1980年01月 | ARCHIVE-SELECT | 1980年03月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

ペギー

ペギーの家を訪れた

主人のエディが よろこんで

立ち上った

私が来た事を ペギーに

彼は 大声で 告げた

ペギーは 台所から とび出して

きた

両手を 大きく 上にひろげて

かけてきた


彼女の 母親は 日本人だ

この かわいい日本娘を

私は 娘のように 思っていた 

彼女もそんな 気がしていた

のだろうか


アメリカの夜 アメリカの空

アメリカの空気は すばらしい


抱き合う 二つの物体は

一つとなる


これが 他人という二つの

物体なのだろうか

アメリカには 他人という言葉を

ふきとばすものがある


私はこれから それとちがう日本に

帰らねばならないのだ


もくもくと 日本では

一人 一人が 力いっぱい

生きるために 働いている

アメリカでは 働いてはいるが

人と人の間に 和があり

連なりがある


隣の奥さん ご主人とでも

気軽にキスできるような

人間の連なりがある

アメリカ人は かならず

一つの本当のものを

みつけるであろう


真実な方向へ 真実なる

方向へと

彼等は 道をきりひらいている

彼等は一歩も

あとずさりはしない

過去のことを 見ないし

「私たちには 過去はないのだ」

と 誰しもが答える


過去は 彼等にとっては

イタリア人であり 日本人であり

アイルランド人であり コーリヤであり

ロシア人であり

スペイン人であった


それ等の過去は 彼等には

もうないし いらないのだ

アメリカ人で 十分なのだ

善し悪しをとわず

彼等は前へ 前へすすむ


1980.02.28.
スポンサーサイト

| 1980年 | 20:28 | TOP↑

≫ EDIT

感謝は古い時代のもの

讃える自分も 讃えられる

相手もない


だが今日までの 信仰と

世界は

それと反対に 生かされて

いることを感じ

それへの感謝の信仰であった


善も悪もないのだ……何も

かもを 礼拝せよ

といった 信仰だった



そこから 感謝 礼拝

聖母崇拝的 信仰……

生かされ 包まれ 育てられている

力への

礼拝が うまれた



月に対し 太陽に水に

母へ 父へ 人々へ

食物へ……すべてに

有難いという心を

うえつけるのであった


それは 相対の中での 知識的

感情的 感しょう的 自己陶酔的な

有難信仰である


誰の眼にも それは

良いものとして 見えたのである

尊敬 愛 やさしさ 感謝

礼拝 讃え抱擁

性器への信仰


本能肯定 性の賛美

大地への信仰 天への信仰

……これ等すべてが 花さき

みだれた


我々は そんなものから

抜けたのである

こうして 今までのように

気をつかってゆくと

いつまでも 気をつかって

ゆかねばならない


そして そこでは

無礼な人だ とか

私を尊敬せぬ とか

感謝が足りぬ とか

やさしくない とか言って

感情的となる


いい時はよいが

それと反対の時は

やっかいなことになる 

意識が光速化すると

その辺を うろつかない


自己が光速のガラスばりに

なると

他も透明化されてくる

ひっかからずに リズム的に

なってくる

ひびきの中で 生きる人間に

なってくるのだ


硬いものは とかされて

ゆれ動いてくるのだ

自分がやわらかい 波動の中へ

とけてくるのだ


消極的 あるいは 受け身的で

あったものが

積極的な ゆれ 動き

走るものと なる


相対的に ものを 受けとめて

いる時間がない


感謝 とか 崇拝 とか

尊敬 とかと

相手の人格や 神格を

見ている すきがない


受け身で すきのある者は

宇宙と自分との間に

いろんなものを 花さかせる


人と人との間に

すきを入れるな

宇宙や 神との 間にも


1980.02.24.

| 1980年 | 21:53 | TOP↑

≫ EDIT

光速のガラスばり

ガラスばりのアメリカ人

ガラスばりのアメリカ人では

まだだめだ

意識が一つにつらなった

人間であるけれど

まだ意識が

光速以下である


光速以下の意識では

感覚の中をうろつく

感覚的連なりを越える

ことは出来ない


人間の意識に光速が 

かかってこなければ

ならない


のろい意識では

向い合いや 連なりの

構図の中をうろつく


アメリカは ガラスばりの

意識から

さらに 光速ガラスばりの

意識へと

進展せなばならない


透明はさらに透明になり

連なりの形から

消えた形に

かえることが出来る


火は 赤い色から

青い 火の色となり

更に それが白い火の色と

なるように


色 色彩 美 異性の

世界を突破せよ


1980.02.23.

