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1981年06月 | ARCHIVE-SELECT | 1981年08月

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宗教の世界がここにある

同時存在の幾何学の世界

同時存在の幾何学の世界

同時存在の幾何学の世界


そこには二がない

相対がない

むろん一もない


そこは同時存在する

世界である


同時存在する世界は

まとめ上げられた世界である

そこにはあちらとこちらがない


私もあなたもない

同時に存在する世界である

そこには離れというものはない

離れてあるものはない
   
同時に存在している世界である


それは構図の世界

構造の世界である


信仰も神も愛も

信頼もない

こちらからあちらを見るという

そんな感覚的――相対の世界

ではない


そこはまとめ上げられ

まとまった世界である

その構造の位置こそ

我々の「統一」とよばれている

位置である


我々には自分と他というものは

ないのである

その「統一」の位置に意識を
   
集めよ


すべてがぼやけて見えてくる

いわゆる相対感覚が

なくなってくるのだ


構図の世界

構造の世界

自分の本質の世界である


この一も二もない

まとめ上げられている

同時存在する世界に

意識を集めよ


私も あなたも 神も

なくなってくる


宗教の世界がそこにある

宗教となれ

まとめ上げられたものと

なれ


そこではすべてが消え

ぼやけた ぼやけた世界が

展開する


神の笛の音はそこから

聞えてくるのだ

おどりがはじまる

おどりがはじまる

統一された自己の

本性の中から


中点をもつまとめ

上げられた世界

安定とほほえみ

ほほえみと安定は

その同時存在の世界から

くるのだ


背骨のⒶ点に意識を集め

構図の中にとどまれ

消えた世界がみえてくる


1981.07.26.
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| 1981年 | 14:01 | TOP↑

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水もれをふさげ

水桶の孔は

ふさがねばならない


孔があいていると水が

もれて

桶の役目を果たさない


それなのに人は

人という水桶でありながら

孔があいている


それに水ばかりでなく

いろんな宝をつめこもうと

している


水桶の孔は次第に

大きくなって

そこに入れた物は

すべて落ちこぼれる


いたずらな 水くみの労を

人はつみかさねている


その孔とは何か

それは「言葉」だ


人は言葉という孔をもっている

それをつめる事だ


その言葉という孔をつめると

ものがたまり出す


言葉を出すことをやめると

人は本当の行為を

知る事が出来る


人は自然な自分のあり様を

すべてつぶして

知情意そのもので

つくり上げたあり様を

行為をしている


そうでなしに

自然に「行為」が生まれ

でてくる

その本物の自分にかえれ


水もれの孔をふさげ

口をふさぐのだ 口を

そして意識を背骨の

Ⓐ点 に集中せよ


人間の意識は頭から

背骨のⒶ点に集まってくる


すると 今までの知情意の

世界にいた自分から

インスピレーションの自分に

かえる


Ⓐ点はインスピレーションの

位置である


そこが自分の本物への

回転扉の位置である

そこに意識を集めよ

笛の音がなってくる


神の笛

インスピレーションの笛の音だ

あらゆる 哲理も

真理らしい言葉も

宗教用語もそこでは

失われる


神も宇宙も

宇宙一切も

人々もなくなって

ただ 笛の音のみとなる


Ⓐ点はその笛の孔だ

これこそ本物の孔だ


水もれの桶の孔をふさげ

Ⓐ点の孔

神の笛の孔に 意識を

集中せよ


笛がなりはじめる

インスピレーションの本物の

ひびきがきこえる


子供のような

ほほえんだ顔が

ぼやけて映ってくる


吹け 笛を

本物の孔から

本物の空洞から

恍惚を吹き出せ


それしかないのだ

ピュアーな笛の音が

きこえてくる


1981.07.22.

| 1981年 | 23:56 | TOP↑

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一番大切な事

芸術にしろ 音楽にしろ

人にしろ

すべて自分を

たぶらかすものである


人はそれらに関わって

いる間

自己をうしなっている


たとえ 神や奉仕や

信仰であっても

すべて

自己をうしなわせるもので

ある


人はそこで よろこび

えつに入っている間

自分の本当に

せねばならぬ事を

わすれている


自分が本当にせねばならぬ

事は

自分が子供のような顔に

なる事である


人が人を愛し

或は愛し合い

神を愛し

神を求め

真理を求めて

哲理をおっている間

人は自己をみうしなっている


人にとって

自分にとって

一番大切なこと

一番になさねば

ならぬ事は


自分が子供のような

顔になる事である


それを忘れると

他に何かを求めにゆく

他との関係において

やすらぎを求めにゆく


人は その度に

それをつづけている間中

自己を失っている


たとえ 神へ 人への愛で

あったとしても

それらはすべて自己を

たぶらかす一瞬である


ほほえみをもて

子供のようなほほえみをもて

その時だけが 真実なる

自己だ


賢そうな顔になる必要は

少しもない

子供のような顔になれ

それがすべてだ

人やその他に関わってゆくな



1981.07.17.

