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1981年03月 | ARCHIVE-SELECT | 1981年05月

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踊り狂っている者がいた

踊り狂っている者がいた

狂いだ


そこには人に何の

関係もない明るさがあった

明るさ 明るさ


インスピレーションの停止の

世界


人はいま停止することを

忘れた

夜空の星を見ることを

忘れた


この二つがなくなると 人は

人からすべりおちてしまう

インスピレーションから

すべりおちてしまう


美の最高の地点は

インスピレーションである


「ふるえ」である

踊りである

狂いである


人からはなれた時

それはなる


超スピードと

超明るさはそこある


ブラフマン

はじめも おわりもなく

それはある


人や宇宙に何の関係もなく

それはある


踊り狂っている者がいた


1981.04.29.
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| 1981年 | 09:51 | TOP↑

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人は人をこえよ

衣をつけよ 衣を

僧の衣をつけよ


僧とは 僧だ

人間をこえたものだ


人間は人間をこえねば

ならない


人間をこえた時

人間は人間となる


人間にかえるのだ

人間を通りこえよ

人間への関心をすてよ


性からはなれ

ふれ合いからはなれ


人間と人間との間で

何かをしようとするのでなしに

人間と人間との間で

何かよいものが なされようと

さがすのでなしに


ちがう者になるのだ


この感覚の世界で

この感覚の世の中で

宇宙とか 人間とか いくら

おっかけても

すべて感覚の世界を

追うだけとなる


それらはすべて

人間のまよいだ


禁欲主義も それの反対の

性の自由も

また それに 何らかの

理由をつけて

性を美化しようとする

こころみも


或は人間と人間との

ふれ合いも

すべて こころみにすぎない


それらは果てしない

ゲームである


人は停止することを

わすれている

停止の中にすべてがある


すべてをふくみ

すべてを 超越し

すべてを 支えている


それにかえれ

それは 僧だ


僧とは

人間をこえて

人間となったものをいう


衣をつけよ

一枚の 衣を


俗や人と

或は宇宙とえんを切った

衣をつけよ


その時 人は人となり

静止の歌と

静止の踊りと

静止のふれ合いとが

おきる


それは感覚的世界の

ものではない

一つの祈りだ


感覚の人間界や

感覚的宇宙をどこまで

いっても

追っかけて方法を考え

組みたてても


それは果てしない

失敗におわる


坐れ

衣をつけて座れ

歌も 踊りも そこから

出てくる


その姿は 祈りだ


神をこえた神が

そこにあらわれてくる

ブラフマンだ

ブラフマンは

知情意 人間 宇宙を

超えたところにある


先ず人間は

人間という足許から

超えてゆけ


人間の中での

何かを求めるな


それらはすべて

むなしい


坐ること

衣をつけて 坐ること

それが すべてだ


人が 人を

おがめる時は

その時である


ゆく所は どこにも

ないのだ

行くところは そこだけだ




1981.04.27.

| 1981年 | 11:02 | TOP↑

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この世のものに何も興味をもたない

この世のものに何も興味を

もたない

この世のものはすべて

感覚の世界だから

この世のものに何も興味を

もたない


この世のものは いくら遠くに

いっても


……宇宙

宇宙という 神秘らしく感じる

言葉を

もちいても

宇宙そのものが 感覚の

世界である


眼に見える世界は

どこまでいっても 同じだ

ここに居るのと 余り

かわりはない

遠くにゆく必要もなければ

ひろがる必要もない


ひろがっても 宇宙の

はてまでいっても 同じだ


感覚の世界という

ひと言でおわる


感覚もこえた世界には

この宇宙の感覚世界が

ない

そのこえた 世界は

この世界ではない


この感覚の世界のものに

興味をもたない


そこには踊りも歌も

何もない


しかし 超スピードと

超明るさ

時間のちぢまる世界

感覚の世界が おっついて

来れない 超スピードと

超明るさで

この世界が飾られる


超スピードと 超明るさ

四次元の世界は

かけまわる


島宇宙が超スピードで

かけはなれていくように


人間は超スピードと

超明るさをもって

世を明るくしてゆく


感覚的に つっ立っている

者は

ふっ飛ばされてゆくぞ


時間となれ

超時間となれ

その彼方に

ブラフマンがある


1981.04.26.

