FC2ブログ

1980年02月 | ARCHIVE-SELECT | 1980年04月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

鳥かごを持ち歩く男

アジアは神 神聖 聖なる

方向……

この方向から 我々が救われる

と見た

しかしアメリカは自由の中から

救われると見た


聖なる方向を求めるものは

その反対の性質を

いみきらう

批判や感情のおきるのも

ここからである


だが ヨーロッパにおいて

自由 平等 博愛の 思想が

おきた


しかし 今では

平等という言葉も 博愛と

いう言葉も

使い古びた 金網のように

余り人目をひかなくなった


ただ一つ 残ったのが 自由という

言語で あった


しかし これも「ひらかれたもの」

「明るいもの」と

心の中で 訳されてきた……

最も威力のある言葉として 残った

しかし このアメリカの自由には 

「ひらき」と「結合」という

二つの意味が含まれていた 


人間は 神聖から 救われるものでなく

「ひらき」と「結合」という二つものから

救われるのであるという 

てっかくな判断のみが残った


いわゆるピュアーだ 

自由 ひらかれたもの 結合

この中から 

これをおし進めてゆくことによって

人間の救いがくると信じて 

生きて来たのである


これが アジアと アメリカのちがい

である


アジアでは 聖 聖者 神聖

……これらの言語が

まだ少々の価値がある


ところが アメリカ民主主義は

それより 人にとって必要な

ものは

明るく ひらかれたもの……自由

なもの


その中からこそ

真理らしきものが来ると

つかんだ


ひらかれたものは 明るい

明るいものは 更に 明るさを

うみ

解放と結合と 未来の発展をうむ


ある所に 小さい手さげの

鳥かごを 持って

歩いている男がいた


その鳥かごの中の一匹は

死にそうに なっていた


それなのに その男は

それを 放つことなく

その鳥かごを 手にもって

歩いていた


そこを とおりかかった一人の

アメリカ人がいた

彼は 質問した


なぜそんな 昔ながらの

鳥かごとやらを

大切に 持ち歩いているのかと


しかし その男には その

鳥かご以外の世界を

知らなかったので

更にその鳥かごを きつく

にぎりしめて 答えた


心の中で 答えたのだ

ずっと 祖先から この鳥かごが

使われて来たのだから

……私の親も その又親もと


かくて 数年後

ヨーロッパ大陸から 彼の

鳥かご男は

アメリカに 渡って来た


すると そこには

鳥かごや その中の平等とか

博愛とかいう

小鳥の必要性のないことを

知った


平等でない所では 平等を

唱えなければならないし

博愛も又 それと同じく

唱えなければならない


そのうちに 愛という言葉の

小鳥も

いらなくなるのを 彼は 知った


自由という一言だけで

人が 救われることを 知った

のである


ひらかれたもの

開くものの中から

我々に必要なものは

何でも

出てくることを

知ったのである


魔法の布が オープンされたら

ほしいものが 何でも

現われたように

すべて 必要なものが

その「自由」という 大きな

布の中から

とび出して くるのである


はぎれよく

キラキラ光り輝いて

とび出してくるのである


ひらかれた 心には

要求が なくなってくる


とざされている者

求めてばかりいる者は

弱い


だから尚更

要求が 出てくるのである

自分の心で 自分を

満たして いないからだ


平等とか 博愛をいつまでも

要求していると

よけい 心が とざされてくる


ピュアーなもの 自由

開かれたもの


そこから 人は  救われてくる

のだ

いわゆる ガラスばりピュアーだ


愛や神聖やの時代では

ないのだ

鳥をかごから 出してやれ

鳥かごも ほってしまえ



1980.03.26.
スポンサーサイト

| 1980年 | 13:59 | TOP↑

≫ EDIT

本当の霊感が世界に

ふるえ 

ふるえ

ふるえ 

躍動 躍動

躍動 ピュアーな躍動


ひびき ひびき ひびき

