1980年06月 | ARCHIVE-SELECT | 1980年08月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

胸をはって歩け


光速 光速

光速以上の 彼方でおれ

光速からおちると 人間は

くだらぬ人間に おちこむ


光速 光速

光速以上の 彼方にいると

人間という自分も ついてこれない

下から上に あがろうという

自分というものに 人間は

くっつかれて いるのである


呪われた人間

自分にとりつかれた 人間

自分もついてこれない 世界に

おれ


光速の世界

そこには ピュアーしかない


ピュアーの 中には何もない

何ものも ついて これない

彼方に居れ それこそ 本当の

お前だ


自分をも おっぱらえ

ついて こさせるな

自分とは くだらぬものだ

お前になれ お前に かえれ

本当のお前は 光速をこえたもの

根源そのもの


ピュアー ピュアーなるお前に

独立せよ

お前は 一人なのだ

二人の世界に 入るな

胸を はって 歩け


1980.07.31.
スポンサーサイト

| 1980年 | 10:39 | TOP↑

≫ EDIT

ビートルズが教えてくれるもの

ビートルズ音楽の中に一つの偉大なことを

発見した

それは 下から上に行くのでなしに

上から下に 来ている ということであった

人は下から上を見て 上へ 上へと行こう

としているが

本当は 上から下に やって こなければ

ならないと いうことである


宇宙は 根源的なものと それのあらわれ

と そして それから更に展開されたもの

とがある

芸術の世界でも 宗教の世界でも

同じだ


人は  下から上ばかり あおいでいる

が いつまでも そんなことを していては

いけないのだ

プレスリーの音楽は 下から上をのぞん

でいる

だから 感情やこうあるべきだという

型がある

それは 彼自身の 心にまだ硬い

からがあるからだ

だから 彼の音楽がかかると

大体の型が……型のある踊りが

はじまる

だけど ビートルズの音楽では

型のある踊りより

自由な踊りが 生まれてくる


ビートルズは 根源をつかんでいる

その根源から彼等は

あらわれとして 下りて来ている

根源的なもの あらわれ 展開


根源的なものには 消えた

波動がある

あらわれは そこで はじめて

波動 ゆれ となって 現われてくる


だから 下におりて来て

あらわれとして来た 人間の状態は

体が ゆれていなければ ならない


それが 展開となると 踊りの形と

なって 現われる


歌手が 歌をうたう前に 体が

ゆれて いなければ ならない

バイブレーション

にゆれて いなければ

ならないのである

そして

背中のA点に 意識を 集めて

そこにおきる バイブレーションで

歌わねば ならないのである


芸術においても 宗教においても 

人においても

その「ゆれ」……バイブレーションが

なければ だめである


今までの芸術や宗教には 光速

の バイブレーションがない

硬いことをいう説教などは

これからの時代のものではないのだ

そんなものは 下から上にゆこうと

したものだ

インドの宗教でも論理を こねくり

まわして

下から上にあがろうとしている


寺院の門前には市場がひろがる

線香やベルが 売っている

数珠が うっている

それらを身につけ



神にささげる花をかって

寺の門をくぐる


説教をきく

これも 神への飾りつけである

神の像の前で ひざまづく

神への讃歌がうたわれる

そうしなければ 下から上へ

行けないのだ

だが ビートルズの音楽は教えて

くれる

上から下に あらわれてこいと


その根源に我々がとびこむには

どうすれば よいのか

星だ 星を見て光速を頭にかける

のだ

そうすれば コンピューターの回転が

はやくなってくる

そして 神をたずねるのでなく

自分は「人間である」と 直接に

自己を直観することだ


人間が人間をみつけないで

神をみつけに いっている

これはおろかな事だ

先ず 人間が「自分は人間だ」

と知ることである


人間が人間だと わかった時

それは自己の根源にかえった

ことである


相対的直観から 直接的直観

に かえれ


人は上からおれてくることが

できる

根源のあらわれとして 人は

来るのである


その時人は体が ゆれている

バイブレーションに みちている

それだけで十分だ


知識や情感の世界をすてよ

バイブレーションの世界でおれ

光速コンピューター人間となれ



1980.07.15.