| 1981年 | 10:16 | TOP↑

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ピンボケの一本の8ミリフィルム

人間はどこまでも 果てしなき

享楽を追い求める


信仰という名のもとに

神と人間との

教典と人間との

真理と人間との

……よろこびや 自己満足を

求めつづける


都会の騒音を スピードを

人と人との しげき

人と音と 人とスピードとのしげき

人と思想との ふれ合い


しかしそれは あくことなき

求めである

追う者は 空虚を得る

のみとなる


求めをなくした世界へ

人間と人間との ふれ合いの

世界から

人間と神との ふれ合いの世界から

求めなき者の姿に

自分を導かねばならない


それには 人を 肉体を

純粋物理の世界へと

導かねばならない

幾何学的世界だ

時空のちぢまる 非ユークリッドの

世界だ


ユークリッドの世界での自由観は

ふっとばされてしまう

円信仰

円は完全であり 円満であり

ひろがりである


そこで見られる自由観念

そんな自由は自由ではないのだ


人はしげきや静かさの中から

やさしさや あたたかさの中から

よろこびを

得ようとするが

これもユークリッドの世界だ

あくことなき求めはつづく


地上は いかりと 愛欲と しっとと

損得と 自由と 不自由とで

うずまいている


私は8ミリムービーを25年間

つづけてきたが

はじめてこの間 いいものが

一本とれた


それはピントの合っていない

映像であった

雨がバラの花に

降りそそぐ

ピントのぼけた

一本のフィルムだった


半導体だ


人間なんか出てくると

ぶちこわしだ

これ程人間がいやらしい

ものだと

思った事がない


感情なんか本当に

いやらしい

いくらよろこびや感激の

シーンであったとしても


それと はっきりしたものの

いやらしさ

これにも ぞっとした


やっと まともにとれた1本の

8ミリフィルム

25年間に一本

ただの一本が

はじめてとれた


その一本から 学ぶものが多い


1981.04.26.

