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1978.11.30 Thu
やさしい複合線
やさしい複合線
やさしい複合線
やさしい複合線の神話
すべてのものは
やさしい複合線の
神話である
詩である
ガーディナーであろうと
掃除夫であろうと
ペンキ屋であろうと
それらすべては
やさしい神話である
それらすべては
やさしい複合線の
神話である
ペンキ屋の仕事であろうと
ガーディナーの仕事であろうと
くまでを持って
落葉をかき集める
掃除夫であろうと
……おどれ
おどれ
仕事の最中でも
おどれ おどろう
歌え 歌っておどろう
神話だ 詩だ
あなたの仕事が
私の仕事が
その行為一切が
やさしい複合線の
神話である
それに気付いたならば
人は幸せをうる
幸せにみちてくる
宇宙を知る
おどろう
すべてが詩だ
すべてが
やさしい複合線の
詩だ
アメリカの高層ビルの
林の底辺で
ごそごそ働いているガーディナーであろうと
寒風に 或いは 酷暑に
身をさらして
ペンキを塗っている者で
あろうと
詩である
神話である
うたえ おどれよ
巨大な機械文明の
ただ中に住んで
車をはしらせ
仕事場に向かう者
これらすべてが詩である
樹が立っている
これもすべて 神話であり
詩である
やさしい複合線の
詩である
おどれ うたえ
神話の中でうたえ
おどれ おどれ
仕事にひしがれるな
いやしい仕事も 何もない
行為のよしあしもない
形 決まりにも
ひっかかるな
のびのびと
その神話の中に
とけてゆけ
「やさしい複合線」
この言葉をつねに
となえよ
汝はやさしい人間と
なれる
すべてにやさしい人間と
なれる
何者にも 何事にも
ひっかからずに
やさしく 平和で
幸せにみちた
神話そのものの中に
とけこんだ
人間となれる
形 決まり 人の行為の
よしあしを見るな
やさしい複合線の重なり
むすばれとひろがりに
よって
神話を 詩を つくれ
その中に 潜入してゆけ
おどりが はじまる
おどりが はじまる
1978.11.30.
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| 1978年
| 13:11
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1978.11.29 Wed
やさしい複合線以外には
何もいらない
それ以外のものは
すべてカスである
形や決まりの中で
人は 一分 一分すごし
一年 二年 三年とすごしている
いらない事ばかりして
いらないことばかり考えて
つまらない 悩み多い人生をすごしている
何千年も
「複合線」
やさしい複合線だけが
我々に必要なのだ
それ以外のものは
何もいらない
それ以外の事は
何もする必要ががない
複合線 やさしい複合線
細かい 低速のような
波動の重なり
重なって それは ひろがってゆく
「複合線」
それ以外のものは
何もいらないのだ
知恵は最後にこれを
見つけ出したのだ
光の光線の
光速のあみの目をとおして
そのとおしは
光速であまれたとおしは
すべてのものを
ふるいにかけて
ただ一つのものを
最後にひろい上げた
それは「複合線」
それ以外のものを 持てば
それ以外のことをすれば
それ以外のことを 考えれば
人は悩みの中に入ってゆく
「複合線」
やさしい複合線こそ
黄金
光速のとおしの目をとおし
最後にのこった
ただ一つのもの
細かい細かい光速の
とおしは
細かい 細かい
やさしいものを
最後にのこした
それは ひろい上げられた
それこそ 「それ」だ
芸術だ
その芸術以外に
何の芸術もいらないのだ
それは
ひろい上げられたもの
すくい 上げられたもの
きたえ 上げられたもの
一つの 賜
1978.11.29.
| 1978年
| 11:05
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1978.11.28 Tue
やさしさ むすばれ ひろがりの
この三つの哲理が
今 ここに見事に実現された
やさしい複合線
ここには重なりの線が出されている
そしてさらに さらに複合線は重なり
創り出され 拡がるのである
幸せがぶらさがっている
まさにそうだ
「複合線」これで山になれの詩も おどり手の詩も
そこにふくまれてくる
見事に 哲理と科学的実証がここに結ばれ 実現した
約十三年間かかった
サークル サークル 循環 循環
哲理が始めに出され 科学的実証がそこになされ
それは輪となった
連なったのだ
連なって 動き 拡がり 走るのだ
まさに輪の動き 生きた輪だ
踊りだ 踊り 舞踊だ
天子 天女たちが手をとり合って輪を創り 舞うように
世界を創り変えよ
――おお 全てが
このローソクの火も 線香の灰も 煙も詩である
蟻が歩いている それも詩である
机がそこにある これも詩だ
詩がいっぱいそこにある
詩で宇宙は満ち溢れている
神話で溢れている
すべてが詩ではないか
すべてが神話だ
踊れ 踊れ
踊ろう
1978.11.28.
