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1979年12月 | ARCHIVE-SELECT | 1980年02月

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ラーマクリシュナの恍惚の世界

荒々しい世界はもういやだ

と心でいうと

やわらかい世界

硬い形のない

遊び半分の世界がくる

これは 消えた構図の

世界に入ってから

くるものである


ただ遊び半分がいいから

ということで

遊び半分を真似たからとて

それは本物とはちがう


楽しい構図の世界

遊び半分のような この世界は

ブラフマンに合一してから

次にくる世界である


光速をもって この有る世界を

つききって

ブラフマンの世界に入ってから

そんな合一というある種の

形をも破って

やってくるのが この世界である


やさしいといっても

きびしいの 反対物であり

連なりといっても

相対的な 向い合いの

反対物である


これらをとびこえた 消えた

構図の世界に 突入して

その後でくる世界である

決して はじめから

遊び半分を

いいこととすることは 出来ない


ラーマクリシュナはブラフマン

という 絶対なるものに

合一しておきながら

そこから 出てきている

そして彼は 今まで

誰もいったことのない


遊びの世界――遊び半分の

ような世界へ

かえって来た


そこは そのいずれの世界にも

関係のない 世界であった

相対にも 絶対にも

関係のない世界であった


ラーマクリシュナの弟子の

ヴィヴェーカーナンダは

硬いうちに 死んでしまった

キリストも 硬いうちに

殺されてしまった


仏陀も 絶対との合一をし

静寂のまま 硬いうちに

死んでしまったかも知れない


仏陀のとく 八正道や

中庸道と

ラーマクリシュナの「遊び」とは

似ても 似つかぬものであった


三角形を 求道の登山の形と

すれば

底辺にうろついていた者が

三角形の頂上を目ざして

登山したとする


仏陀はその頂上に達した

人であったかも

知れないし

キリストも そうだったかも

知れない


しかし ラーマクリシュナだけは

その頂上から

雨がふってくるように

超越や合一をよそに

舞いおりて来たのである

フワリ フワリと 遊び半分の

仕草をもって


天の羽衣が

舞いおりるように

鳥たちのさえずりと共に

地上に やって来たのである


一切の硬さ

緊張

聖 

静寂

愛や やさしさをも

含めての 荒々しさが

みじんもない

舞いそのものの

合唱として

やって来たのである


1980.01.31.
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| 1980年 | 13:39 | TOP↑

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硬い構図の世界

荒々しい世界はいやだ

荒々しい世界はいやだと

心の中でいうと

その世界の構図が破れる


そして気軽な構図に入る


この「荒々しい世界はもういやだ」

というその言葉を

となえることは

体質の移殖と 同じものがある


変化だ チェンジだ

構図が かわるのだ

もとの構図が 破れるのだ


すると 今までの自分のあった世界

自分のおった世界は

硬い構図の世界であったことが

わかる


どんなやわらかい事が

あっても

それは 荒々しい構図

緊張の構図だった事が

わかってくる


荒々しい世界はもういやだと

となえよう

すると 体が 緊張から

骨ぬきのように なり

ゆらゆら こっけいに

ゆれてくる


こっけいな世界

面白い世界にかわる

梵に突入するとか

絶対と合一するとか

そんな事も 硬い荒々しい世界だ

あらゆる緊張を とってみたまえ


1980.01.31.

| 1980年 | 10:06 | TOP↑

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凍った金魚

何もかもを遊ばしめよ

遊び半分の世界にまきこめ

何もかもが よろこんでくる


何もかもを 遊び半分の中に

遊ばしめよ


歌も仕事も買物もお金も

お巡りさんも 水中の金魚も


おしりをふりふり 歩いたり

泳ぐようになってくる


お巡りさんも 結局は

お金がほしいから お巡り

さんに なっているのだ


きびしい顔をして

きびしいことばかり言って

家庭に帰っても

「おい こら」の調子が 出てくる

また 買物に行ってもその調子だ


遊び半分のお巡りさんて

どんな人だろう


余分の金が入ったら

どろぼうに 分けてやるかも

知れない


銀行が 予定額以上の

金がもうかったら

人々に お金をくばって

歩くかも知れない


それでも 受け取る人々が

余りいない

お金がふえては困るのです

足し算は ごめんです

今のままで 充分ですと

言われてしまう


そこで 悪い奴がいて

くれる金をすべてためている者が

いたとする


そんな者が 金をもって

物をかいにいっても

何も売ってくれないことになる


これで困った事だ

又 他のことで

緊張について言うと

瞑想――とかいうことも

形にはまったものだし

愛をこめて 神信仰する

ということも

ある一種の形だし


石の上に坐って 瞑想するという事も

ある一種の形だし

これらすべて硬い形といえよう


もっとゆったりと「憩い」に時間を

とって

荒々しい世界から 遊び半分の

世界に 入ることだ


1980.01.30.

