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1983年06月 | ARCHIVE-SELECT | 1983年08月

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おお おお 願いは一体

おお おお 願いは一体 何だったのでしょう
おお おお 願いは一体 何だったのでしょう
自己の消えていない者のもつ特性である

「礼拝」が現れると 全ては消える
実現したいということも
外なる宇宙も 翼の一線も
微笑みも 全て消える 

俗世に生き 日常の色々な願いも
全て消える

おお おお 一体 一体
それらは 何だったのでしょう
眼が醒めたように 自分は消えてしまった

礼拝 礼拝
この平安なる調べ

1983.07.28.
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| 1983年 | 19:44 | TOP↑

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ゆだねと礼拝

道はすぐ忘れられてしまう
易しい道ならすぐ覚えるが 難しい道はすぐ忘れてしまう
日常のいろんな問題がぶつかってくると
しっかりつかんでいない道はその嵐の中で
見えなくなってしまう

ゆだね ゆだね ゆだねようとするがうまくゆだねられない
問題解決をその「ゆだね」によって解決しようとするも
ゆだね切れない
ゆだねの効果はどこへいってしまったのだろう

本当の「ゆだね」の道に入っていないと分かりながら
その「ゆだね」に頼ろうとするも
それは 効果を現わしてくれない

ぴったり「ゆだね」の中に入っていない自分を感じる
ところがその見失ったであろう道を
いつも苦心して探しているうちにやっとみつける事が出来た

それは「礼拝」を通じないとダメだという事
礼拝することが「ゆだね」である事が はっきりしてきた

ゆだねようとする事は本当のゆだねではない
それは知識の道である
ゆだねは結果として来るものである
「礼拝」は幾何学である
礼拝するのでなく「礼拝」そのものになるのである

幾何学の重なり
重なりこそ幾何学である
そこに「礼拝」がある その「礼拝」そのものになること
幾何学となり 更にそれが「ゆだね」そのものとなる

「ゆだね」はゆだねようとして来るものではない
知識の道と本筋の道とは違う
ゆだねよう ゆだねようとする事は単なる頭だけの道である
それは本当のゆだねではない

だからいつも「ゆだねよう」と努めねばならず
そうしても そのゆだねはすぐ吹き飛んでしまう

問題は 頭の中でいつも型をもつ
だが 本当の「礼拝」そのものに没入すると
そこに「ゆだね」が来る事になる
その時 幾何学にずばりと入った事になる

ワシはその時 飛ぶのである
ワシの翼の一線は この時滑走を始めるのである
飛ぼうとして 飛べるものではない
頭の中でこしらえた ワシの翼は見事に言うことをきかない

ワシは ワシの翼は創ろうとして創れるものではない
「礼拝」そのものの中に没入した時に それは成る
それらは成るのである

1983.07.27.

| 1983年 | 13:37 | TOP↑

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ほほえみと歌がとぶ

微笑みが飛ぶ
微笑みが飛ぶ
微笑みが飛ぶ
微笑みが飛ぶ
外なる宇宙をそれは飛ぶ

歌 歌 歌
歌が飛ぶ
歌が飛ぶ
外なる宇宙をそれは飛ぶ

可能性 可能性
あらゆる可能性を放った時
それは飛ぶ
あらゆる可能性を放った時
それは飛ぶ
本物 本物 本物の顔

歌 歌 歌
微笑み 微笑み
大いなる翼

時空連続体を破って
それは飛ぶ
外なる宇宙 外なる宇宙

1983.07.10.

| 1983年 | 23:43 | TOP↑

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