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1965年09月 | ARCHIVE-SELECT | 1965年11月

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歌の野郎

我が友人 歌の野郎が

おどり出した

歌自身が歌いおどる

一生懸命にうたう

声をはり上げて 私は

それを聞いて

涙が出てくる


なぜなのだろうと

そのわけをさぐった

すると歌君と自分の魂

―――生命とが一つにつながって

歌っているからだった

一つになると涙がながれ

おどりと 歓喜によいしれてしまう


歌よ 音声よ 汝は

生きものだったのだ

私の魂が その魂と

つながった時

私は本当に立派な声で

うたえた

これが本当の歌だ

歌うことは 楽譜の上にはない

楽譜をこえて歌の生命と

一緒につながって

歌そのものが 歌うのだ


自分が歌うのではない

これを 楽譜にあらわせないものだろうか

歌君よ 我々に教えておくれ

お前は永遠に 知り人のみに

自分の姿を見せるのか


人々がお前の生きているのを知り

おまえの 歌いおどるのを聞いたら

悲しみも 苦しみもいっぺんに

なくなり

歌とおどりで この世が

うずまってしまうだろう

その楽譜を僕がつくりたいが

それはゆるされる事だろうか

まずそれを お前にといたい


歌いびと 歌君よ

毎日 私の前にあらわれて

きておくれ

そして一緒に 歌いおどって

きておきくれ

僕は はじめて音楽

いや歌うことが 好きになった

僕は昔から音痴で

歌うのがきらいだった

これで 勇気がでてきたよ

誰にも負けない立派な声で

歌が歌えるのだから

1965.10.31
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| 1965年 | 14:56 | TOP↑

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一つの道を

あなたと 私

私と あなたが

菜の花畑で

蜜蜂の羽音をききながら

立ち話をした


私と あなた

あなたと 私が

のどかな湖水に

釣り糸をたれて

キャッキャッさわいで

魚をつった

針をとられ

餌をとられて


私と あなた

あなたと 私が

長靴をはいて

山の小道

田のあぜ道を

うつむきながら 通った

ゼンマイ スミレ

タンポポ セリを

つみながら


あなたと 私

私と あなたが

大きな自然の ふところに

抱かれながら

一つの道を----           

1965.10.30.

| 1965年 | 11:47 | TOP↑

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瞑想なき瞑想

私の心は 打ちひしがれて

瞑想が出来ない

知性が 高次元の「知」と

出会い

知力をなくしたのだ


その前にあって

瞑想行は後退する


そればかりか

打ちひしがれた知力は

どこへかくれたのか


あわれにも

……序曲をなくした瞑想が

はじめられる


1965.10.20.

| 1965年 | 20:19 | TOP↑

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松たけがり

この裏山に 松たけが出るというので

弟子をつれて よじ登った

だがそれらしいものも

いや毒だけすら

みつからなかった


これは何も出ない山だなと

二人はつぶやきながら

ガサガサ地を這い

いじくりまわしていた


すると 一つの松たけを見つけた

二つ三つと 十に近い松たけが

出て来て

非常にうれしかった

面白い松たけがりだった


その松たけはラーマクリシュナだった

ことを

つい今朝まで 知らなかった

彼が私たちに 遊んでくれたのだ

その松たけは 村人たちの

言によれば

「アホタケ」というのだそうだ


1965.10.19.

| 1965年 | 20:16 | TOP↑

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生き者

声が歌った

歌は声によって歌われた

生きたもの 声の精が

生きて歌った


私は声そのもの

音声そのものがラーマであり

クリシュナであるという

神として生きてある

生命にふれた


生命が 音声がもつ生命が

歌っている

歌は さえて

涙が 眼にあふれる

ラーマクリシュナは 神は

音声 歌声の中で生きていた


歌声も 一つの生きものであった

それが勢いよく すべてに内在する

ラーマクリシュナを

讃えて歌う

1965.10.18.

| 1965年 | 14:11 | TOP↑

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