FC2ブログ

1982年04月 | ARCHIVE-SELECT | 1982年06月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

批判について


批判は悪いものだと

されて来た

批判とか 非難とかいう

言語すら

よろこばしい響を

感じさせなかった


ところが どこでどうなった

のか

私の考えが 変わった


ある一陣の風がふいて

頭の中をかすめたように

それはやって来た


それは 「批判」はいいもの

である

という事だった


昔の人々は批判して

井戸端会議のように

ストレスを 解消していた


それから見ても

これは 一つの健康法だと

わかった


では 大いにやりなさい

という事になる


それが今までのように

批判や非難はよくない

もの

言ってはならないなたないもの

と扱われていると

いつまでたっても

それらは消えない


批判や非難をストレスの

解消のよき場だと見れば

それは一つの「遊び」として

とり扱われてくる


遊びの中で扱われてくると

もしかしたら「消える」かも

知れない


では「もっとしなさい やり

なさい」という事になる


批判や非難はおさえれ

ば おさえる程

いんけんに 何処かにかくれ

形がかわって

現われてくるだけである


それが 「もっと しなさい

やりなさい」となると

いつわりの壁がくずれて

もとの人間が 姿をあらわす


それが 昨夕わかってから

私の心は より解放されて

人間らしくなってきた


そして 今朝である

それを更に 羽のはえた

白鳥の

幾何学の構図の上に

のせてみた


その「遊び」は宇宙を

とんだ

私の体全体も

魂全体も

踊りだした


宇宙をまた

ちがった軽さで

とびはじめた


やはりこれだ

宇宙をとぶのは

この幾何学の世界に

おいてである

という事を改めて

認識させられた



宇宙をとぶ

ふるえ上ってとぶ


これはやはり構図の

世界においてである


構図の世界は

すべてを完全にまで

みちびいてくれる

ブラフマンの入口である


消えた世界

遊びの世界

批判よ ウエルカム

ウエルカム


遊びの中で

消えて

構図の世界に

はばたいてゆけ


ブラフマンがそこに

待っている



1982.05.30.
スポンサーサイト

| 1982年 | 13:15 | TOP↑

≫ EDIT

一人の天国

一人でいないから

他人への批判がわく


一人でいると

他人への批判が

なくなる

極楽と 地獄は

ここから別れる


天子の世界は

一人の世界であり

今までの人間の世界は

二人の世界であった


他にかかわりをもっていた

そこに善し悪しが 生まれた


極楽な世界

来なければならない世界は

天子の世界である


各自が 一人つっ立ち

批判なく

かつ尊敬にみちている

世界である


今までは 他人にかかわり

すぎる

二人の世界であり

各自が バイブレーションを

もっていなかった時代である


透明はそこには なかった

そして各自が 孤立しており

独立がなかった


独立と孤立とは ちがう


独立している者は 強い

孤立している者は 弱い


孤立している者は

我が身をかばい

他を批判するか

或は

批判し合っている者を

批判する


孤立と独立とは

ちがうのである


これからの時代は

独立し

しかも 明るく 透明で

そこには 「尊敬」がある


1982.05.29.

| 1982年 | 10:31 | TOP↑

≫ EDIT

素朴

中国人の夫婦の夢

それの中で「素朴」の

偉大さについて

教えられた


これによって 人類の

ゆく方向性がよりよく

はっきり

して来そうだ


無知でも 無学でも

無文化人でも

だめだし

それかといって

余り知識人であっても

いかんし


根底にやはり この素朴と

いうものが

なければならない


素朴の中からは

あらそい うらぎり

危険性などが

わいてこない


やすらかな生活

やすらかな顔


輝いていなくても

危険性を 少しも持たない

顔 人というものは

すばらしい


美しい顔

あの夢の中に現われた

中国婦人


まずしいが

きれいな 教養のある




それが 眼にのこる

それは 決して教育を

うけた人の顔では

ないのだ


部落にすむ中国人で

ある


中国の長い文化の中から

その家庭の中から

生まれ上ってきた

顔だ


決して 知識人では

ないのだ


人類の未来像に

この「素朴」なるものが

どのように

必要であり

どのように 活かされて

くるのであろうか



1982.05.18.

| 1982年 | 17:24 | TOP↑

≫ EDIT

踊りと舞のちがい

踊りと舞の ちがいは何か

舞 舞 踊り 踊り


踊りは 異質なものの

同時存在している

その重なりの構図から 生れる


特に その接点から

ふき出て来る


重力と 幾何学の

ふれ合いから


ところが 無重力の世界が

ある

そこでも 幾何学の構図は

つくれる


その幾何学の構図だけ

で 踊ると

それが 舞となる


舞には 重力がない


その舞だけの世界という

ものが

あるのである


むろん 手が動くのだから

重力が 加わるのであるが

幾何学の構図だけを

手が おうのである

それが 舞である


1982.05.02.

| 1982年 | 21:33 | TOP↑

≫ EDIT

躍動のおきる位置

重力と幾何学

重力と幾何学


重力は幾何学である

重力が加わると

幾何学の構図がかわる


幾何学と重力とは

相対的関係にある


時間と空間の関係

質量とエネルギーの関係の

ように


他方のない一方のように

二つは一つである


その重力が物質にかかった時

幾何学の構図がかわる


その重力と幾何学の

ふれ合い

そのふれ合った一点

これが躍動の一点である


この躍動を本格的な躍動と

するには

やはり頭で感じるので

なしに

背骨のA点で感じなければ

ならない


世の人々は頭で考え

頭ばかりで生きているが

我々は幸いにして

背骨で生きている


背骨のコンピュータを

生かして 生きている


このちがいが 人々に会う

たびに

痛感させられる


頭人間と背骨人間の

ちがいを


頭だけでは 本当の

感動が

やって来ないのである

宇宙的な感動が


1982.05.02.

| 1982年 | 16:54 | TOP↑

| PAGE-SELECT |