| 1981年 | 11:15 | TOP↑

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聖者と子供

聖者をほっする者達と

子供をほっする

者達とがいた


聖者をほっする者たちは

むつかしい経典を

つくり

苦行 禁欲主義

神や神官への

絶対奉仕

或は権威主義

等々と

人を或る一定の型に

はめようとして来た


そこでは 人々は

まじめになった様だが

一面 人々の心は

ちぢみ

形へ 形へと

仕立て上げられ

本物の自由から

逆に 不自由を

得て来た


そして

聖者のような

かしこそうな顔を

人々は夢みて

来たのである

しかしそこからは

子供のような顔は

うまれて 来なかった

明るい顔が


何の野心もなく

何の権威もなく

何の硬さもなく

そこに咲いている

花のような

やわらかさは なかった


毎日あがる太陽は

同じくれないの色を

空一杯に ひろげるように

はじめのままの顔

それはそこには

なかった


しかし 人類は

その顔から

違う顔をほっするように

なった

それは子供のまんまの

顔であった


ふんわりと やわらかい

硬さの何もない

顔だ


少しの事にも

大変よろこんで

自然と共に 笑い

たわむれる顔だ


人々はほほえみ

豊かな経済社会を

そこに 築いた

彼等は がつがつしないで

人生を何倍も長く

たのしんだ


彼等がこの世を去っても

その子供のような顔と心は

つづいた

それはほほえみに

輝いていた


永遠はその子供心のほほえみに

他ならない


そのほほえみの中に

彼等はとけ入り

それ以外の 何ものも

求めなかった


何千年も 何万年も

彼等は 生きつづけた

そのほほえみの中で


1981.07.16.

| 1981年 | 16:31 | TOP↑

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真実なる広場

空洞 空洞

空洞 空洞

孔のつまっていないもの


孔がつまると

人間は人間の一切に

かかわってくる


空洞になると

空洞をつくると

それらの知情意の

関係が切れて

広場をもつ


その広場こそ

真実なるものの広場である


そこでは 人間と宇宙との

すべての問題は

起きないし

そこでこそ 本当のことが

おきてくる


人間の救われるのは

その広場だけである


人間は知情意のつまった

棒のようになっている

だから苦しむのだ

そのつまったものから

空洞をもった者にかえれ


空洞をもつこと

広場をもつことを

忘れるな


人間とこの宇宙から

はなれよ

感覚世界からはなれよ


東風は空洞だ

空洞は東風だ


笛をもて

笛となれ


笛は孔が開いている

だから音が出るのだ


人は一つの神の笛

笛――笛となれ


笛は音を

音楽をもつが

言葉をもたない


言葉をもつ人間から

音楽をもつ人間にかえれ


真実なる響だ

それは 

言葉のもつあらゆる

可能性がきえてくる


ブラフマンの響そのものとなれ


知情意からくるなやみを

知情意でおさめようと

するのは

やくざが やくざで

おさめようとするのと

同じだ


それはいたずらな苦を

つづけるだけだ


知情意からくるなやみを

知情意で解決しようと

するのでなしに

形のかわったもの

質のかわったもので

解決しなければならない


それは半導体的なもの

空洞で

解決を

するのだ



空洞 空洞

人類はこの空洞を

もたず

約一万年間

孔のつまった棒を

知情意の棒を

ふりまわしてきたのだ


仏陀への道

自己実現は

この空洞の広場からくる


宗教 宗教

宗教の車の向きをかえよう


光の矢がそれをつらぬいて

通る

笛はふるえて音を出す

神の笛だ

神の笛の音がきこえる


1981.07.10.

| 1981年 | 13:33 | TOP↑

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闇の大ぶろ敷きの世界から抜け出せ1(初期バージョン)