| 1978年
| 10:43
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1978.11.25 Sat
人は詩である
木は詩である
宇宙が詩である
神話がそこにある
神がそこにある
人は詩であり
神話である
かたい殻が 破れる
形にとらわれている
かたい殻だ
木のような詩を
我々は 見る事が
出来るのだ
複合線は更に
やさしい複合線をつくり
さらに さらに 神話を
つづけ
ひろげる
人がそれに気づいた
時に
おどりがなる
大きい「神話」の
世界が
我々の眼の前に
ぶらさがっている
1978.11.25.
| 1978年
| 20:14
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1978.11.25 Sat
オン松とメン松の
葉っぱと葉っぱを
ふれ合わした時
神話が生れる
ふれ合わされる
やさしい複合線によって
それはなる
波動と波動の
やさしいふれ合いによって
それは成る
「神話」が
1978.11.25.
| 1978年
| 19:30
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1978.11.25 Sat
人間が神になる時は
この時である
人間が神の中に
詩の中に
神話の中に
ぼつ入する時は
この時である
神話は 更に
神話を
つくるのである
幸せはそこに ぶらさがっている
それを つかめ
人と人とのふれ合い
によって
人とすべてとの
ふれ合いによって
未来はあなたたちのものだ
歌おう
神話の歌を
幸せの歌を
幸せがそこから来る
歌を
おどれ
神話の中に
とけてゆけ
神話の中に
とけてゆくのだ
神話が神話を
つくる世界に
1978.11.25.
| 1978年
| 13:46
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1978.11.24 Fri
現代人は形あるものの中に生きている
これはこうだ これはこうあらねばならないのだ
これはこうして出来ているのだと
こういう定まった形を追い
定まった形の中に生きている
物理学も定まった自然現象をとらえて
これはこうなのだと定義づける
道徳も ややもすると人が決めた形の中に
人間をおよがそうとする
形あるものの前に 形のないものがあった
決まりがある以前に 決まりのないものがあった
「形」「決まり」は 神話の以後にきたものだ
形と決まりの中に生活していると 人は神話を失う
神話は形のないもの 決まりのないものである
神話は自由性があり 理論のない世界である
線香の煙のように それはなめらかに揺れている
輪郭がはっきりしていない
はっきりしていないものから
はっきりしているものがあらわれたのである
人もこの宇宙も そんなものから凝縮されて
出来て来たのである
私が子供の頃 はじめて神話に出合ったのは六才頃だった
正月も間近となったある日 父が門松をつくるから
オン松とメン松を山から取って来いという
私と兄がすぐ裏山にいって オン松とメン松を取って来た
父はそれを仕立て門松を作った
そこで私は 誰にとはなしに尋ねた
松は オン松とメン松でどんなにして子供をつくるの……?
