1979年08月 | ARCHIVE-SELECT | 1979年10月

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五次元の世界

五次元の世界には 

心情がないのかも知れない

波動と ひびきと

停止とがあり

人間も その心情も消されて

しまう

そこには 破壊が

又もう一つある


心情を 人間心情を

ぶちくだくものがある

波動 ひびき

停止の世界

相対的に存在する

自己が

消されてしまう


視点の 一方が

消される世界だ


光速をこす 世界だ


1979.09.30.
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| 1979年 | 11:31 | TOP↑

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勝利の女神

この ドルが女神は

アメリカの自由の女神と

同じである


勝利の女神であり

平和と発展の神である

彼女は一年に一度しか

その顔――御姿を

あらわさない


我々は人間であり

この女神により守られ

発展へとみちびかれる



人間――我々は 仲よく

しなくては ならない


そして 宇宙大の

自己発展と

宇宙大の 地上発展を

迎えねば ならないのである


ドルガ女神は

アメリカ民主主義の

象徴である


アメリカ ヴェーダーンタ

ソサイティとは


アメリカの ヴェーダーンタとは

アメリカ民主主義を実現化

するという

意味のものである


アメリカ人はまだ アメリカ

民主主義を

十分に実現させていない

それを そうさせるのが

このヴェーダーンタ ソサイティで

ある

アメリカ人に 宇宙的自由と

平和と発展を

きたすものである


1979.09.29.

| 1979年 | 11:41 | TOP↑

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我々は人間

我々は人間

我々は人間

幾何学の世界で舞う

人間


幾何学の舞

舞こそ我等

舞こそ我等 


我々は人間

我々は人間

幾何学の世界で舞う

人間


幾何学の舞

舞こそ我等

舞こそ我等


我々は人間

我々は人間

幾何学の世界で

舞う人間

その奥にピュアーがある


手をうって おどれ

手をうって 舞え

人々よ

我等 人間よ


我々はピュアーそのもの

ピュアーそのもの

硬い世界を やぶち

硬い形を やぶって


硬い心を

硬い精神をやぶって

舞う者

ピュアー人間


今日までの世界を

舞いそのものと化せ

歌え 踊れ 舞え

一次元や 二次元や

三次元の 世界でなしに


時間をくぐった

四次元の世界に

突入して


直線的かたさを消せ

直線的かたさ

妄想を消せ

世界はつねに 形が

かわりつつあるのだ


世界は常に舞い

踊っているのだ

舞え 歌え 踊れ

ピュアーな世界が

そこにまっている


ピュアーがそこに

まっている


硬い世界を破って

幾何学の変化する

世界に入れ


変化こそ 自己を消すもの

リズムこそ 自己を消すもの


リズム 変化

舞い 踊り

これらは すべて

幾何学の世界のものだ


直線の世界から

変化の世界に入れ



1979.09.28.

