1983年04月 | ARCHIVE-SELECT | 1983年06月

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開きと結合

相対的に物が配置されている

この宇宙にあっては

その配置されている事柄の

中において

何かがなされているのである


ところが この社会において

人と人との中において

自由とかいって開きばかりを

考えてては

開きぱなしになってしまうし

閉ざしばかりを考えても

閉ざし放なしになってしまうし

それらは二つとも 極端な

考え方である


開き放なしは現在も明るいし

未来も明るいが

ただ 物が消費されるばかりで

ある


それで 閉ざしという系でなく

結合という系をみつけねば

ならない

いわゆる 開きと結合が

同時に存在している系である


そういう二つの異なった

ものが 同時に重なり合って

存在している系である


一方のない一方も 考えられ

ないし

その反対の 一方のない一方も

考えられないという


二重性の同時存在する

世界である

時間 空間 質量とネルギー

波長と粒子で 光ができて

いるように

そんな系を見つけるのである


それが 物が相対的に

配置されている意味であり

相対性理論の一幕でもある


劇はつづけられねばならない

人間たち 物たちとの劇が

二重性の同時存在するその

系の中で


しかも ピンボケの意識をもって

ピュアーな心

ピュアーな精神でもって

遊戯はその舞の中で

つづけられねばならないので

ある


しっかりすると自分だけの考えの

中で

他を非難しぱなしでおわり

それらは破きょくをまねく

集合体の中で おれなくなる


一つの国家であってもそうだ

今の世の中はまさしく

この しっかり人々の集合体に

なっているから

ぶつかり合うのだ


半導体的に空洞のある

ピンボケの世界を展開せね

ばならない


今までの社会は権威と

きょ栄にみちている

こういうものをすてねば

ならない

アメリカ人はそれをすて

はじめている


また 結合と開きということは

他の人をも開き

解放したものでなければならない


夫が妻を解放し

妻が夫を解放する

それは 今までの暗い社会を

開幕させる


私は私 あなたはあなた

私はあなたの為に生まれて

きたのではありません


あなたも人間 私も人間

そうして 解き放ち

とき放たれた者たちが

その理解し合った上で

結合してゆくのなら

どんなに幸せな人生を

おくれる事でしょうと

アメリカは進んでいる


こうして一つの家族

一つの夫婦

親と子との関係を

解放している



1983.05.10.
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| 1983年 | 14:29 | TOP↑

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宗教を先行させるな

宗教を先行させるな

物理学 幾何学を先行

させよ


その奥に 宗教がみつかる


中途から人は宗教を

先行させてきた

心とか精神とかいって

そして神を 哲理を

あみ出してきた


それは複雑なわけも

わからぬ世界をつくってきた

長い間 そんな社会が

つづいた


だけど今はそれを

てんぷくさせる時期だ


宗教なるものを早く

みつけようと思えば


星 星々 樹や樹々たちは

宗教の中に生きている


人 人々はそれとちがった

世界に すんでいる

かりに作り上げられた

ものの中にすんでいる


かりに作り上げられた

宗教はすてやすい

いかに 何万年つづいた

ものであっても


物理学 幾何学 そして

宗教……この順序をわすれるな

みつけた本物の宗教に

定着せよ


本物の宗教とは

ピュアーなるもの

ピュアーそのもの


ふるえてくる

ふるえてくる

樹々や空間 時間

運動 石や山


自分と それらとの間に

間隔がなくなってくる

宗教とはそれだ


実をいうと この世の中には

相対というものは ないのである

それは ただ相対的に

物が配置されているだけの

ことである


感覚的にとらえる眼は

それを相対とうけとめて

しまうのである

それを心の中に映像化する


人はそこで 間隔の中で

生きはじめる

いわゆる間隔文明が

築かれてしまったのである


考えることがおきた

心や精神は ここでは

しきりと活躍した


ちがう世界を つくり

上げてしまったのである


そして それらが優位の

王座につき

緊張と警戒の しっかり社会を

つくってしまったのである


やわらかさのない直線思考が

やわらかいピュアーな曲線思考を

どこかに追いやって

しまったのである


だから人類はこうした

もともとからの人間の

あやまちから

くつがえしてこないと

どうしようもないのである


しっかりせよ しっかりせよと

心は 精神は となえつづけて

きた


強盗はうまれ それを

おいかける 警官がうまれた

しかし その双方とも同じ

ようなものである


しっかり社会の

かげろうのような 群像である


1983.05.09.

