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1975年11月 | ARCHIVE-SELECT | 1976年01月

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言葉

この世が自分の舞台で

あってはいけない

自分があると この世の舞台がある


気狂いの世界

相対でない世界

一つなる世界

源創造の世界

ピュアーな世界のみである


口を塞げ

手が上がる

意識が停止する


言葉を出すと

この世が自分の舞台となる

口を塞げ


1975.12.31.
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| 1975年 | 09:27 | TOP↑

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質疑応答 ブラフマン(絶対)とは?

質問  では すべてがブラフマンなのですか

答   そうではない すべては すべてだ

    ブラフマン(ピュアー)は それらの
    
    中にも 外にもない


質問  それでは すべてと ブラフマンの二つが

    あるのですか

答   二つはない そのようにおいて考える

    相手ではない

    ブラフマンはそのようにして 比較したり

    ならべて考えられたり 出来るものではない


質問  ではブラフマンは どこに有るのですか

答   ブラフマンは どこにもない 

    あそこ ここというような 位置がない


質問  位置がないものが どうして 存在

    しうるのですか

答   存在するとか しないもないものが

    ブラフマンである


質問  では そのように あるのですか

答   あるのではない そのようなものだ


質問  人間は ブラフマンですか

答   全然ちがう


質問  一切は ブラフマンですか

答   ちがう


質問  では ブラフマンでないものが どうして

    ブラフマンに 帰れるのですか

答   ブラフマンは それらの元であるからだ


質問  では 人間や一切には ブラフマンの

    性質があるのですか

答   ない


質問  ないものが どうして それに帰れるの
 
    ですか

答   それらの 元であるからだ


質問  ではブラフマンが それらを生んだ

    のですか

答   生んだのではない ブラフマンには

    生むとか 生まないがない


質問  ブラフマンから 一切がどうして

    現われたのですか

答   ブラフマンが 一切の元であるからだ


質問  そのブラフマンは いつ どうして出来

    あったのですか


答   ブラフマンは 出来たのでも 何でもない

    それには 始めも 終りもない

    それ自らが あるのだ そして それは

    有るとか 無いとか いうものではない


質問  人間は それであるということは

    何ですか

答   人間の元が それであるということだ


質問  では人間は 無情であり 幻なの

    ですか

答   それは人間の考えることだ 人間は 
   
    幻でも 無常でもない それは

    感覚的にとらえているから そう見える

    のだ


質問  ブラフマンが 一切に遍満しているの

    ですか

答   ブラフマンには 遍満も 一定所もない


質問  では アートマンと ブラフマンと どんな

    関係が あるのですか

答   関係があるとか ないとかいうもの

    ではない

    そういう意味からすると 関係は

    ない 相対的にものを考えるな

    お前の言っていることはすべて

    相対的である

    相対をなくせ 相対をなくしたら

    人間も 一切も アートマンも ブラフマンも

    なくなる