| 1979年 | 22:21 | TOP↑

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ドルガ女神よ

悪が この世に はびこって

天界の神々も これには

困った

そこで 神々がよって 

1つの力なる

ドルガ女神を つくった

その悪を やっつけるために


彼女は その悪とたたかったが

勝利をうるまで

一ヵ月 かかった


その悪が 牛なる「善」に

かくれていることを

彼女は 発見した

人々は この「善」をはじめから

おわりまで善として

尊敬をもって 迎えた

だがこれが「悪魔のかくれ家」

であることを

彼女は 一ヵ月目に

発見した


彼女の一つきのやりは

この「善」なる牛を

やっつけてしまった


勝利の日が来た

それが

「ビジャヤ」の日である


人々は「善」「聖」「神聖」

「聖者」にあこがれるが

これが 悪魔の仕業である


彼女はそれを 発見した

のである

人間は人間であり

それ以外の何者でもない

それ以下でも それ以上でも 

ない


それを 神聖化したがるのが

おろかな人間である

「善」にひっかかっている

人間である


人間は人間であり

あなたも 私も 人間であり

我々は 人間なのである


ドルガ女神よはその

硬さを

うちくだいたのである

形を

直線を うちくだいたのである


宇宙は直線ではない

変化にとんだ 幾何学的

構図を母胎としている


三次元的な宇宙の見方から

四次元的な見方にかわれ


宇宙は時空と共に変化

しつづけている


その変化こそ幾何学的

世界である

踊り 舞い リズム

歌が そこにある

宇宙の踊り

宇宙大の舞をそこに

開示したのである


ドルガ女神は

一種の破壊神であり

ピュアーの世界を

さし示す女神でもある


おお たたえよ

ドルガ女神を

ジャイ ドルガ

ジャイ ドルガ


勝利の神

勝利の日を

たたえ

いわえ


ドルガ女神の存在を

忘れるな

宇宙大に おどれよ




1979.09.28.

| 1979年 | 20:30 | TOP↑

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私は走るもの

私は走るもの

光速のはやさをもって

宇宙をつき切って走る


私は走るもの

光速のはやさをもって

私は 走るよ

光速のはやさをもって


私は走るよ

光速をもって


自由と勝利は

私の手にある


自由と勝利

私は走るよ

光速をもって

この宇宙をつき切って


この変化と自由と

はやさに

誰が ついてくるや



走れ 走れ

光速をもって

時間も空間も

笑いながら ついてくる


ひざをガクガク


させながら

ずっとおくれて

ついてくる


光速も 笑いながら

走る



1979.09.28.

| 1979年 | 13:36 | TOP↑

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大きい舞

舞おう 大きい舞を

舞には 大きい舞と

小さい 舞とがある


大きい舞を

大きい舞を まおう

宇宙大の大きい舞を


人間と人間との舞も

あるが

人間を 宇宙の一切を

星々の世界をも

包みこんだ 宇宙大の

舞を舞うまで


「舞」そのものを 大きく

かえてゆけ


すぐ人間は人間に

くっつきたがるが

宇宙大に くっついてみよ


むろん人間とも

くっつけなくては

ダメだけれど

宇宙大の舞は

すべてをふくむ


ピュアーが更に

はっきりわかり

ピュアーな 社会が

きずかれてくる


ピュアーな社会と

人間を つくろう


1979.09.28.

| 1979年 | 11:40 | TOP↑

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ドルガの前で

ただ 礼拝

何も 考えず

何も 文を書かず

ただ 五体をとうじて

礼拝 あるのみ


ただ 礼拝あるのみ

ドルガの前で

何も 考えたり

文を書いたり

するのでなしに


ただ 五体をとうじて

礼拝 あるのみ



1979.09.28.

| 1979年 | 10:49 | TOP↑

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アメリカの良さ

昨日 土地を見つけにゆく時

ガソリンスタンドで

我々の隣に来た 車の婦人が

ニコリと私と同時に

ほほえんで 同時に「ハーイ」と

いった


最近……いやこの度のアメリカに

来てから こんなに出合い頭に

「ハーイ」と かわした事がなかった

それが一つの物足りなさで

あった


アメリカの良さは この「ハーイ」

にあるのに

これが アメリカのすばらしさだ

ところが 住んでいる環境が

ちがったせいもあって

この良さに ほとんど会わなかった


私も日本人ばかりの生活の中で

余り外出もしなかったせいもある

日本人ばかりの生活は

どうもさぐり合いばかりで困る


1979.09.28.

| 1979年 | 10:29 | TOP↑

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光速の舞

光速の 変化

光速の 変化

人の眼見えない 

光速の変化


人の眼に見えない

この舞

これこそ「ほほえみ」と

なるのだ


自由 勝利 直接直感

もとへのくっつきも

ここにある


直線の硬い 方向性も

ここでは つぶれ

回転の瞬間移動の

世界も

ここに あるのである


ピュアーに 瞬間に

とびこむ世界が

ここにあるのである


大宇宙を 自己の中に

ひめることも 出来る

宇宙の大きい舞も

この一点に おさめることが

出来る


勝利が これだ

ここに 勝利がある

自由も ここにある


1979.09.28.