| 1981年 | 00:02 | TOP↑

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時間と空間はふざけている

人はユークリッド幾何学の世界に

住んでいると

時間はちぢまらず 空間も

ちぢまらない


人は非ユークリッドの世界にいると

時間はちぢまり

空間がちぢまる


これは 遊びだ 遊びの世界だ

まるでふざけた 世界だ

ふざけた世界が

見えてくるのだ


人はそのふざけた時間の

ちぢまる遊びの中にいないと

腹を立てたり 怒ったりする


お金がへったらおこるし

とられたら おこる


それは一定の世界に住んで

いるからだ


アインシュタインは時間の

ちぢむ世界に住んでいたから

ふざけた遊びの中にいた


宇宙的遊びの中にいたのだ


それで 彼は舌を出した写真を

写している

彼は世の損や得や賞賛や

嘲笑の中に

いたのとは違う

そんなものは彼の中には

なかった


ユークリッドの世界における

人為的につくった物の中に


ユークリットの世界観は

人を悲しみと喜びの

果てしもなくつづく世界に

おとし入れる


ニュートンの幾何学だ

三角形はどこまでも

三角形で

その形を変えない


だから減ると 人は怒る

のである

お金がへると

……そこには のびちぢみの

世界がないのだから

まともに 損得 賞賛 嘲笑に

ひかかってしまうのだ


いわゆる 神話のない世界だ


だから人は非ユークリッドの世界に

住まねばならない


そこでは 時間はちぢまり

空間はちぢまり

物の長さはちぢまって


ニコニコほほえんで

遊びをつづけている それが

わかってくるのだ


光速の世界

光速の世界が頭の中に

かかってくると

のびちぢみする世界

遊びふざけている世界に入る


硬いことばかり言っているのは

この宇宙をユークリッドの世界だと

思っている 

古典的物理学の中にいる

人々だ



宇宙的にふざけた世界とは

人間が考えるような

ふざけた世界ではない


宇宙的ふれ合いも

人間が感覚の世界で

考えるような

ふれ合いではない


光速の世界での遊びも

人間が考えるような

遊びではない


人はすべて人間的

感覚の中で

すべてを判断する


宇宙をこえた世界は

すべて それらを超えているのだ


静と動の

ふれ合いの世界

光速の通過する世界


光速 光速

光速の世界がやって

来たのだ


人間はその前で坐り

或は その前で

両手を高く上げて

つっ立て


光速の前につっ立て

光速の前に坐れ


静止の世界が

やってくる


1981.04.21.

| 1981年 | 12:37 | TOP↑

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半導体は無時間の世界

半導体は 無時間の世界

無時間の世界は 半導体


半導体は遊ぶ


半導体は遊び

遊びは半導体


そこには時間がない

時間も光速で逃げ去った


逃げる時間はふざけているよ

遊びそのもの


遊びながら 時間は

鹿が金網をとびこえて

畑の野菜を食って

そして 逃げる時に

ピョンと ぞうさなく

金網をとびこえて

畑から去ってしまうように


どこかへ 消えてしまった

まるで神話ばかりの

世界だ


半導体 

無時間と時間

鹿と野菜畑


来ては 食って

食ってはピョンと無造作に


時間は 時間を

金網を

とびこえて


もとのところに

かえってしまう


この世は神話にみちて

いるのだ

我々は ベールのかかった

世界ばかり

見ているのだろう


神話が少しも 見えない眼を

しているのだ

一杯 神話があるのに


時間がちぢまり

空間がちぢまる

人は ゆるやかに

斜めになって

空間を泳ぐ


時間は 無時間と

時間の両方を いったり

来たりして

かくれんぼうをしているし


空間も 円になったり

六角になったり

自由だ


クソォ!!

クリシュナが逃げてゆく

森の木陰へ

ラーダの衣の端が

まだ少し見えている


やがて それも

すべるように

消えてしまった


ラーダとクリシュナの

いたずらはつづく


1981.04.21.