| 1980年 | 14:24 | TOP↑

≫ EDIT

ビートルズ音楽のすばらしさ


今夜 ディスコを おどった

そこで ビートルズ以外の音楽と

ビートルズの音楽の違いが

はっきりわかった


ビートルズ音楽は とても

すばらしい

仏陀やキリストより

偉大かも知れない

ビートルズ音楽を かけると

すぐのれる

だが それ以外のディスコ音楽

には

知情意があって そこに 型が

ある


おどる者をして 型に

はめさそうと いうものがある


その点 ビートルズ音楽には

それがない

それには 人をとらえるものが

ない


歌には 三種類ある

根源的「歌」と

あらわれとしての 「歌」と

歌われたものとである


音楽も 根源的音楽と

あらわれとしての 音楽と

音楽として 展開されたものと

がある

ビートルズの 歌と音楽は

はじめに その根源に たどり

ついていて

その根源から あらわれ

そのあらわれとしての 音楽で

とどまっている


決して 展開まで やって来ていない


展開には 知情意があるが

彼等の音楽には それが ない

根源的な ひびきでもって

人々をゆさぶり

踊らせ 歌わせるのである


しかし 決して型を

人々に おしつけないばかりか

型と知情意を 人々から

取り除いて しまうのである


人々は 型と知情意のない

根源的な世界へと

いざなわれるのである


その意味において ビートルズの

音楽は

地上でも まれなものと いえよう

説教でなしに 地上の人々を

人種を こえて

酔わしめた その理由が

ここに あるのである


1980.07.14.

| 1980年 | 13:25 | TOP↑

≫ EDIT

荒々しい世界からおりよ

「荒々しい世界はいやだ」という

この言葉は 人を救う


人はこれを となえる事によって

人の中にとどまりながら

人の中におらず

人の行為を 見ていても

人の行為を 見ない


人の好き きらいも

ここでは とんでしまう

感情その他は すべて

「荒々しい世界」であるから


とにかく 問題を

自己の内に もたせるのは

自己の居る位置が

わるいからだ


その位置とは

「荒々しい構図の世界」という

ことである

そこにいては

いつまでも人は苦しむ

問題ばかり 自己に

おこさせる


聖を おうのも

人間を おうのも 

神を おうのも

神を 拝むことに夢中に

なるのも


人を 好ききらいするのも

他の者の行為や言葉が

自分にひっかかるのも

やさしくするのも

しようとするのも

すべて 荒々しい世界なのだ


人は 人の中にいて

人を自己の中に 入れない

神の中にいて 神を入れない


よくなろうと いう中にいても

それを自己の内に入れない

それら 荒々しい緊張の  

世界構図を けとばせ


「荒々しい世界はいやだ」と

となえれば

その構図からぬけられる


いま自分のおる心の世界が

よくない 世界なのだと

認識すること


認識しないと いつまでも

その構図の中にいて

何とかしようとか……そういう

努力 をつづけるのである


すもうとり「力士」が土俵から

おりるように

そこから おりねば

ならないのである


1980.07.09.

| 1980年 | 11:23 | TOP↑

≫ EDIT

しっと

「しっと」心は どうしたら消えるか

しっと心ほど 苦しいものは

ないだろう


「しっと」は やはり 相対構図に

いるから

わくのである

その構図を

変えない以上

それはどうしようもない


すべて構図だ

ひっかかる構図におれば

ひっかかるのは 当然だ


構図さえ かえれば

なんともなくなる

相手を悪いと思って

いた事が

ばからしくなる

相手が悪いという事は

この世には ほとんど無い


では その構図を

どのように 変えるか

それは……「消えた構図」の中に

とどまればよい


相手の行為があるだけで

それを とらえる自分が無い

透明な 自分がそこにあるのを

感じられる


透明に いつもなっていないから

ひかかるのである


荒々しい世界からおりよ

透明で 行為のない相手が

わかってくる


1980.07.03.

| 1980年 | 09:59 | TOP↑

| PAGE-SELECT |