| 1983年 | 17:08 | TOP↑

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ピンボケの声


体をさゆさぶっている事

体という物質を優先さす事

なぜなら心や精神より

物質の方が

早くこの世に

誕生したのだから


心や精神は あとから

来たものである


宇宙が出来て

はじめに鉱物の世界が

あった

そして生命をもつ植物が

うまれた


そのように 生命より鉱物と

いうような物質の方が

先に この世に来たのである


だから人間にとって

心や精神よりも

物質の方が

母胎である


心や精神に

人間をまかせると

ろくな事をしない


物質の中には

はじめからある宇宙

構造が

ひめられており

そこでは ピュアーなる本性が

波打っている


物質 あるいは物と物との

動き 運動の方が

心の世界よりピュアーだ


人間は心とか 精神とか 

魂とかいうものに

主体性をおくが

それは間違っている

それらは 物質より後から

来たものである


そして精神とやらは

感覚や知識を通し

まちがった事を見

まちがった事を考え

善し悪しや

硬くるしいものの中で

生きて来た


そこには もともとあった

ピュアーなるものは

なかった


それは まよいと

混乱の世界を

まよいと 混乱の人間を

つくり上げた

賢くならなければ

しっかりしなくてはという

その考えが

大人の声を

子供の声から

きりはなしてしまった


子供のあのかわいい

シタ足らずの

あまい夢のような声を

大人は出せなくなって

しまったのである

ピンボケの世界を


ピンボケの画面を 大人は

わすれてしまったのである


肉体に物質に意識をあつめ

心や精神をボカしていると

ボケた世界に

ピンボケの世界に

入ってゆける


光速をかけて

宇宙の彼方までとべ

ピンボケの世界がある

そこが宇宙一切の

ふる里だ

子供はその世界に近い


声に顔に それがある

まず 体をゆさぶることから

はじめよ

そして ピンボケの画面を

想像せよ


ピンボケの光速をもって

宇宙の彼方までとべ

心や 精神や 魂までが

それについてくる

あとから


先に 先行させるのが

物である

心や精神ではない

ピンボケの ピンボケの

世界の中に 生きよ

しっかりすると まちがって

くる


1983.05.08.

| 1983年 | 22:33 | TOP↑

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子供の甘い声を

子供の声を 私はおい

求めて来た

天使のような声

シタ足らずの無心な声


それは ピンボケの画面の

中から

出てくる事がわかった


子供はピンボケの中にいる

大人ははっきりした画面の

中に生きている


しっかりしないと生きてゆけ

ないからという事も

あろうけれど


しっかりすると画面まで

しっかりしてくる

子供はピンボケの中に生きて

いる


TVで銀行ごうとうや

大人たちのなぐり合いの画面

これらは しっかりした中から

おきてくる事がわかった


人はピンボケから はずれると

大変なことになる

「大草原の小さな家」という

TV映画だと思うが

ちょうど 教会堂へ人々が

入ってゆく

牧師がピアノをひき出すと

黒人の婦人が 手拍子を

うち出した

人々もそれにならった


にがにがしい顔をしてその

さわぎの中にいる婦人もいた

牧師までが壇上で手拍子を

うち出し

子供のようなニコニコした顔で

体までゆさぶっていた


教会堂は こうあるべきだ

硬ぐるしいばかりが教会堂では

ない

手拍子をうてるのはいつも

体がピンボケのコンピューターを

もっていて

おどり 歌っているからだ


しっかりすると人は

苦しい社会をつくり出す

そうぞうしい混乱した社会

つくり出す


シタ足らずの子供の声を

出そう

すべてが 踊りと夢とに

みちてくる

花の精までとび出してくる


1983.05.08.

| 1983年 | 10:43 | TOP↑

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