    ブラフマンは そういうようにしてある

    ブラフマンは ピュアーである

    相対感覚の何物も近づけないもの

    である


質問  では 真理はこの世にあるのですか

答   ない この世にも あの世にも いずれにも

    ない それが真理だ そんなことを質問

    するお前をなくせ


質問  では この私は何ですか 有るのですか

    無いのですか

答   あるなしではない ピュアーそのものだ


質問  ピュアーという私が あるのですか

答   ピュアーという私はない ピュアーとか 

    私とか あなたはない ピュアーが

    あるだけだ


質問  では ピュアーである私が ないのなら

    私は どうなったのですか

答   消えた


質問  どこへ消えたのですか

答   消える所へ消えて なくなったのだ


質問  すべてを消す所が ブラフマンですか

答   そうだ ブラフマンは「お化け」の

    ようなものだ


質問  そんなものを 一生懸命に捜し

    求めたのは 間違っていました

答   そうだ 捜しまわるものは バカだ

    お前自身が あれではないか

    憩え 憩いこそ お前だ

    捜しまわっても 見つかるものではない 

    それは 相対の中を

    かけまわるだけだ

とどまれ 静止せよ

    それは静止だ おどれ それ以外に
  
    何もないのだ 

    ブラフマンから お前は逃げ出せ

    ないのだ

    ブラフマン以外に 何もないのだ

    とまれ とどまれ 憩え 歌え

    おどれ


質問  どのように 踊るのですか

答   狂っておどれ

    それは お前たちのいう狂いでは

    ない 常識 知識 理性を

    もたない地点だ

    そこには 宇宙創造以前の

    原創造の躍動がある

    静止の躍動だ 停止の躍動だ

    相対世界のない ピュアーなる躍動だ

    手を高く上げて おどれ


1975.12.23.

| 1975年 | 19:07 | TOP↑

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その栄光を讃えよ

神々を讃えよ しかし

ブラフマン実現のための

足場とするのでなしに

ブラフマンに行ってから

神々を讃えよ

神々と共に ブラフマンを讃えよ


神々も人間も宇宙の一切が

ブラフマンに到ることが出来る

故郷に帰れる そのそれを 讃えよ

神々もすべてのものの故郷を

讃えるのだ

その神々を そのすべてを讃えるのだ


それは神々やすべてを

讃えているのとはちがう

彼等の故郷を 讃えているのである

彼等がその栄光を持つものである

その――それを讃えているのである

その栄光を


栄光あれ 神々よ

すべて万有よ

共にその栄光を

その故郷を讃えよう


神を拝むことが

ブラフマンに到る足場

道と考えてはならない

我々には道 途中は

……課程はないのだ

我々はそのもの自体だ

それが我々なのだ

それである者に

課程がないのだ


汝はそれだ

それが汝ではない

汝はそれだ

すべてがそれだ

ただ 認識あるのみだ


三つの課程――カルマヨーガ 

ジュナーナヨーガ バクティヨーガは

それへの道としてはならない

我々には道はないのだ

そのもの自身だ

汝はそれだ それを感得せよ


星をながめよ 大脳が静まって

それがわかってくる

一切の現象を切り捨てよ

すべてが一つなるブラフマンである


私とあなたはない

私と神もない

アートマンとブラフマンがない

課程も相対もない


我々人間がその課程と

相対をつくって

その中で生きているのである


我はそのすべてを飲み込む怪物である

怪物が今三叉の槍を持って

のそりのそりと歩いて来たのである


すべての者の持つ相対意識は

その怪物の持つ三叉の槍に

突き殺されてしまうのである


1975.12.23.