力 幸福 発展

自由な人間 自由な宇宙


それらは すべて

霊感である

霊感のあるところ

すべてが開きに開かれている

知識と 霊感とはちがう

知識には 神話がない


霊感とは 霊感であり

躍動そのものである


アジア人は 霊感があるように

思えるが

本当の霊感はない

それは 知のかたまりである

知的霊感か 神通力的

霊感である


知と霊感とはちがう

特に 中国人と日本人は

知的である

そこに 暗いものが生まれる


礼儀正しいと人はいうが

それは本当の礼儀ではない

本当の礼儀とは明るさである

ピュアーである


ああ あるべきだ

こうあるべきだなどは

硬いわくに人を入れこむ

ものである


明るい うごき

大きい ひろがり

すきまの なさ

これこそ 本当の霊感だ


衝突 衝突

躍動 躍動 躍動

躍動こそ人間

躍動こそ霊感

躍動こそ遊戯


ひびき ふるえ

衝突 衝突

一つなる ひびき

一つなる ふるえ

一つなる 明るさ


人類すべてが躍動しきるまで

知から 霊感へ

知からピュアーへかわるまで

人は努力をしつづけねば

ならない

宇宙と自分とのすき間がなくなるまで


神と自分がすき間が

なくなるまで

人間と 人間がすき間が

なくなるまで

がんばらねばならない


幸福と 発展と自由は

その 躍動から

霊感から やってくるのだ


アメリカは霊感にもえている

彼等が 先頭に立って

人類をかえてゆくだろう

本当の霊感の 持ち主たちよ



1980.03.25.

自由と遊戯の中で

おどっている者こそ

本当の「霊感」である

| 1980年 | 19:17 | TOP↑

≫ EDIT

宇宙をうたい上げよ

遊戯には二つある

地上的遊戯と根源的遊戯

である


人は今日まで余り長い間

地上的遊戯をしすぎてきた

超人 聖者 神聖なるものを

おい求める遊戯である

そこでは 自己の足場をいつも

失って来ていた


上下 高低 善悪の世界をつくって

差別の中で生きてきた


男と女 神と人間

王と召使い

何人 何民族 


あらそいは いくさは 大戦争は

いつまでもつづいた


いたずらな遊戯

これを引き起こすのに役立ったのが

「言語」であった


言語は 最初

宇宙的一元のひびきを もっていた

山も空気も あの人も この人も

すべて自分であった


星々の輝きも 自己の内なる

輝きであった


ひびき ひびき 真実なる

ひびきが

宇宙にこだまして 生きていた


これが 「あなた」と「私」

「あちら」と「こちら」という

言語の登場によって

すべてが 二元の中に

さそいこまれた


言語は ひびきを失って

記号化された

宇宙的バイブレーションを失った

人間は

人からも 物からも ひき離され

てしまった


損得の心の世界がひろがった

遊戯は 約一万年間つづいて

きた


だが人類は この遊戯から

のがれて

根源的遊戯をする時代へと

周期とともに やって来たのだ


アインシュタインの物理学

幾何学が

その開幕の時をつげた

質量とエネルギー

時間と空間

この二つのものが 同時存在する

ものであることが

わかったのだ


一つのものが 二つのものになって

姿をかえて

あらわれていることが

わかったのだ


この宇宙の連なったものの

音楽的うたい上げが

発見されて来たのである


すべてが 連なり

己(個)ものが無いという

ことである

物理学の世界から 構図の

世界へ

幾何学の世界へと心の眼が

とどきはじめたのだ


構図の世界 構造の世界では

歌が おどりが 遊戯が

あることに 心の弦が

ふれたのである


この遊戯は 根源へと

つらなり

夢と ともに 舞っているのである


「私」と「あなた」 「あちら」と「こちら」

これら 相対的な言語は

色あせて

吹きちぎれてしまうのである


大きな花の一つの花粉

一つの花弁である人間は

舞って 歌って

もっといい花をさかせねば

ならない


宇宙を 宇宙として

遊戯を 遊戯として

うたい上げねばならない

のである

地上的遊戯は おわった

バイブレーションで 身をふるわせよ

人々


1980.03.19.