| 1979年 | 00:05 | TOP↑

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ガラスばりのシャワー室

はじめからの くっつき

はじめからの くっつき

はじめからの くっつきに

かえると

人は 安心をうる


はなれているから 人は

相手と向かい合っている

のである

これでは一生

救いがない

古い人々は このはなれた形の

人である

新しい人々は このくっついた

形の人である


アジアやヨーロッパ その他の

古い人々と

アメリカの 新しい人々との

ちがいが ここにある


アメリカ人は はじめから 

くっついている

向かい合いというものが ない

そこからくる 社会構造

家庭構造

建築構造が

やって来ている


アメリカでも 古い人と

新しい人

古い構造と 新しい

構造は ちがう


そのように 日本人も 新しい

構造を つくれるような

新しい人間に 

かわらねばならない


古い向かい合った構造

例えば

感謝の心をもて

という事も

古い構造の中から

言われてくるものである

必要とされてくるもの

である


この辺が むつかしい

わからないだろう

何で 感謝の心が

古い時代のいさんなのか


相対構造の世界では

人と人が うまくゆかない

だから 親に感謝せよとか

何々に感謝せよ とか

言って 来なければ

人間の行為と 思考が

ちゃんと

ととのわないのである


だから それを ととのわす

ために

感謝の心ということを

教える

だが この心は

ととのわす為に必要と

された言葉であり

人為的なものである


このように

相対的な構造に

生きている人々には

問題がおきるばかり

なのである


そして それを支え

整えねばならぬから

それへの つけ薬を

百も千も

考え出されたのである


その一つが

感謝の心 である


なる程

感謝の心を もつと

自分の心は ととのい

安ていを 得る

行為も思考もととのって

くる

みだれが なくなってくる


しかし

人の行為と思考が

再び

ととのわないように

なっている


相対的構造の人間に

とって

この感謝という 心は

考えは

骨のおれた者のための

添え木のような ものである


例えば

ここに 相対的でない

はじめからの くっつきを

もつ人が

いたとするなら

それらの間に損や得の

感情が

わくであろうか


……これだけ仕事をしたら

損だとか

バカらしいとか……


損だとか バカらしいとか

いう心が

わくと 人は

行為においても

何においても

ふくれ面とかわる


……そうならないように

つけ薬をみつけて

感謝せよと 来たのである


例えば それと一体ならば

――親と子が一体ならばならば

そこに何が おきても感情的

には

ならない


それが はなれ ばなれの

心に

なっていると

親子でも 感情的になり

許せないことが

心の中に おきてくる

人はこうして 許せない という

感情のもつれを

つねにもっているのである

一時の感謝という

薬は

すべてのことに効能が

あるだろうか


このような 感謝の心は

持たないより 持った方が

すべてが 美しくゆくが

それとちがった形の

もっと よいものが

発見されない ものなの

だろうか

例えば ガラスばりの

シャワー室のように


私もあなたも 一つなら

囲いをつくった

シャワー室など

いらないであろう


感謝をこめて(ああ いい

気持ちだ)といって

囲いのあるシャワー室で

一人で

湯をあびるのと


二人 三人で何の囲いもなく

たのしく シャワーをあびる

のと

どちらが

いいだろうか


それが出来ないから 人は

一人の中に

入りこむ

のである


感謝とか 愛とか

神聖とか 美の世界とかへ

孤独の一人舞台へ

入ってゆくのである

他の人々と

の間に

囲いをつくって


ピュアーな世界では

このような古い時代に

つくって来た

感謝せよとか 愛せよ

神聖な方向へゆけとか

そういうような

飾りはない


人の心は

はじめのものになる

はじめの人と人

人と自然が

はじめから くっついてある

そのものに 

そのものに

なるのである

くっついた者には

相対がない

相対がないと

様々な付け薬が

いらなくなる


ピュアーな世界には

いままであった 舞台そうちや

芝居は

もはや

なくなるのである


文学も哲学も 宗教も

社会構造も

すべて 根底から

くつがえされるのである



1979.09.11.

| 1979年 | 22:27 | TOP↑

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