父もこの質問には答えられなかった
むろん兄も黙っていた
こんな松にでも 人間のように男と女が
あるということに私は興味をもった
神話的な香りをそこに見たのである
オン松とメン松というその言葉に
そこへ 近所の教育もうけていない老婆が通った
そしてオン松とメン松の私の質問を聞いていたのか
その老婆はそれに答えて 行ってしまった
「松はなあ 葉っぱと葉っぱをふれ合わせて子供をつくるのだ」
私はこの言葉にビックリした
これが神話だなと思った
神話という言葉も知らない年令だったが
これを「神話」というのだなと
神話という言葉も知らないが その神話というものの中へ
私は入ってしまった
神話を知ったのだ
言葉 言語でなしに 神話そのものを知ったのである
この 村の教育もうけてないただのおばあさんと思っていた
その老婆からこんなすばらしい言葉が流れてくるとは
思いもかけぬことであった
葉っぱと葉っぱをふれ合わした時に子供が産まれる
何とすばらしい言葉であろうか
これはまさしく神話だと 子供の頃に
私のはじめての神話への体験だった
神話 神話 私は青年になってもこのことを忘れなかった
そして神話を書きたい 神話をつくりたいというのが
私の唯一の願いだった
このおばあさんのように すらりとすぐにでも
神話である状態になりたい
神話を書ける自分になりたいとずっと願っていた
それ以外に 私の人生に何の願いもなかった
ところが 未だにその神話に成れない
神話そのものに成りきれないそのもどかしさを持っている
しかし いつかかならず私は
神話の中へ死んでゆけるであろうことを確信している
人間のこの世界に神話が生きてきて
人間はもとの人間にかえれるのだ
今の人は人ではないのだ
木の実で例えれば胡桃の殻のようなものだ
胡桃のあの実を保護し 保っている硬い殻だ
割れば実が出てくるのに殻のままでいる
殻は堅い形そのものだ
ああでもない こうでもないと自分の身を警戒の中に
つつみかくしている
殻を破って形をほってしまえば 神話が出てくるのだ
そうしてはいけない こうしなさい こうすべきですという
そんな殻を捨てた時 人は神話に近づけるような気がする
線香の煙のようにいい香りをただよわして
ふらふら ゆらゆらただよっておれる
形は人を堅いものにしてしまう人の行為もその形の一種だ
こうあるべきであるという論理と
理論の中でいつまでも暮らす
それをやめよう
物理学もよいがその奥にあるそれをこえた世界を発見しないと
人間を助けることは出来ない
物質文明 機械技術文明がいかように発展しようと
神話をもたない人間はかたい胡桃の殻になってしまうだけだ
堅く覆われた鉄板の車にのって人は突っ走る
神話をもたない人間がゆきつくところは何であろうか
混乱 混乱がそこにあるのみだ
神話になろう 神話をつくろう 神話の中に入ろう
ピュアー文明は神話的生活の時代をつくるのである
1978.11.24.
| 1978年
| 22:29
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1978.11.24 Fri
昨夜は木の詩を即興的に書いたが
今朝は「神話」に関して 頭が閃いている
子供の頃の一番はじめに 神話に出合った
オン松とメン松の神話に……
どうやら詩がつくれそうだ
こんな「神話」の中から我々は
生れてきたのでは
ないだろうか
この宇宙も神からか 詩からか 神話からか
それとも幾何学的構造の中から生れたのか
いやこれも 神話だ
神話 神話
詩 詩
詩と神話は同じだ
神と同じだ
その神秘力と偉大力を 尋ねるな
そこには神秘も 偉大力もない
そんなものが神話だ 詩だ
それらの中には そんなものがない
そんなもののない そこに神話の神話があり
「詩」の 詩たるものがあるのだ
それは力の中にあるのではない
それよりも 低速のようなものの中にあるようだ
細かい波動のようだ
そして やさしい波動の重なりだ
理論はそこにはない
形あるものは理論づける
形あるものも後から出来たのだ
露が水滴となるように
線香の煙のように
それは柔軟である 自由である
形はそのずっと後から来た
神話には詩がある
詩の中に神話がある
幾何学の世界がある
ピュアーな世界だ
未来がある
創り手のようなもので
遊び手でもある
ピュアーな遊びだ
神話は遊びだ
形の整う以前の遊びだ
1978.11.24.
| 1978年
| 09:43
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1978.11.23 Thu
私は見ることが出来ない
木のような一つの詩
神様だけがつくる事が
出来るのだろう
この詩を
私は詩を書くことが
出来るが
神のつくる こんな詩はつくれない
私に見せておくれ
その一つの詩の神秘を
その詩作の神秘なる力を
あなたは一つの木のような詩である
あなたの中に 我々は
入ることが 出来ない
我々はあなたの中に
入ることは 出来ない
その神秘の中に
一つの木は 立っている
一つの詩は 厳然と
そこに
我々の前に 立っている
1978.11.23.
| 1978年
| 11:17
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1978.11.20 Mon
ネコも来い
犬も来い
犬格も 猫格も
みとめる
かわいい すべての
存在よ 来い
悪魔も来い
悪魔も来い
ここで憩え
悪魔もここへ来い
かわいがってやるから
悪魔もここへ来い
かわいがってやるから
むろん 人々も
ここへ来い
1978.11.20.
| 1978年
| 08:46
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