| 1980年 | 23:35 | TOP↑

≫ EDIT

名称を消すと行為が消える


自己を消す方法に二つある


「私は私」と私につっこんで

ゆくことによって

消える


「私は私」とか

「人間である」と いうように

一つのものに

或は 同一性に

つっこんでゆくと

そこで 幾何学的回転が

おきる


そのつきあたりで ぐるりと

回り 消えてしまう


もう一つは 名称を 消すことだ

名称によって 多様性が生まれ

自己が 生まれている


その名称によって 出来上った

自己は

名称が消えると 消える


消えたものが 最後にのこり

遊戯がその中から 現われて

くる

その遊戯が 恍惚となり

踊りとなる


それは 消えたものの 舞

声も 言葉も うしなう


すべてを 遊戯と かえよ

名称も 行為も 消える

舞だけが のこる


1980.03.18.

| 1980年 | 11:27 | TOP↑

≫ EDIT

多様性との闘い

今までのアジアは

聖なる方向性を与えてきた

ところが アメリカはそうでなく

あるピュアーな中から

ピュアーな本当のものを

見つけ出そうとしている


自由という無限にひろがる

ものの中から

何かをつかもうとしている


アジアは或るきめられた

極点があって

それを 神とか 神性とか

神聖とか

無とか 空とかなづけて

それに向かわそうとしてきた


そして 人は硬いまじめな人へと

つくられてきた


そこでは 人はかたくぶつかり

合い

他をみさげ

その反対に 愛で人と人が

仲よく

うまくゆこうとしてきた


尊敬という言葉もそこに

登場した


しかし アジアのその中から

一つの花がさいた

それが ラーマクリシュナである

彼は 宇宙を一つの遊戯と

とらえた


そんなに 硬い 神聖じみた

聖らかさとか

けがれなさと

とらえなかった


神も遊戯ととらえられ

神をこえたものブラフマンも

遊戯ととらえられた


そこに 今まであった方向性は

消えた


この混沌とした世界

人間世界から逃げるのでなく

この中にも 神の中にも

神をこえたもの ブラフマンの

中にも

その本性なる遊戯がある

ということである


人はどこへも 逃げることが

出来なくなった

今そこに本性があるのなら

そこに見い出さねばならない

のだ


遊戯……そこにこそ自由が

あるのではなかったか


自由とは 遊戯の別名に

すぎなかったのだ

またこの世のすべてのものの

名は

自由 遊戯そのものである

すべては自由に 自由から

自由へ

遊戯から 遊戯へ 動いて

いるのである


その自由性

その遊戯性

それこそ ピュアーと名付ける

宇宙の本性

本体そのものなのである


人は昔 言語をつくって

あらゆる 物 あらゆる 行為に

それぞれの 名称をつけた

そこで 名称の世界へと

人はおちこんで しまった


あれは人 あれは石

あれは 光 あれは 時間

あれは 空間などと


アメリカはそういう名称をこえた

何かの中で 何かが

みつかるものと 思った

それがアメリカ民主主義である


遊戯は あらゆる硬さを

破ち

あらゆる囲いをやぶって すすむ

善も 悪も 知も 無知も

神も 人も 物も 機械も

すべて自由 遊戯 ピュアーの

一つの名のもとに

とらえてしまう


右も 左も 下も 上も

高いも低いモ赤も黒も

すべて自由 遊戯 ピュアーの

中で とらえてしまう

発展とは これら自由

遊戯 ピュアーのことである



1980.03.04.

