一本道に邁進しよう


1980.08.09.
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| 1980年 | 13:17 | TOP↑

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行為と 「行為」

荒々しい世界からおりると

「行為」が 消えてしまう

他の人のしている行為は

なくなって しまうのである


荒々しい世界にいたら

人の行為が見え

それが 「行為」として

とらえられてしまうのである


行為と 行為を「行為」と

とらえてしまうものとがある

人々は「行為」と とらえて

しまうから

「行為」があるのである


しかしそれは 荒々しい世界に

いるから

とらえてしまうのであり

行為が成立されてしまうのである


本当は 「行為」はないのである

行為はあっても 「行為」は

ないのである



1980.11.16.

| 1980年 | 09:09 | TOP↑

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それ自身がやってくる

歌える 歌える

ものすごい いい調子で

これだ!


荒々しい世界はいややと

思って歌うのだ


昨夜もディスコを踊ったが

荒々しい世界はいややと

いいきかして 踊ったら

ものすごく おどれた


おどるというのでなく

おどりが 出来た

今までは 踊ろうとするものが

あったが

荒々しい世界はいややと

いうことによって

これも そうであった事が

分ってきた


荒々しい世界でない所で

踊れた

歌えたのである


荒々しい世界はいややと

心の中でつぶやいて

歌ってごらん

すごいものが やってくるから


何の力みも ないものが

やってくるぞ

ものすごいものを

みつけ出したぞ

ものすごい いい調子のものを

歌が歌えるというより歌それ自身がやってくるのだ

踊りも 踊りそれ自身が

やってくるのだ

今夜も又 踊ってやろう


1980.11.16.

| 1980年 | 00:48 | TOP↑

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曲線の歌い

やさしさ 愛等々は

直線の世界の産物である

それを 破るものは

それを 破れるものは

曲線しかない


相対の世界にうろつく

これら 愛ややさしさは

いつまでも

よろこびと悲しみの

製造所である


これから 抜け出せるのは

曲線の道しかない

曲線の道は 四次元的

世界である


やさしさ 愛 その他

人間関係の中でおき

使用されている 知情意は

三次元的であり

直線の世界である

その硬い知的なものに

曲線の「遊び半分」という

ものを ぶつけてみよ


遊び半分……何と

我々にえんの遠い言葉で

あろうか

遊び半分とは なまけものの

代名詞か

悪の代名詞のようにしか

ひびかない


それ程 われわれは

硬いのだ


遊ぶこと

遊ぶことを 知らない我々

遊び半分になれない我々


いつも 善か悪かのいずれかを

みきわめながら

歩いている我々


だから 明るさを失うのだ

明るさは 曲線の波動だ

曲線は 遊びだ 遊び半分だ

かたむきだ


硬い人間は理屈ばかり

考える

何も考えずに 体をゆさぶっておれ

体に歌わせろ

体に踊らせよ

曲線こそ 宇宙的「あらわれ」

である


1980.10.26.

| 1980年 | 14:12 | TOP↑

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水も人もゆさぶると うまくなる

水はゆさぶっていると

うまくなる事を 知っていたが

人間もゆさぶっていると

うまくなるのだ

柔らかい人間となるのだ


人間はいつも 硬いことばかり

考えすぎているか

さもなくば ずるい悪い事を

考えているのだ


悪い事とか 善い事とか

硬い事とか という世界以外に

それとちがって 真実な世界がある

それは 恍惚に光輝いている

世界だ


水がうまくなり

人がうまくなった世界

人類はまだ この世界を

知らない

どんな事なのか 

どうなるのかも 知らない

未知の 世界なのだ


いわゆる 曲線的「あらわれ」

のみの世界だ


「根源」「あらわれ」 「展開」

と三つのものがあるが

ビートルズの 音楽のように

「あらわれ」のみで とどまるのだ


ここは 知情意の世界でなく

「波動」 「曲線」 「かたむき」

「時空をなくした」世界なのだ


いわゆる 「恍惚に輝いた世界」

なのだ

これを ピュアー文明の世界という


ここでは人は 立派なよき社会を

つくれるし

経済 生産 人間関係

その他 あらゆるものを最高級化

することができる


現在の文明は 精神文明で

あって

荒々しい 直線と直線

感情と 感情

知と知の交叉する世界であり

文明である


そこでは 何もかも神話的でなく

恍惚的でなく

中途半端で

ぶつかり合いの生活であり

人間をダメにし

不発人間で おわらせている

世界だ


ここに 曲線的

四次元的生活

―人間のあり方の

すばらしい 世界があるのだ


ピュアー文明 ピュアー文明

体をゆらゆら ゆすぶらせ

透明になっている人々の

世界

心に何の囲いも 持たない

人々の世界


ビューティフルな世界が

くるのだ


1980.10.23.

| 1980年 | 11:28 | TOP↑

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