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1975年10月 | ARCHIVE-SELECT | 1975年12月

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神々よ 来い

神々よ 来い

我がまわりに

神々よ 来い

我が足許に


そして 憩え

そして 歌え

そして 踊れ

わが足許に

来て 憩え

 
神々よ 

我が身辺に

憩え 憩え

我が許で


星 星々も

星 星々も

来て 憩え

歌え おどれ

我が許で


しかし我は

汝等を見ない

我が眼中には

汝等もない


相対はすべて

切り捨てられている

我が環境は はるかに

広い


はるかに広い野原であり

丘である

そして麦畑である


何もそのあたりには

見えない


1975.11.30.
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| 1975年 | 15:46 | TOP↑

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芝居と役者

消えても 現われてもよいが

役者ではない者

そのものである事

そしてその 消え現われるその中にも

「現在」がないもので なければならない


ピュアーには 現在がない

本当の芝居も役者も

そこからくるのである

「現在」のない者が

どうして そこで芝居がうてようか

本当の芝居は 「現在」のないそこから

うたれるのである


花が現われた 「現在」のない中から

現在のない所で 花が現われた

――現在という時間は

ないのである

現在という時間性の中に

物があるように見えるが

物はただ そのようにあるだけである


時間という現在の背景はないのである

ピュアーの中にすべてが 浮いてあるのである


役者は現在の中にある

現在の中にあるものは すべて芝居である

芝居と実相とはちがう


芝居には役者が必要であり 現在が必要である

この芝居は芝居にすぎない


実在こそ 本当の芝居である

そこには 役者も現在も芝居もない


1975.11.29.

| 1975年 | 10:34 | TOP↑

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大きい環境

人間を居らすだけの

「環境」でなしに

宇宙の一切を居らす

「環境」になる

この環境は大きい

どえらくおおきい環境だ


こんな環境を考えたことも

なかった

そんな大きい環境を

今 思いついた

やはりピュアーそのものだ

創造がその後にくるもの

そんな世界だ

そこには創造も ないものだ


こまっしゃくれた芝居や 役者もないもの

そのものだけの世界 

環境


1975.11.29.

| 1975年 | 10:09 | TOP↑

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平安な最初のアメリカの秋

今日は寒い日だ

カリフォルニアでは

こんなに寒い日はない

という程の日だ

しかし私は「環境」になろう

という詩が 生れて以来

最も平安な心境の

日々を おくっている


生涯これ程 平安な日々を

おくったのは はじめてである

心は すごく平安だ

何の恍惚もなく

神も自分もない 安定した世界だ


やはり人間は 努力すれば

ここまでやって 来れるのだ

ついに来るべき所まで

来たような気がする

幾何学の世界

まさかこれが アメリカであろうなど

夢にも 思われない


ここは アメリカなのか

日本なのか インドなのか

そのいずれでもない ここは

ここだ



アメリカで こんなことになるとは

夢にも思っていなかった

アメリカに早く行けと

インドにいた時に神から言われて

すぐ来たのだが やはり

来てよかった

その実績は車にはつめない


1975.11.28.
  