| 1980年 | 20:28 | TOP↑

≫ EDIT

遊び

この宇宙は遊戯だと

ラーマクリシュナが言った

その通りである

人は余り かたい方向に

行きすぎて来た


かたい者は すぐに

拒絶反応を示す

やわらかい者には

折れたり ひしがれたりがない


人は今まで 間違った 宗教の

教えによって

かたい人間に

まじめという 良き名のもとに

そういう方向に 行っていた


神 神聖 そして人は

きよらかな けがれなき

一つの光りの中に

入ろうとしてきた


しかし それは間違っていた

別に 悪い方向に行けと

いうのではないが

硬さから 超越から

とき放たれねば ならない


硬い そういう者は

拒絶反応をおこし

……まあ 失礼な!とか

無礼な奴だとか

他の人を 遠ざけ

その人から 遠ざかろうとする


そしてゆくところは

神聖な方向である

神や聖でないにしても

人間から 遠のこうとする


これは宇宙の とらえ方を

まちがえ

そんな教育をうけ

そんな しつけをうけて

大きくなったせいである


宇宙はそんなものではない

あなたの心に

遊びを 持たせなさい


遊び 遊びのあるところには

何もかもが 許され

何もかもが 楽しく

明るいものに変えられてくる


ものを言うのが いやになったり

顔を見るのが いやになったり

しているのは

最もゆきづまった時だ


硬い自分という人間を

指の間から 落ちこぼれさせよ

遊びの手の平の上で

すべてを 踊らせよ


宇宙は 遊戯そのものだ

愛とか やさしさとか

親切とか 聖とか 神聖とか

いうものとは

ちがう


宇宙は時空のように

異なった 性質のものが

同時存在しているように

幾何学的な構図によって

保たれている


そして 更にそれが

不確定な構図によって

保たれている


この不確定構図こそが

自由そのもの 消えたもの

そのもの

遊戯そのものと

いわれる構図なのである


1980.03.04.

| 1980年 | 13:45 | TOP↑

≫ EDIT

バウルの手

img049.jpg


おどりの中で

おどるもの

おどりの手の平で

おどるもの


バウルの手のひらに

もし お金をのせても

彼はそれを

決してつかまない

それは 彼の手の平の上で

ゆれ 

おどり

そこから

おちこばれる


お金は おどりの上で

おどる

おちこぼれる


人間の肉体

人間なるこの体

この人間なるものは

本体の手の平の上で

おどらしめよ



おどりの上で

それは

落ちこぼれよ


本体なる自分は 肉体を

「恍惚」の中に

とかしてしまう


バウルは歌う

バウルは踊る


狂気 狂気 狂気がくる


歌う もの

踊る もの

踊る もの

歌う もの

一つのなかで輪舞する


歌うもの 踊るもの

踊るもの 歌うもの


それは その中で

その中で それは



1980.03.02.

| 1980年 | 23:01 | TOP↑

≫ EDIT

経済にも歌わせよ

アメリカ流の体質の移殖を

強く おしすすめよ

これを 忘れるな

これを おこたるな


これなくしては 人は

救われない


この体質の移殖を通じて

自己を消し 自己をなくして

狂うのだ


狂うとは

砂糖が 砂糖になることだ

風が 風になることだ

歌が 歌になることだ

おどりが おどりになることだ


何やかやと 文句を言うな

文句を考えるな


人には そんな悪いくせがある

そんな 善悪のくせから抜け出よ

それこそ 狂った人間たちだ


本当の狂いの 人間は

もっと もっと たしかだ

もっと もっと 透明でたしか

なのだ


金を儲けたら 人にやってしまう

これが もっと たしかな

狂いの姿 なのだ


今の人々は 金を儲けたら

自分の懐中ふかく

しまおうとする


これこそ 狂人だと わから

ないのか


人は そのうちに分って来る

だろう


狂人と 本当の狂人

本当の狂人こそが お前だ

自己を消せ 自己を


すべてのピュアーな朝を

ピュアーな風を

ピュアーな人を

たたえて おどれ


ピュアーバウルの到来だ

アメリカ流を 更につき進んで

ピュアーバウルの到来


すべてをたたえる人となれ

おどり 歌いまくる人となれ

それ以外に何も考えるな


働いて よく働いて

その金の一部を人々に

分けてやれ


社会の経済は くるってくる

くるって よろこぶ時がくるのだ


今我々は 経済に 首をしめられて

いるのだ

それから 解放されよ

経済を狂わせるとその首を

くくっていた紐が解けてくる


経済にも歌わせよ

踊らせよ

経済をも 解放してやれ


今は我々が反対に

経済の首をくくっている

経済を苦しいものにするから

こちらまで 苦しいものになるのだ


そのむすび目を解け

人は 救われてくる


1980.03.01.

| 1980年 | 13:34 | TOP↑

| PAGE-SELECT |