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1972年10月 | ARCHIVE-SELECT | 1972年12月

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梨のかおりが

梨のかおりが してくる

ご神殿に供えた梨から


この梨は 昨日 新潟から

おくられて来たものだ


彼は 給料が安いのに

わざわざ買って

遠い所から おくってくれた


その真心の 厚いその香り

であろう


神前に 火がともされ

香がたかれた

寒い冬の夜


まだ 氷もはってないが

ストーブを 入れはじめたばかりだ

新潟は もっと寒いだろう


聖者のような

天使のような 奥村さんの

あの細眼で笑う あの顔と心が

つたわってくる


彼こそ 天の一粒だねだ

生きたものでない 生きたものを

こえた 死んだものだ


草一つも抜くことが 彼には

出来ないのだ

私が 「草をひいてくれ」といったら

「私は草をひかないことにしてあるの

ですが……」と答えた


彼こそ 天と地をつなぐ者だ

細い眼をした 奥村さんの

遠い所からの贈り物 梨は

生々と神前に ならんでいる


彼の幸福を

ただただ祈る


1972.11.21.
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| 1972年 | 20:04 | TOP↑

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ヴェーダンタの社会づくり

ヴェーダンタ経済の社会は

血まようてはならない

新ウパニシャットの社会は

金の手に作品をけがすな

我が心をもけがすな


創造

芸術作品をいっぱいに各自がつくり

心と場所と世界を飾りつけよ

仕事はなんぼでもある


空虚な生活をやめよ

根と幹と果実を

一直線に保て――


1972.11.19.

| 1972年 | 17:33 | TOP↑

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芸術作品は



芸術作品は売るためのものではない

「贈り物」としてこの世に出すべきであり

そうされるべきである

芸術作品と経済とは無縁である


作品は芸術から贈り物として来たもの

経済の手をふれさすな

ふれた時には芸術作品ではない

生産された製品と作品とはちがう

芸術の創造は人によってなされ

贈り物として来た

故に贈り物として

止められるべきである

止めの中に それはそれとなる

けがしてはならない


1972.11.19.

| 1972年 | 11:34 | TOP↑

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新ウパニシャッドによる社会改造

一本の樹ができた

ラーマクリシュナはその樹になった

甘い果実だ

枝々と葉っぱのたわむれだ

あざやかな 青空

星々のささやきと

甘きよろこびの歓声の

歌を共に歌う 茂れる葉っぱだ


そして彼はヴィヴェーカーナンダに

太い幹をつける事を教えた

彼は世界をかけめぐり

大衆の中に入り込み

彼等に奉仕すべき事を

示された

彼は人間の中に神を見て

奉仕した

だがまだそれには根が

ついていなかった

すなわち下部構造だ

私はその下部構造をさがした

根の構造はどうあるべきか

社会の組織だ

社会の組織が改められない以上

いくら貧乏人に奉仕してもだめだ


樹の頂上に甘い実がなり

葉っぱが 星々の詩の中で

恍惚となっていてもダメだ

私は思い切って その仕事に

とりかかった

下部構造の設立に


根が出来て 幹が出来て 実がみのる 

神の名による一本の樹が

サット チット アナンダ

真実在にたっする根を知り

歓喜を歓喜たらしめる

根は神の真理の構造によってなされ

真理の養分を吸いこみ

幹におくり 枝々 葉の端々に

いたるまで おくられる

果実は 歓喜の甘実は

ここになる


真の民主主義は共産主義的な

社会の中に見いだされる

個人の利益と国家の利益が直結する構造

これこそ 真の民主主義である

今のような物の奪い合いの社会では 

悪の社会である

良くしようと人々は努力しながら 

悪がなんぼでもふえてくる

奪い合いの社会 これは真理に

反する

こんな社会をそのままほっておいて

何が奉仕活動だ

何が神だ

何が恍惚か


根がととのえられた時

実はみのる

サシダナンダの世界がくるのだ

天へ天へ水は根からくみ上げられる

自由 魂の自由が

この地下の構造から

一貫してなされて来るのだ


故郷は根にもあり 幹にもあり

枝にも 葉にも 実にもある

いたる所に故郷を見る

サチダナンダの歌ごえが

こだまする


さあ 力づよく国づくりをするのだ

民衆の国を 民衆の手によって

工業生産は個人にまかしてはならない

搾取は絶対やめねばならない

雇用関係は搾取である

個人と国家の利益を直結し

循環の法則にしたがわねばならない


根づくりに全力をかけよ

天を地にかえし

地を天にかえし

天と地をつなぐのだ

新ウパニシャッドの進軍ラッパが

ふかれた


1972.11.16.

| 1972年 | 10:44 | TOP↑

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恍惚は簡単に得られたが


恍惚は簡単に得られたが

感情を無力化することは

出来なかった

だが恍惚に入ることをやめ

感情の問題に打ち込んで

約八年かかったろう

やっと感情を無力化する法が

わかった

いよいよ実現一本への道が来た


能率を思うから感情がうごく

能率を考えず

滅んでもいいのだと思えば

それは無能化する

人を批判する心がおきたとき

ただちにお前自身に問いかけよ

「お前はそれを 彼を崇拝しているかどうか」と


崇拝にかわると そこから

神がみのりはじめる

愛は崇拝の木に咲いた

果実である


ラーマクリシュナの秘密は

その神(崇拝)を実現し

そこから 発しられる愛の光を

ひろげてゆくことにあった――

それから 可能となる


1972.11.07.

| 1972年 | 09:03 | TOP↑

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私はラーダ

私はラーダ 私はラーダ

内なるクリシュナに恋するラーダ

笛は 笛は

内なるクリシュナのふく


ふるえもだえて私は

クリシュナの御足の許にかけよる

涙は 涙は 洪水となる

私の内なるクリシュナ

あなたの内なるクリシュナ

サチダナンダの笛の音


クリシュナの笛をふく

指が見える

ラーダは狂いそう

おお 私の愛するクリシュナよ

にげないでおくれ


もし私の意識がマーヤの

世界におちて

さまよう時

笛を笛を強くふいておくれ

サチダナンダの笛の音を


クリシュナは来る

おお光となって私の中に

クリシュナよ 光となって

私の中に


1972.11.06.

「我々は神の笛を忘れてはならない

光となることを忘れてはならない」

神話はこの笛を吹くものと 光となって舞うものとの二つによって創り出される 

自分自身が神話のかたまりとなることである


| 1972年 | 19:45 | TOP↑

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クリシュナ

クリシュナがいます 私の中に

私の中に クリシュナがいます

あなたの中にも クリシュナがいます

クリシュナ クリシュナ

あなたの中に クリシュナ クリシュナ

私の中に クリシュナがいます


ラーダはよろこびで

みたされています

私は ラーダ


1972.11.06.

| 1972年 | 19:21 | TOP↑

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