| 1980年 | 10:19 | TOP↑

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例えば

例えば 足し算 引き算という

変化する構図が無い世界

市場に 買物にいっても

10ドルのものを買っても

1ドルを出したら

また その1ドルが

レジで 戻されてくる


そうなったら

市場が損ばかりする

それで市場の者が

100ドルの品物を仕入れて

くる時


1ドルを 支払ったら

またレジで その1ドルが

戻ってくる


こうなると 経済のない

世界になってくる


またもう一つの 例をいうと

自分が今必要とする金額が

1000ドルならば

それ以上に入った金は

誰かにやってしまう


もらった方も 必要以上に

お金が入ったならば

それを誰かにやってしまう


するとお金が

ゆるやかに動く

金が遊び半分に動く



1980.01.29.

| 1980年 | 23:49 | TOP↑

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荒々しい世界はもういやだ

今日から ちがう世界を

展開するぞ

もうこの荒々しい世界に

いるのが

いやになったし

余り 長くいすぎた


私でないと 出来ない

違う世界をくぐる事

その世界に入っていって

夢の神話のような

ピュアーな世界を人々の前に

みせてやろう


強制的なこの世界や

構図が急に 無茶苦茶に

かわるような

複雑な意識波動の

世界でなしに……


たとえば引き算や足し算

掛け算も その一例だ

おぼえにくい世界だ


鳥たちには そんなものがない


言葉もそうだ

ややこしい文法など

ごめんだ

よし!

ちがう イージーな生活様式の

世界を

展開してみよう


緊張のない世界を

みせてあげよう 人々に


出来るはずだ

例えば 海中の魚や

海の様々な世界を 海女が

もぐって

見てくるように

見れたら 楽しいだろう


……そして今

夕べの アラティの灯を

まわしていたら

一つみつけた事があった

それは


楽しい灯のまわし方が

あるという事である

という事は

楽しい構図という事だ


楽しい構図というものが

あるということの 発見だ

楽しい動作という事でもある


これは 遊び半分の仕草だ

緊張のとけた

緊張をとった

遊び半分の自由な仕草だ


楽しい歌い方だ

子供が食事をする時のように

子供が遊びながら 勉強を

するような形だ


きびしい 歌い方

祈り方

形にはまった 歌い方

祈り方


バクターや ジェナーナなどの

かたぐるしい

ある一定の決められた形の

あるものでなしに


楽しんで 歌い

動作が 出来る

遊び半分でという言葉が

もっとも 的確な

つかみ方かも 

知れない


そんな状態でおることが

出来てきた

子供が 大人たちが

形にはまって

何かをしている時でも


その辺をうろうろするように

形にはまらず

風のように

ゆれうごいている形の

ようだ


楽しいものというものだ

もう荒々しい世界は いやや

もう ごめんや


今日小鳥が庭で カムカム

カム ヒヤ カム ヒヤ

と言ったが

そのことだったのか!!



1980.01.29.

| 1980年 | 13:27 | TOP↑

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第一段階から第二段階へ

アメリカ人とアジア人の意識構造の

研究に

約四年間 ついやして来た

そして 連なり合いの構図と

向い合いの構図というものを

そこに見い出した


しかしアジア人の私が

そのアメリカ人の構図になることが

とてもむつかしかった


ところがその苦労の結晶として

見つかったのが

体質の「移殖」という事だった


それによっていっぺんに

アメリカ人流の人間になれる

ことが 可能となった


これでやっと 第一段階の

人間になれたわけだ

第一段階以下にいるアジア

人は

下落した人間といえよう



宗教や道徳観念の

悪影響をうけて

硬く しかもきずついた人間と

なりきっていたのだ

向い合いの人間に


それが 体質の移殖の発見により

やっと第一段階のアメリカ人

流の人間

連なった人間に かえれたのだ


ところが それだけでは

十分でないのだ


アメリカ人が求めているものは

更に高い

第二段階である


その第二段階とは

アジア人が目標としている

宇宙との結合

宇宙をもこえた根源との

結合

いわゆる 「自己実現」そのもの

である


となると アジア人は第一段階を

とばして

いっきに第二段階へと向か

おうとしていることがわかる


一方アメリカ人は 第一段階を

なしとげている人々であると

なると


アメリカ人と アジア人の間に

微妙なちがいが あることが

わかろう


そこでアジア人に最も必要と

されることは

アメリカ人がなしとげた

第一段階を学ばねばならない

という事である


その事を アジア人は

今まで

気付いておらず

いっきに第二段階を

突破しようとしてきたので

ある


足許を忘れた蛙が 天の星を

とろうとするのと 同じである

その第一段階とは先ず人と

人とが

横に連なることである


アジア人はそこから

はじめねばならない

のである


1980.01.29.