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間


この言葉をくりかえせ

この言葉をくりかえせ


私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

この言葉をくりかえせ


くりかえしているうちに

その言葉の間に

空間がみつかる


私も人間

あなたも人間という

言葉の間に


この相対関係に

関しておきる

一致点において


一元への空洞が

出来る

その空洞こそ

一元への入口である


そこではこの

感覚世界でおきる 

相対的反応即ち

知情意の反応

がおきてこない

のである


そして

そこは半導体的な

世界で

人と人がぶつからず

やわらかく ぼやけた

曲線的な世界である


この宇宙を三つに大きく

分類する事が出来る


この感覚の世界

これは荒々しい世界であり

あやまち多く

知情意のうずの中で

人々は

苦をつくり

苦の中で死んでゆく


次に純粋物理的な

世界がある

ここには記号がある

例えば質量とエネルギーとか

時空とか 或は

男女 人間というように

記号の世界があるのである


この記号の世界を通過

すると

一元のぼやけた世界に入いる

この世界は響の世界である

ここには 善とか悪とか知情意とか

記号とかがない


私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間



この空間 この

一致点の

回転的位置が

あらわれると

そこを通過して

「ひびき」の真実な

世界に

突入する


その入口の記号の世界

半導体的な世界

知情意をこえた世界

では

人間という自分にも

他の人にも


親切とか 愛とか

やさしさとか

気をつかってなされる

意識的世界

そんな動きはない

それら 荒々しい世界は

ない


そんな世界はとって

つけた世界であり

そこでは 他に心を要求する


そうでなしに

その空間――空洞――一致点

に人が立つと

記号の世界に入り

純粋な世界に

立たされるのである


そして人が

本当の人となるのである

知情意に支配された

人でなしに

真実な人となるのである


これが「場」であり

それ等の相対的に

存在する者達の

運動――あり方――あり様が

そこから

生れてくるのである


その状態は外観的には

愛とか親切とか

やさしいとかに見えるのであるが

そんな知情意の世界に

おいて


二者の関係をそのように

しなければならないと

教えられて

出来てきたそんな

行為や心でなしに


本来の自己そのものが

開花して来たものである


「ひびき」「ひびき」

真実なひびき 「根源」が

その者を 恍惚に

ふるい上らせ

世界全体を

ふるい上らせる


人は 大昔

そのようであった

そこから

言葉をつくり 名称と

記号の世界に

入り


更に感覚的荒々しい

世界を

つくり上げて

苦しんで来たのである


人はそこから

約一万年間の歴史から

抜け出さねばならない


闇の大ぶろ敷の世界から


そこで一つ大切な事を知って

おかねばならない

それは記号と名称とは

ちがうという事である


山とか 石とか 水とか

男とか 犬とかいうのは

名称である


記号となると そこに相対

関係における構造

即ち関係……あり方が

扱われているのである


例えば時間・空間

質量とエネルギー

これは記号であり

中間子というのは記号

でなく 名称である


だがこの中間子というものが

人間の知性が真実を

思い浮かべる助けとして

それは理論的記号の

世界に入る


我々はその名称の世界

から

一元の世界に帰ることは

出来ない

帰ることが出来るのは

相対関係における

記号の世界を通してで

ある


物理学は幾何学の

世界にぶつかり


幾何学の世界は

「宗教」の世界にぶつかる

即ち一元の世界

統一の世界

ブラフマンの世界

根源の世界にぶつかる


神を拝むことは宗教では

ない

それは信仰である

宗教とは ブラフマンの世界

根源の世界そのものをいう


人を愛しなさい……という事は

宗教とはちがう

これは道徳の世界である

これは鉛筆です という事は

物理の世界である

構図や構造の世界に

入ると幾何学の世界に入る


人は今まで 名称と記号との

扱い方をはっきりさせていなかったし

宗教と信仰の区別をもはっきり

させていなかった


人間にとっての「宗教」

とは

人間が

そのブラフマン(根源)を

実現することである


人生の目的であるこの

自己実現は

今日までの宗教と呼ばれる

道徳的 哲学的な方法では

達成出来ない


相対的にこの宇宙に

立っている人間から

一元的に立っている

人間に

かえらないかぎり

それは達成できない


私も人間

あなたも人間

といって

名称の世界から

相対的関係の

世界に入り

記号として扱われる方法

一元の入口に立つ

方法しかない


信仰宗教的な説教に

よってでなく

幾何学的な構図を

かえることによって

それは達成されるのである


位置をかえること

自分の立っている位置を

かえること

その位置さえ

かわれば

自己は助かる


自己実現も 知情意の苦から

救われる事も

この位置をかえるという

回転木馬にさえのれば

それはあなたを

運んでくれる


幾何学の回転木馬に

のりさえすれば


21世紀の「宗教」は

このようにして

あなたに近づいてくる


1981.07.05.

| 1981年 | 20:21 | TOP↑

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闇の大ぶろ敷の世界から抜け出せ2(神笛バージョン)

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間 

あなたも人間


この言葉をくりかえせ

この言葉をくりかえせ


私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間

この言葉をくりかえせ


この言葉をくりかえしていると

私という言葉と あなたと

いう言葉が

無力化される


相対から一元へと入る

のだ


私も人間

あなたも人間

私も人間

あなたも人間


私とあなたという二つの

記号が

手をうって踊り出し

一つの中へとけてゆく

ぼやけた一つの中へ


宗教的用語の

闇の大ぶろ敷の世界から抜け出せ

こんなものは ろくなことを

してくれない


ただ 私も人間 あなたも

人間ととなえよ

これこそ民主主義の第一歩で

ある

人間としての第一歩である


足許を 足許を

ピンボケのバラの花で

飾れ

消えた者の大いなる

足許を

1981.07.05.

| 1981年 | 20:06 | TOP↑

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