| 1981年 | 10:35 | TOP↑

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人間の宇宙的芸術 1981年代

人間の宇宙的芸術

ふれ合いの世界

これを私は セックスという


ヴォーグの絵の本を見た

これはものすごい絵だ

1913年代から1926年代


アメリカでは1960年代が

やかましく言われているが

絵の世界にも すでに

インスピレーションの この輝きが

花さいていた


ヴォーグのこの絵

……宇宙の歌と踊りが

見事に あらわされている


静と動のふれ合い

白 黒 赤のふれ合い

歓喜して宇宙は 吼え声を

上げている この絵


月にのっかっている女

月に立っている女

三人の女が踊っているもの

……これはまさしく

宇宙のふれ合いだ

これを私は セックスという


セックスとは 性器のふれ合い

のみを

意味するのではない


あるものと あるものの

ふれ合い

そこにおきる歓喜を

いうのである


セックスも インスピレーションも

宇宙のひびきにふれる も

みな同意語である


人間は長い間 この

同意語を忘れて来た

芸術そのものを忘れて

来たのである


或る日 私は

「プレイボーイ」を見た

その時 すばらしい人間のもつ

芸術をみた

感じたのである


ちょうどアインシュタインが

いかなる賞讃にも

いかなる嘲笑にも

平気であったように

きれいだ


1920年代が終った頃

世界中の人々の関心が

アインシュタインに集まった

かつて一度も 人気というものを

求めなかったこの一人の人間に


賞讃と嘲笑の はるか彼方

に彼はいた

宇宙とのふれ合いの中に

宇宙とのふれ合いの中に

インスピレーションの世界の中に

彼はいたのである


「プレイボーイ」に出てくる

裸のむき出しの女体は

世のつつましい女性たちよりも

はるかに越えて

真実なる世界をそこに

あらわしていた


歌と踊り

宇宙とのふれ合い

インスピレーションの世界


……人間は余り

自己をかばうために

裸を インスピレーションを

わすれてしまったのである


悪魔のつくった 砦の中で

それらはセックスさせられて

きたのである


完全に人間の宇宙的

ふれ合いを

人間の芸術を 失って

しまったのである


ヴォーグの絵と プレイボーイの

写真と

アインシュタインと 乾燥地帯に

ふると雨と

草々とのふれ合い


その大芸術の前にあって

私はいま

新たなる宇宙の発見をした

ふるえと興奮の中にいるので

ある


円と六角形のふれ合いも

まさにその重なりの極みだ

円のまわりに 円をくっつけると

六つくっつく

しかもそれが 六角形をつくる


六角形のない円は存在し

得ないのだ

六角形の投影像は

どこまでも

六角形ので その反対に

いくら大きさがちぢまっても

小さい六角形を より

小さくする

と思いがちだが

これは二次元的な考えである


投影像を反対に見ると

大きいものがちいさくなって

ゆくのを見る


しかしその小さくなる

投影像は 直線部をみていると

直線がちぢまるが

それがもつ内角のひろがることを

考えていない


角度は三次元に入る

縦 横 高さの その高さが

角度である


三次元的投影像をみると

直線がちぢまり

角度がひろがるのである

その六角形は

六角形から円に近づく

そしてしまいに

小さい円になって点となる


現代人は円信仰をもって

いるといえる

円は 平和をあらわし

円は 完全をあらわし

円は 宇宙をあらわし

真理をあらわしている


しかし円というものが

本当に固定的にあるので

あろうか

円が六角形になりうる世界が

あるとしたら どうなるのだろう


世界は変わりつつ

変わりながらふれ合いつつ

進む


時間ですら 絶対的でないと

アインシュタインは言う


アインシュタインは

人間の世界で起きる小さな

全人類の賞讃や嘲笑など

ものの数ではなかったのである


裸がはずかしいとか

賞讃がうれしいとか

性器だけのふれ合いが

いやらしいのだとか

秘密なのだとか

つまらぬとらえ方をしている人間が

いつ どこから

現われてきたのだろうか


それは無知という

ひとふれからやって来た

としか言いようがない


「プレイボーイ」「プレイガール」の

写真

ヴォーグの絵 あのきれいな絵

そしてアインシュタインのたんたんたる

顔を見る時

人間の芸術の「粋」をそこに

見るのである


宇宙をかけめぐる力

光の速さ

ひろがり

リズム

ふれ合い

歌と踊りをそこに

見るのである


1981.04.19.

| 1981年 | 23:35 | TOP↑

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復活祭

雨がふった

何だか夢のようだ

こんな雨の日を想像も

できなかった程に

雨のない日がつづいた


畑を耕し 水をまき

植えた種にかれ草をかぶせ

植えた苗の根元には

太陽にやられないように

やはり かれ草をおいた


水が何回もまかれた

スプリンクラーをつけて水をふんだんにやる事を

考えた


作業はつらかった

汗を流し 腰をのばし

のばし

その日々がつづいた

雨がほしい 雨がほしい

雲ゆきがどうやら

雨らしくなった時

うれしかった


だが 雲は散ってしまった

……雨がほしい

雨が……と

天をあおいだ


ここレディングは

今でもこうして雨が

降らないのに六七八月は 少しも

ふらないという

110度(華氏)……40度以上の

気温が 2ヵ月間

つづくという

いくら木陰は涼しいのだと

はいえ

思いやられる


よし七八月に雨を降ら

してやろう

天に祈った


そのせいではないが

四月一九日のイースター

復活祭の朝

雨だ!