| 1980年 | 00:24 | TOP↑

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消えた構図

向い合いの構図から

連なりの構図に人は

かわらねばならぬと

言ってきたが


その連なりの構図の奥に

消えた構図の世界という

のがある


消えた構図の世界とは

構図の 消された世界である

即ち 構図のな世界である


一元の世界といえども

一元という 構図の世界で

宇宙一切が連なったという

大きい連なりの構図の世界で

ある


その奥に その連なりをも

こえた

構図のない世界が あるので

ある

それが ピュアーな根源の

世界である


1980.01.27. 

| 1980年 | 13:15 | TOP↑

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美をこえた世界

宇宙は 構図によって

ささえられている


相対的に事物が 向い

合っている構図

これは感覚的世界に

おいては

そう見えるのである


人間も相対的に 向い合って

立っていると

間違った生活を 起こす


それを 連なった構図

即ち 重なった構図とも

いえるのだが

すべてが 一つであるという

構図に 改めるのである


そこには 一しかない

二つの性質のものが

一つの所にある


いいかえれば

一つのものが 二つの

異なったものとして

存在しているという

二重性の 同時存在の

構図である


人間は向い合いの

構図から この

連なった構図に かえら

ねばならない


大体 アメリカ人以外の

人々は 

向い合った構図の中に

住み

アメリカ人は 民主主義と

いう 偉大な思想により

それを突破し

連なった構図の中に

生きられるようになった


しかし人間は それだけ

では 不充分である


その 宇宙の構図の世界は

ただ 下部構造の骨組みの世界

の世界であって

その奥に 更に骨組みを

こえた世界

即ち 根源の世界がある


これこそ 神 人 物 すべての

ものの

根源であり 故郷なのである


人は その故郷に かえらねば

ならない


そこには 一も 二もない

ただピュアーが あるだけである


根源的真実なひびき

輝き

消えた輝きが あるだけで

ある


そこまで人は かえら

ねばならないのである

相対の 向い合う感覚の

世界にも

一なる 連なる世界にも

美があるが

根源の世界には

美もない


我々は 美とか 愛とか

やさしさとかを 超えて

ピュアーなひびきそのものと

ならねばとならないのである


1980.01.24.

| 1980年 | 12:50 | TOP↑

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魂の輝き

魂の輝きをえよ

魂の輝きを

汝は人でありながら

人でなく

魂のひびきそのものである


輝きは人をこえて

そこにある


人間の意識から 魂の

ひびきにかえれ

魂は人ではないのだ


そこには 両性もなく

人もなく

それのみのある世界だ



1980.01.21.

| 1980年 | 23:24 | TOP↑

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魂の独立

意識が宇宙的に独立して

一本立つと

身体から魂がぬけ出て

大きくのびたように

こつ然と立っている自分を

見い出す


他の人も眼には ただ

映じているだけで

はっきり とらえない

とらえる必要を 感じ

ないのだ


この飛び抜けて立った

魂にとっては


人は顔に輝きをもつことが

ある

それは 仕事の成績が

上った時

金がもうかった時

異性と調子よくいっている

時などである


しかし これらの輝きは

ドブに顔を突っ込んだ時の

輝きに似ている


うっとうしいよりか 輝いた

顔をしている方が

ましだが

もっとよい永遠の輝きを

得なければ ならない


金に異性に人に意識が

向いている間は

それらに とらえられているのと

同じである


顔は 小さくちぢこまって

意識は自分の五体と

それらのものとの間の

狭い宇宙………いや

鳥小屋のような狭い

小屋に入って

バタバタさわいでいるので

ある


意識が独立すると

顔もりりしくなり

魂もよみがえり

にょっきり つき立って

木立ちの一本が

山のように 動かない

ものとなる


ほほえみ ひびき 輝き

大きく 不動が

そこから 出てくる


そこには 人がない


そうなると その者は何を

なすべきかが わかってくる


腰がるに 人の手助けが

出来

今せねばならぬ動作に

すぐ とび出してゆける


それが 「人」にかかわって

いると

自分の権威や たよる気持

から

鋭敏な意識が にぶり


せねばならぬ事に気付か

なかったり

ごうまんになったり

他の人を見下げたりして

しまう


魂が一人 独立していないと

他の者の行為が気になり

善悪の中で それらを

とらえてしまうのである


一人が独立して立つ時

魂は人からぬけ

消えたものの ひびきその

ものとなる


ヴェーダーンタは それら魂の

自由をとき

禁欲主義と 権威主義を

破って


性の解放

人の解放

それらを こえてゆく

ことを

説くのである



1980.01.21.

| 1980年 | 19:32 | TOP↑

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