| 1980年 | 10:03 | TOP↑

≫ EDIT

オービューティフル

扉を 開けよう

あなたの とざされた扉を

かたくなに とざされて

風からふさぎ

ちぢんでいる あなたの扉を


風はそんなに 悪いもの

ではない

嵐でないかぎり


風は あなたのように

自然に咲いた 花々である


扉を あけよう

カビが 生えないように

家の中が 暗くならない

ように


あなたの とざした扉は

宗教や道徳や

何やかやで 防衛しきっている


痛いきず口をぬぐおう


あなたの口に

アメをほうりこんで あげよう

あなたの ほっぺに

キスしてあげよう



扉は 風によって開けられ

しまいに 扉をとってしまおう

自分という型の

ないものに してしまおう


光の速さが あなたの

乗りものとなって

それを 住み家と しよう


光速の 乗りものにのって

とぼう


おお ビューティフル

おお ビューティフル


カリフォルニアの空と

風のように

ひろく 強く 明るくなろう



1980.02.18.

| 1980年 | 12:46 | TOP↑

≫ EDIT

遊び半分の効果

遊び半分に二つあった

恍惚たる 遊び半分と

普通の 遊び半分とがある


恍惚たる遊び半分でいるのが

本当だけれど

この荒々しい世界にいると

つい緊張の中にまきこまれて

しまう


そこで 荒々しい言葉などに

出合った時などは

この普通の遊び半分という

言葉が 役立つ


痛みを感じた意識は

一度にいい調子にしようと

思っても

反応した あとだから

そううまく 明るい気分に

変わらない


変えようと思えば 思うほど

緊張の中へ 入ってゆく

そこでこの 遊び半分を

役立てるのである



ちょうど 工事中の迂回路や

機械のパッキングのような

ものである

その遊び半分という 迂回路は

緊張を やわらげ

無理なく 人をくつろがせて

くれる


そして もっと行けば

恍惚的 遊び半分の世界に

までも ゆける


物のない 人のない

世界にまでも


人が居ても そこでは

人が居ないのだ


人は 高い所のものを

取ろうと 思えば

足場がいるように

高い消えた 恍惚たる

世界に

ゆこうと 思えば

普通の意味での 遊び半分

という

この便利な 迂回路を

利用すべきである


体は リズミカルになり

ゆれてくる

宇宙の音楽とも 合ってくる


三次元の この形のある世界から

ぬけてくる


1980.02.06.

| 1980年 | 11:13 | TOP↑

≫ EDIT

荒々しい世界とは

荒々しい世界は もういやだ

とある

その荒々しい世界とは

相手の荒々しさばかりで

なしに

それにひっかかる こちらにも

それがあるのである



愛も やさしさも

それで よろこぶのも

荒々しいのである


愛するのも 

やさしくするのも

緊張の一つで

荒々しい世界なのである


それらが荒々しい 緊張の

気をつかう世界であると

解ることが

先ず 必要である


すると 向い合い構図

連なりの 構図の世界を

超えた

消えた構図の世界に

ぱっと おかれる


魔法のカーペットにのせられて

ただちに 

恍惚のゆれうごく世界に

おかれるのである


そこは 相手も

それに ひっかかる荒々しい

自分もない

消えた恍惚の世界である


遊びのような 世界だ


1980.02.05.

| 1980年 | 10:29 | TOP↑

≫ EDIT

旅の野郎

そこで 居るようで

そこに 居ない


そこで居るようで

そこに居ない


そこで 居るようで

そこに 居ない


遊び半分のような

構図の中を

行くようだ


遊び半分の構図というより

何もないという構図だ


フワフワ風に吹かれ

ただよっているような


あるようで 無い構図の

中を旅する

恍惚の中を 旅する


そこで 居るようで

そこに 居ない

そこに物が有るようで

物がない


そこに人がいるようで

そこに人がいない


遊び半分のような

恍惚の中だ

旅が 旅しているようだ


宇宙は一つの はてのなき

旅なのだよ ナア


旅する野郎が 旅している

のだ

旅が 旅するとは

このことだ


自分もなければ

何もない

恍惚たる 遊び

恍惚たる 旅


恍惚そのもの

自由そのものがある


もう硬い世界にはいない

もう物のある世界には いない

硬い世界――もののある世界は

緊張の連続だ


知的であっても

やさしくあっても

神を真剣に拝んでも

神との合一をねがっても

すべて物のある硬い

緊張のある世界だ

そこはもう ごめんだ

ここの方が いい


1980.02.04.

| 1980年 | 10:20 | TOP↑

≫ EDIT

遊び半分とは

遊び半分とは

現在意識で 行う遊び半分

ではない

恍惚そのものをいう


恍惚となって 歌う

踊ることである

霊的世界にいることである

そこで恍惚となることで

ある


ただ おどけた

遊び半分の 仕草とちがう


ラーマクリシュナは

ブラフマンに合一してから

人間がこいしいから また

人間の中に かえったと

人は言うが

そうではない


合一の世界で

踊りと 歌の中に

入ったのである

いわゆる 恍惚の遊びの

中へである


単なる 遊び半分

いいかげん

じょうだんのような

硬さをとった

やわらかさではない


合一がなり

そこで歌い上げられて

くるのである


すべての 緊張が消えて

すべての 荒々しさは消えて


1980.02.02.

| 1980年 | 11:04 | TOP↑

| PAGE-SELECT |