| 1975年 | 23:54 | TOP↑

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幾何学と物理学

環境になれる

そして又 消える

環境から 又他の物にもなれる

「天馬と私」(詩)のような風景になれる

そして又 瞬間に消える

消えることが 出来た

消える そして他の物になれる

環境になれる そして又 消える

消えることが出来る


幾何学の世界 幾何学の世界の中で

ぐるりと回転する

幾何学の世界は

物理学の世界とは ちがう


物理学の世界はこの世を この世の現象を扱う

即ち 次元の世界を扱うのである

そこには 相対がいつまでもある

他を見る自分がある


相対の中で 他を見る学問が

物理の世界である

幾何学は 相対の世界ではない

次元の世界ではない

創造の世界だ

創造は消えた世界からおきる


創造は 物理の世界からはおきない

すっと消えたそこから 創造がおきるのである

アインシュタインの世界だ

彼が 最後に見つけた世界だ

幾何学の世界だ 物理の世界ではない


今日までの 宗教はすべて

物理的な世界だ

相対の中での世界だ


自分が消えないで 消そうと思っても

無になろうと思っても 無我にならない

消えないのだ


自己があって 他を見る世界が

今日までの宗教だ

物理の世界と同じだ 物理学的宗教である

これがいわゆる信仰宗教である


なぜなら 神がある

神があるのは 自分があるからである

神がある以上 自分があり

自分が 神になろうとしても

神にはなれない


アートマン説も間違っている

それは自分の延長である

自己の内なる神性の延長である


これでは自己が少しも消えていない

だから 神もあるのだ

これは物理の世界だ 次元の世界だ


幾何学の世界は 次元ではない

消える世界であり 創造される世界である

シャボン玉が吹き出される様に

プッと創られてくる世界である

ここには次元がない


家を建てるには

縦横高さというように

次元を持って来て建てるが

この宇宙はそのようにして

創られたのではなく

シャボン玉が創られる様に

プッと創られたのである


次元をもって この世は

創られたのではない

創られたその後に

次元があったのである

これを扱うのが 物理の世界である

創造の世界で扱うのが 

幾何学の世界である


消える世界だ

そして何にでもなれる世界だ


アインシュタインはすばらしい

彼はすばらしい世界を発見した

消える世界 回転する世界

二つの視点がなくなった世界

これをアインシュタインは

発見したのである


自己が消え 世界が消えないと

次のことが起きない

無限の世界が アインシュタインの前に

展開したのである

「静止」の世界だ

物理学と幾何学の違いと

信仰宗教と神秘思想の違いが

ここに明らかとなった

やはり今日までの宗教にはすべて

限界があった


1975.11.28.

| 1975年 | 11:51 | TOP↑

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環境になろう

純粋な心を取り戻すには

広さが必要である

静かで 見渡す限りの

平原が 或いは丘が

なければならない


人のあまりいない

広々した 所だ

すぐ隣に 住人の建物が

あってはいけない


アジメールの様な

あまり人気のない所

クジャクが 入って来る様な

自然な所が必要だ


人間は賢くなる必要はない

明るい眼の輝き

自分の中に相手を見る様な

相手の中に自分を見る様な

警戒心のない

透き通った 眼の世界

ピュアーな世界

天人たちのような 世界


人も世界も すっと

いつの間にか

消える様な世界

幾何学の世界に

私は住みたい


霊感や神通力や

超能力の世界でなしに

すっといつの間にか

消えられる様な

幾何学の世界に

私は 住みたい


その中に

もぐってゆこう

その中で 遊べる様な

気がする

そこでは 神々への

祈りも消えて

一人が遊ぶのだ


やはり 神々に願わない

ことにしよう

神々と 遊ぶ様にしよう


願ったからとて 仕方がない

あくまで ピュアーなる自己を

確立しよう


願うことは 弱くなる

ピュアーな世界を 

自分でつくろう

自分が 神になり

自分が 太陽になり

自分が 「環境」になろう

私の中で 人々が憩えるような


私は 広い野原

私は 広い丘

私は 静かな麦畑

私は クリシュナの笛の音

私は あなたの庭に

忍び寄る クジャク 


神々への祈りは やめよう

泣く事も 涙を流す事も やめよう


私は 強くて幾何学の世界で 遊ぶ者

遊び手そのもの

神も 神々もうらやんで

そこに 遊びに来るもの


香りが きれいな香りが

におってくる


私が 広い広い遊び場になろう

やはり 神々に頼む事をやめよう

祈る事もやめよう

私がその「環境」となろう


しかし 本当の環境も必要だ

早く そんな広い土地を

環境を持ちたい


だがまず 自分がその「環境」となろう

人の事を考えるな

自分が ピュアーの世界の中におれ

それだけで 「環境」はつくれる

他を気にするな

ハレボーをとなえよ

手を打って 歌え

ハレボーだけで 十分だ

相対の一切の価値を切った時

その世界の外に

いわゆる ピュアーの世界にいる

そこには 神も人も何もない

純粋な世界 純心な世界だ


ここに行くより 道は何もないのだ

人々の救われる道が

祈りで人は 救われるものではない

それは一時の救いだ


ハレボーをとなえて

手を打って歌い 踊れ

ピュアーの世界に入る


他を見るな 相対を見るな

一切の価値を切れ

そしたらすべてが

もとの純心な顔でおれる


真の世界が来るのだ

それしか他に道はないのだ

信仰宗教の道に

一歩も足を踏み入れるな

迷い道をするな

歌え


1975.11.20.

| 1975年 | 23:37 | TOP↑

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真理

真理は

どこにもない


真理は 自己をなくした所

だけにある


1975.11.20.