まちこがれた その雨だ

……このように雨になって

しまえば

晴天つづきのあの日々を忘れてしまうくらいだ


今日こそ本当の安息日だ

仕事をやめて

家の中にいよう


木々は草々はよろこんでいる

バラの蕾は背高くのびて

この雨とのふれ合いを

心ゆくまで よろこんでいる


人間が頭からシャワーを

あびて

よろこんでいる時のように

バラは 木々は草々は


昨日……その花々や草々の

ために

それらに水をやりたいばか

りに

広い広い草原の彼方まで

パイプを引いて

水道の蛇口をつけたというのに


それもこの天からの恵みの

シャワーによって

過去の日々は夢のように

きえて

今はよろこびの最中だ


雨はしきりに降っている

木々は 草々はよろこんでいる

そのふれ合いを

よろこんでいる


この雨が2日も3日も

つづくのだろう


ふれ合い ふれ合い 

歌だ これが 踊りだ


草木はのびのびと

明日も あさっても

のびつづけよう


今日は偶然にも

キリスト教徒たちにとって

イースター

復活祭だ


1981.04.19.

| 1981年 | 21:55 | TOP↑

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古い精神文明はおわった

白人と黒人がアメリカ大陸に住んだ

白と黒……闇と光は「場を得たり」

とばかりぶつかり合い 内心優位を

きそいはじめた

だがその勝負は 中々だった


彼等双方にある根源的色彩は

その優性をあらわしはじめた

精神をこえて彼等は肉体の中

から

「ほえ声」をあげはじめた


それは物が生まれる以前のもの

純粋物理の門出のラッパでも

あった


彼等は踊った 彼等は歌った

精神を破り 精神をけちらし

人間をけちらして

光の明るさ 光の速度

闇の力と ピュアーさをもって


彼等は根源力を発揮しはじめ

たのである

ピュアー文明なるものを彼等は

つくりはじめたのである


肉欲文明でもない 物欲文明で

もない

明日より今を永遠に……に生きよう

とする力と光と ほほえみ

そんなものを アメリカ全土に

ふりまきはじめた


ヨーガ ヒンズー教 仏教等々と

精神の旗をふりまわしている

者たちをよそに


宗教者 哲学者はいつも

ふるい 仮想の敵

本能主義や物質主義

或は機械技術文明をたたき

つけ

精神文明の旗を立て直そうと

している


しかし時代は第三文明なる

ピュアー文明へとおしよせている

スピードの時代 コンピュータの

時代

バイブレーションの時代へと

大進軍をしつづけているのだ


裸でもOK

はだしでもOK

肉体と肉体がひっついて

でもOK


もともとある秩序の世界へと行く

硬いことを言う

暗いことを言う

今までの考えをおしつぶしつつ

進軍


そのスピードは光速よりはやいのだ

もう暗い 硬い世界は

おわったのだ


1981.04.15.

