FC2ブログ

1973年10月 | ARCHIVE-SELECT | 1973年12月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

梵の洪水

おお神よ 私を泣かして下さい
私にはそれしか 楽しみがないのです
それ以外 この世に何の楽しみがありましょうか
私を泣かせて下さって有難う

私は泣いて泣いて 泣きの中にひたる
梵は私だ 私は梵だ
私は消えて 私は消えて梵となった

泣きこそ 梵
梵を泣かせて下さい
これ以上の喜びがどこにあろう

私なる我は 消えて
神も消えて 梵のみとなる
その梵が あちらにあったものが
すごい偉力ですべてを貫いている事を
うすうす感じていたが
それをとらえる自己のない状態が続いてしばらく待った 

だが 来るものは来た
それ 光は我が内に来た
我が梵の中点となった
泣いて 泣いて 洪水が 又もややって来た

この洪水は昔味わっていた洪水とは 違ったものだ
自己のない梵の洪水だ
全て 幻までが光に満ち 
泣きの涙に震え もだえ輝いている

ただ 泣きだけしかない
梵一色 我れのみ
自己のない 神のない 彼方なる真実なる実在

梵も消え 己が梵となる
梵が自己のない中で 自己と一つとなる
泣きは洪水となって押し寄せ 我を呑み込んでしまった
世界は泣きのる壺の中にあった

これ以外にこの世に喜びというものはない
私はこれを探していたのだ

来るべきものが 来たのだ
すべての多様性は消え 自己も消えた
闇も光もなにもない
泣いて 泣いて 泣きの光 
それだけしかない

歓喜だ 泣きそのもの
それは我を中心とした時 ピタリと全て合った
そして すべてはそれとなった
泣きだ 洪水だ
押し流されてしまうのだ

おお 我!
梵よ!

1973.11.26.
スポンサーサイト



| 1973年 | 13:59 | TOP↑

≫ EDIT

芸術的愛撫

芸術的愛撫 芸術的愛撫
今までの人間の愛撫は感覚的 
感情的な愛撫であった

芸術的愛撫とは 
創造の中で行われるのである
いわば その愛撫そのものが
創造である

創造には始めも終わりもなく
感覚 感情もない
感覚的 感情的な芸術作品は
芸術作品ではない
それは初段階のものであって 
創造的ではない

創造には 自分が無い
自分の無いところに完全創造がなされる
完全創造がなされた時
そこに 芸術が 
芸術として露わになっているのである

神とはこれであり これが神である
ブラフマンは「それ」である
無感情 無表情
それこそ芸術作品の完成である

一つの華を 一つのやさしさを
あるものに 或いは無いものに
供え さすり 仕える時 
創造が始まる

人間が 人間の世の中を良くするのでもなく
創造の中から
人間の助かる社会が生れ出てくるのである
いわゆる人間が消えたところから

人間の実現は 
神の実現にほかならないし
創造の始まりであり 
詩と歌いと遊びの始まり
舞と 踊りの始まりである

感覚と感情の無い所から 
自己の無いところから
実現が 創造がはじまる

1973.11.02.

| 1973年 | 15:34 | TOP↑

| PAGE-SELECT |