| 1975年 | 10:48 | TOP↑

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三叉の槍

汝は三叉の槍を持つ者

ドルガ女神はピュアーの権化である

その槍で うろついている者を殺せ

悪い事をする者を つき殺してしまえ

三叉の槍を汝は持っている


我はドルガの女神

三叉の槍を持つ者

自分というものを持つ者を

殺してしまえ

「自分」「自己」を殺してしまうのだ

三叉は「自己」を突き殺すものだ


自分のある者は悪いことをする

「自我」を殺す時が来た

三叉の槍の活躍する時が来た

ピュアーの世界に人々を

おくる時が来たのだ


奮え力を 槍を持つ手を休ましてはならない

突け「自我」を 自我を突き殺せ

大風が吹いてきた ピュアーの世界から


この気違いの男の 去った後に

人も家も財宝も 

月も星々もこの宇宙が

こわれそうになった


人々は神に祈った

だが神々は助けには来なかった

ただ神々は言った 口をそろえて言った 

「自我をなくせ」 「自我をなくせ早く自我をなくせ」と


自我をなくす嵐が

吹きまくる時が来たのだ

早く自我をなくした者は助かる

自我をなくした者だけが

早く助かるのだ


世の中の混乱はますます混乱し

物価は高くなり 生活が苦しくなる

その時ドルガは人々を助けに

三叉の槍を持って 暴れに来るのだ

人々の心があまりにも穢れた時に

三叉の槍がそれらを救うであろう

三叉の槍がこの世に現れてくるのだ


ドルガ女神が

一たび怒ると この地上に

大雨をたたきつけ 大洪水に人々を

浸してしまうであろう


自我をなくせ 自我のない世界をつくれ

さもなくば 三叉の槍は汝を

突き殺すであろう


我を見るな 他を見るな

ピュアーのみを念じよ

ピュアーに到る事こそ

汝等の目標なのだ

ピュアーこそ 汝の一切である

目覚めよ 人類よ


1975.12.22.

| 1975年 | 10:22 | TOP↑

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ある男がいた

ある所に一人の気違いが住んでいた

彼は何も持っていなかった

金さえも そして彼は

「私は 君達の住んでいる裏側の世界に

住んでいるのだ」 と言った


誰にも彼の言う裏側の世界と

いうのが わからなかった

彼は道端でもどこでも

歌を歌って踊っていた

誰の眼にも彼は

「神」のように見えた


神の中で遊んでいるのかと問うと

「いや 神も何もない世界だ」と答えた

神もこの世界に来たがっている

世界だと 付け加えた


人間は彼の言葉を聞くのを楽しみにしたが

多くの人々は彼を気違いだと言った

まさしく彼は ブラフマンにとりことなった

気違いであった


まるで彼にはこの地上のものが

眼に入らないかのようだった

眼はいつもどこかを見ていた

彼の言う言葉によると

「そこはブラフマンの世界だ」と

そこはどんな所かと尋ねると

そこは「自分のない所だ」と答えた

宇宙があるのかと尋ねると

「自分のない所だ」と

同じ答えが返ってくるだけであった


或る日 彼がふいに

いなくなってしまった

まるで消えたかのようだった

人々は自問した

彼が正気なのか

……我々が正気なのか

一体どちらが気違いなのだろうかと

しかし自分たちを気違いだという者は

一人もいなかった


しかしその気違いの男を 気違いだと

思う人もいなかった

彼の輝ける夢見る眼には誰も

心ひかれるものがあったから


1975.12.22.

| 1975年 | 05:32 | TOP↑

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時が来た

あなたには故郷があります

その故郷は

すべての者の故郷です

神 神々も我々と同じ故郷をもつ

月 星々 太陽もまた

我々と同じ故郷をもつ

天も地も空界も

過去も現在も未来にくるものも

すべてその一つの故郷から来た


この物質宇宙が崩壊する時

それは その故郷に帰ります

その故郷

どれだけ大きいか誰も知らない

その故郷は善も悪も

すべてのものを 飲み込んでしまう


行く者だけが行ける世界で

行かない者は 行けない世界である

行っておっても 行っている事を

知らない者には 行っていないのである


それ自らが 自分であることに気付き

「それ」に自らがなった時 それはそれとなる

「それ」の前には何物もない

形ある物も 形ないものも

「それ」にはない

「それ」には我々の知識では

入って行けないのである


この世の一切から離れた時

「それ」に入る

それに入る入口に

大きな口を開いたワニが待っている

そのワニの口の中に 

入る勇気を持った者だけが 

その口の中に入ってゆける


そのワニは先ず舌で

汝の顔をなめるであろう

それからワニはもう一度

汝をかみ殺してもいいかと

尋ねるであろう


その時何と答えるか

かみ殺されてもかまわぬ

と答えた者だけが

「それ」の門前に立つ事が出来る

その門は汝に 尋ねる

宇宙一切のものと

わかれたかと


「わかれた」と答えたら

その門は開かれる

その入口で彼は

消えてしまう


ピュアーな大波が

彼をさらっていったのだ

ワニも人々も門も

宇宙も消えて

静止した世界だけがあった


自分のない世界で

あなたもない世界だ……

そこには自分もない


1975.12.22.  