| 1981年 | 11:06 | TOP↑

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新リグヴェーダ――神の笛 

私は今 新リグヴェーダの下絵がかける

ようになった 今でもそれをかけるが

それをもっと 温めたい


しかし その洪水は 噴水はせきを

切ってやって来そうだ ちょっとでも書い

て見ようか おさえきれないから


おお バラがきれいに

咲いている

開ききった薄かき色の

バラと

蕾をふくらませ 今まさに

開かんをするバラの

いくつかが

ある


太陽が まわっている

地球が まわっている

宇宙がまわっている

それらは 

ゆれ動いている


はじめも おわりもなく

それらは動き 生きつづ

けている


統一された世界

でたらめな世界でなしに


それに 人間だけが

でたらめな世界にいる

人間がつくった世界の中で


家をわすれた犬が

野ら犬になったように

蜂の巣をわすれた蜂が

遊びまわっている間に

巣にかえれなくなって

プールや水たまりに転落

して

死んでしまうように


人は死というはじめと

おわりのある世界で

うごめいている


人は家を忘れたのだ

自分のかえる家を

忘れたのだ


そして人為的につくった

栄養物をたべて

生きている


或は 食べ物

或は 享楽

或は 何々……


それらを食べれば

生きられるのだと……

それらの中で 楽しんで

おれば

たのしいのだと


それら人為的につくった

ものの中で

何やかやと 動き生き

そして死んでゆく



それは 野ら犬のうろつきに

似ている

人間のつくったそんな

世界でなしに

もとからあるものがある

そこが 我々の家だ


そこが 我々のもとだ

そこには生も死もない


永遠にそれはあり

永遠にそれはさかえる

そこは静と動が一致して

いる世界だ


そこいらにあるものとは

ちがう


ぶどうが そこいらになって

いると

人間はそれを

手づかみにして

口に入れてしまう


そんな そこいらにあるもの

そこいらに みつかるものとは

ちがう


そんな「他にあるもの」を

食べていると

人には飢えがつきまとう

飢えから切りはなされない

のだ



たのしさをおわないと

何かそんなものを食べないと

生きて行けないのだ

今の人間は


人為的につくった物は

それだけのものしかない

或は聖典のことば

愛 聖 親切 やさしさ

神への愛

それらをもてば

それらの中に入っていれば


それらと共にいれば

高い 高い天国にゆけると

思いこんできた


それらもつくられた意識の

世界の

絵であり 食べ物であった


きれいに飾られた

野ぶどうであった

イブやアダムたちにとっての

リンゴであった


男と女とのあくことなき

享楽


人のつくったうまい食べ物

お金をはかりにかけて

その目方の大きいことを

よろこぶ男と女

或は夫婦


別のものをみて

別のものをたくわえ

ふれて

よろこぶ人間


それらはすべて はかなく

生と死のはかない

おちこむ世界に

それらをみちびく


東風が吹くと

笛がきこえてくる


その笛がなると

花々はひらき

太陽が ほほえむ


空気はふるえ

一日の仕事をはじめる


東風が吹くと

笛の音が

神の笛の音がなってくる


笛の音

笛の音

その笛は 神だ


神が通ると

笛が通ると

天地はひらけ

やく動をはじめる


人々は生死をこえる

他の食い物を

食わなくとも

生きられる


蜂は蜂の巣にかえる

なぜか

……蜂は蜂の巣が

自分の家だからである


蜂の巣を犬に見せても

犬はそれを家だと

思わないだろう


そのように今

人は犬になりきっている

うろうろそこいらを

うろつく犬だ


蜂は蜂の巣に

必ず かえる

そこには蜜がある


静と動のかさなった世界

静と動がかさなり一つに

なった世界

そこには永遠の生命がある

太陽を 地球を

その他の星雲をうごかして

余りある力を


それは持っている

エネルギー

質量とエネルギー


幾何学と重力

重力と幾何学

幾何学とエネルギー


その重なりが

万物をうごかす故郷である


故郷……家が

そこにあるのだ

我々の家は 決して

人為的につくられ

考え出されたそれらとは

ちがう


愛 やさしさ うまいもの

ビタミン ミネラル

それらが 我々に

永遠の生命を与えるものとは

ちがう


それらは それ等だ


我々はそれ等とはちがう

それらと我々とが

切りはなたれて

我々の故郷

家にかえった時

我々はそれらのもとと

なる


それらは 我々の友だった

のだ

我々の家と友とはちがう


家にかえろう 家は

蜂の巣の家

蜂は家をわすれない

あの六角の蜂の巣だ


六角形 六角形の幾何学的

構図だ


あれは我々人々の生命の

源なのだ


六角形の蜂の巣の形は

我々のコンピュータの形

我々そのものだ


コンピュータに半導体の

形が

かけられると