| 1975年 | 15:48 | TOP↑

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早く純心な社会が

私は泣きます

人の為に

神の為に

自分の為に 泣くのでは

ありません


私の寿命を ちぢめてもいい

彼等に 彼女等に

幸せな 寿命を

与えてやって下さい

私の寿命が ちぢまっても

かまいません

私はもう 無いのですから


彼等は 彼女等は

もっと とても純心でした

ところが 世の荒波に

もまれて

いわゆる 賢いという人間に

なりました



これは 決していい事では

ありません

これは 警戒心の結果です

子供の頃は 何の警戒も

いりませんでした

だから神様の様な

顔をしていました


その顔が 次第に

大人の顔に

いわゆる しっかりした

賢くて 人に騙されない様な

顔になって来ました


これは 決していいもの

ではありません

警戒して 生きて

ゆかねばならぬ様な

社会は ダメです

そんな社会は いやです


純心がきづつくような社会が

私のまわりにも

いっぱい あります


私は その者たちの

昔の顔の 写真を

いつも 思い浮かべて

かわいくもあり

悲しくもあり

いたたまれません


社会の悪が

人間への警戒が こんなに

顔まで

賢い顔に

純心を 失わせた顔に

してしまいました

私は 何と言って

神に おわびすれば

いいのでしょう


神よ 人々をもとの

純心な顔で 押し通せる様な

社会を 早くつくって下さい

私に 協力して下さい 


祈らねばならない 事が

たくさんあります

神よ 私の寿命が

ちぢまっても いいから

彼等を 助けてやって

下さい


そして又

純心な 顔で押し通せる様な

警戒の いらない社会を

早く つくって下さい

私に 協力して下さい

お願いします


無い私が たのむのです

ピュアーの彼方から

おりて来て

私は 地上の神々に

協力を 求めます


私は 二十歳前の

彼等の顔を

その写真を

思い浮かべる たびに

心が いたみます


そして 彼等を

かわいくて 仕方ありません

誰を とがめる事もなく

何を とがめる事もなく

神のような 心で

神のような 純心な顔で

居れる 日を

居れる 社会を

一日も早く 私は望む


1975.11.20.

| 1975年 | 10:36 | TOP↑

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遊べ

遊べ 遊べ

子供のように 遊べ

大人は あまり大人になりすぎた

子供のような 遊びをしないで

賢そうな 遊びをする

子供のように大人も

遊べる日が 一日も早く

来ないものか


大人は あまり科学的に

遊びすぎた

情感はなくなり

感情的 知的になって

ますます 苦しむ

人間でなく コンピューターの様な

人間になりつつある

冷たく しかめつらをした

情感のない人間が

これからの社会に一杯になる


大人の遊びは 更に

精密になり

物質を消したり 現わしたりする

ところまでゆく

そして その時が 

人類の滅亡する時だ

人間が 人間でなくなる時だ


みな 機械のような

コンピューター人間に なってしまう

今も人間は 徐々に

そうなっている

それに人は気付いていない


すでに 今の人間は

人間でないのだ

人間だと 思っているが

お前は人間ではないのだ


それは六千年昔から

そうなり始めて

今にいたっているだけのことだ


今の人間は 元の人間を

思い浮かべる事も

出来ない

迷える悪魔のような

人間だ

以前の人間から見れば


お前の顔を見ろ

賢そうな その顔を

それは けがれて

よごれて 悪くなった顔だ

元の顔に帰れ

一万年以前の自分の顔に


その時はとてもきれいだった

透き通るような顔

眼に何の疑いも

警戒もない

すみきった輝き


今 眼が輝いている者は

ほとんど いない

よごれた 疑いの眼だ

六千年以前の 自分にかえれ

社会は 蘇って来る


祈れ その為に祈れ

神々の名を 呼べ

ただ それだけでいい

神々の名を 呼ぶのだ


一日に何べんも神の前に 坐れ

そして 祈れ

涙が こぼれるまで

涙が 汝等を

社会を きよめてくれる


子供の時に よく泣いた

あの時の 涙を

もう一度 出すのだ

ピュアーの世界には 

知識は ない

ピュアーの世界には 

涙がある


赤ん坊は その涙を

出すのだ

大人も その涙を出して

天の故郷を ここに

実現しよう

天の前に ひざまづく事だ



大人はダメだ

いろんな事を 考えてばかりいるから

祈ろう

身のまわりの人々から

そして 泣こう

純心な 昔の心と

顔になる様に

そんな社会が 来るように

泣いて 祈ろう


泣くことと

遊ぶことと

祈ることと

甘えることは

同じだ


1975.11.20.

| 1975年 | 00:31 | TOP↑

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諸行無常

一切相対に価値を見ない

という事は

諸行無常ということと

同じである


諸行は無常である

故に

永遠なるものに足場を

おかねばならない


この世の如何なる事も

すべて常がない

生あるものは滅する


栄える者は いつか

かならず衰える

滅びる

栄える事は

余り長くつづかない

そのうちに滅びがくる


ピュアーは この世の向うに

ある

その生滅の世界の

むこうにある


永遠なるものは この世には

ない

ピュアーは この世にはない


この世での繁栄を 

考えてはならぬ

人は生きてゆける

だけでよい

この世に 栄えに来たの

ではない

永遠をつかみに来たの

である


この世の自分

これら一切からはなれよ

天上の自己となれ

ブラフマンこそお前だ

アートマンを気にするな


それは 地上に人間を

ひっぱる

ただブラフマンのみを念じ

ただブラフマンに参入する

ことのみを考えよ


それ以外の 神も 物も

自己も 繁栄も

すべて捨てよ

諸行は 無常である


以前に意識に

三種類あることを

教えた

忘れるでないぞ


1975.11.07.   

| 1975年 | 10:56 | TOP↑

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