| 1975年 | 03:30 | TOP↑

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すべての者の故郷

純粋一元論の実現こそ

人間の最大の目的である

自分を消して相手になるというのは

自分と相手との「故郷」ピュアーに

即ち 「それ」に定着するのである


相手の「故郷」自分の「故郷」

共に同じ「故郷」をもつ

「それ」に成るのである

幾何学の世界で

相対を消すのである

私はあなたに なるのではない

私もあなたももつ

「それ」になるのである

視点が消える

幾何学の世界である



星を見よ 星を見ておれば

人間のカルマがすべて

消えてしまう

そして 相手のない

ピュアーの世界に入れる


そこがすべてのものの故郷である

いかに罪多くとも 人は救われる

星さえ見れば

星さえ 見ておれば

汝は恍惚を得る

人生の唯一の目的が達せられる


1975.12.22.

| 1975年 | 00:04 | TOP↑

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アメリカに来て

アメリカに来て

はっきりした事は

今までは アートマン説は

間違いであるとして

それにあまり 関心をもたず

ブラフマンのみを求めて来たが

アメリカに来てから 

アートマン説の間違いが

もっとはっきりしてきた

「ハロー」「ハーイ」の言葉を 聞いて

彼等には 自分がない事を知った


アートマンを排除していてもまだ

ブラフマンを求める自分があった

即ちまだ自己があったのである


それでは二元の中で

一つなるものを求めている事であると

発見したのである 

それから 「それ」に没入することが出来た


それで今までのアートマン説が

間違っていた事をはっきり知った


歌を歌う時も

自分が歌うのでなく

「それ」になって歌うのだ

又他人と会っても

自分が他人……その人を

見ているのでなく

その人に成るのだ


そこには他人というものがない

二つがない

――自分がないその自分が

ない状態で「それ」に成って

歌うのだ


その時世界の社会構造が

かえられてくる

相対のない世界だ

金も――経済もない社会が

出来るのだ

ここまで来ないと

人間の「実現」とは

いえないのである


1975.12.21.

| 1975年 | 09:55 | TOP↑

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遊ばし手は遊び手

我は消えるものでなく

我は消すもの

幾何学の中心軸である


その中心軸が廻ると

ぐるりとそこで すべてを変え

すべてを 消してしまう

不可思議なものピュアーは


ピュアーはまるで

道化師のようだ

すべてを消したり

現わしたりする

まるで道化師だ

遊び手そのものだ

遊ばし手そのものだ


そこですべては

手を打って踊る

宇宙のすべてが

手を打って踊る

踊りまくる気違いの群

遊び 歌え

踊れ その軸の中で


我は遊び手

遊ばし手

宇宙をあやつる者

大自由の地主であり

オーナーであり ボスである


「彼」のもとでは

すべてが 消されてしまい

すべてが 純化されてしまう

すべてが 大自由化させられてしまう


1975.12.19.

| 1975年 | 09:56 | TOP↑

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原創造

相対が静止となる

そこに 躍動がある

ピュアーな躍動がある


停止の中から

偉大なものが生れる

知識でない知識

理論でない創造

幾何学の世界


ローズの詩のように

凝縮していた物の中から

ローズの香りが

ひろがり 飛び出すように

飛び出してくるのである


そこには理論をこえた

ものがある

それが創造だ 「原創造」だ

ただの創造ではない

「原創造」は詩的であり 霊感的であり

理論を知識をこえている

凝縮は停止と同じだ


リグヴェーダの宇宙創造の詩を見よ

理論の世界ではない

霊感の世界だ


気の狂う世界だ

気の狂う入口が 見付かった

気の狂う入口が

見付かったぞ


即ち知識の介入しない

世界だ

大創造

原創造の世界だ


1975.12.12.

| 1975年 | 13:28 | TOP↑

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