色々な解答がはじき

出される


半導体は その解答を

はじき出すもとの記号だ


しかしそれは

コンピュータとはちがう


記号は動きをつくり出す

だがその動きだけでは

まだ 荒々しい


荒々しい動きは

はじめの動きだ

ビートルズの音楽のようだ


ビートルズの音楽は

かってなかった本物の

ものだ

だが その本物が

この世にあらわれてすでに

久しい


その音楽がもっと

せんれんされて

統一の音を

出さねばならない


統一

統一とは何か


昔からヨーガにおいて

ヒンズー教哲学において

その他 あらゆる宗教家に

よって

その統一なるものが

とかれ示されてきた


しかしそれらは非科学的な

ものであった

人間のこしらえたものであった



茶店に売っているだんごの

ようなものであった


それを食べて人は

一時のいこいをとった


茶はうまかった

風は 涼しかった

しかし

笛はきこえてこなかった


神の笛だ

東風は 笛をおし出す


統一 統一

統一がくると 東風が

吹く


静と動だ


人間のもとのもとは

コンピュータにある

そのコンピュータの形にある

いわゆる六角形だ


人はその六角形を

想像すると

その自己のコンピュータの形

そのものに入る

コンピュータの形はそれを

受け入れ

想像した その形そのものの

中に入ってゆける


統一がくる

形は形の中に入ってゆく


栄養は 永遠の栄養は

永遠の動きは

永遠の質量は

永遠の宇宙は

永遠のおわりなく 初め

なき

あるものは


その結合からくる


静は動と隣り合っている

静…… 静

静は六角形の形を

かさね合わした時におきる

瞑想や思考哲学に

よって

静の静は

くるのではない


形と形を

もとのもとの形と形を

重ね合わせた時

それと それを融合

結合させた時に

うけ入れ うけ入れられて

一つとなる


それは人為的な考えや

食い物なんかの

はるかに はるかに 昔の

ものだ


宇宙もそこから来た

形と形が重なり

統一されると


動きの世界がはじまる

動きの世界にあって

静をつくると

動きと静の半導体的

動き

半導体的静の世界を

つくる


そこから本物の宇宙の

動き エネルギーがおき

人間がおき

花がひらき

天が動き

呼吸するのだ


あの仏陀の静寂をみよ

あのラーマクリシュナの静寂を

みよ


そこにほほえみが

宇宙のほほえみが

あるではないか


ほほえみは花だ

宇宙の風だ

東風は甘い

甘い風は神の笛


統一からやってくる

永遠の生命の風

生も死もなく

人間は 永遠に生き

人間は永遠の

宇宙と共に

まわりつづける

はじめも おわりもない 静寂な世界に

そのほのえみは

世界をつつむ


きれいなバラが咲いている

蜂は 六角形の中に入って

やすらう


六角形の世界

それこそ 統一への鍵

形だ


我々は自己の扉を

宇宙にあけるのは

愛や やさしさ その他の

夜みせの品物らでは

あけられないのだ


やはり「鍵」をもたねば

ならなかったのだ

「鍵」は 我々のハートの中に

しまわれている

あなたのハートをあけて

宇宙のあなたの家を

あけなさい


私が 手をかしてあげよう

きっと その扉はあきます

あなたのハートがもし

かたくさえなければ 


硬い石頭の者はこの

私のいうことを 信用しない

頭ではだめだ

ハートをあけて その鍵を

私に手わたしなさい


私も手つだって その扉を

あけてあげよう

私は 自分の扉をあけた

事があるのだから


鍵は誰のものも

みな同じだ

六角形

六角形をしているのだ


この六角形こそ本当の

哲学のゆきつくところであり

宗教のゆきつくところである


静と動の合流

そこに本物の……根源的な

半導体の世界があった


うただ 踊りだ

それは 静寂のあの

ほほえみだ


アメリカ人のほほえみの中には

それに似たものがある

アメリカの黒い肌の人々の

中にも


私はこの一週間程前

ロスの大通りで

昼下がり 太陽のてりつける

バスの停車場で

ベンチのそばに ラジオと

セールスマンのカバンをおいて

一人の黒い人が 


ぱりっと 背広をつけた

インテリ青年が ただ一人

さかんに踊りまくっている

のをみた


私も車を止めて彼と

一緒に

おどろうと思ったが

車はそこを通りこしてしまった


彼の踊りは 半導体の踊りだ


それは それはすばらしかった

誰もそこにはいない


暑い暑い太陽だけが

そこにあった


私の頭は 彼からはなれない

アメリカの白人研究と

黒い人々への研究が

そこにのこっている


神の笛が この

アメリカ全土に

そして世界全土に

吹くことを

私はねがう


恍惚がくる

恍惚が

純粋半導体の

その本物の世界から


1981.04.13.

| 1981年 | 22:41 | TOP↑

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