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1983年08月 | ARCHIVE-SELECT | 1983年10月

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記号の世界

記号 記号 

記号 記号


この宇宙のものすべてが

「記号」でつつまれている

人も 人のいうすべての言葉も

行為も

すべてそれらは「記号」である

人が 人につき進んでいった時

それが分ってくる


人は消えて すべてが「記号」で

あることが分ってくる



コップ コップ コップ コップは

コップ以外の何ものでもない


人 人 人 人は

人以外の何ものでもない


それを コップはコップであって

コップ以外の何かであると

問いかけたり


人は人であるが

人の中に神があるとか

人の中に神性があるのだとか

考え出したところに間違いが

ある


考えは 思考の世界に入り

直観の世界から遠のく

本当の直観は

本当のインスピレーションは

そのものを そのものとして

(ずばり)とらえた時

やってくるのである


人間は 人間であって

それ以外の何ものでも

ないととらえた時

人間は消えて

記号であったのかと

分かってくる


コップも 人間も 中性子も

空間も 時間も 重力も

記号である


記号として そこにあるのである

そのそこにある「記号」という

ものをとらえ得たら

その奥に 透明なるもの

透明なる世界が

見えてくる


透明な世界も 記号の世界も

それは思考の世界と

全然ちがうのである

思考の世界は 幻の世界であり

まよいの世界である


光司が 「僕はワニの眼から

生れた」と

笑いふざけまわった世界が

その透明の世界の中にある

神話の世界だ


「僕はワニの眼の中から生れた」

「僕はワニの眼の中から生れた」

四才のこの光司

光司のすむ心の世界は

まさにこの世界だ

……笑いの世界だ


キッキ ケャッ ケャッ

ふざけまわるその世界だ


甘い舌足らずの この子供の声

そこには知的なもの

感情的なものが

何一つない

天子の世界 天国の世界

笑いこけて 叫びを上げる

世界

この世界に私は住みたい


決して 聖者や聖賢の

世でなしに


私は子供の頃から

ディズニーの漫画を少しも

好まなかった


何だか冷たいような

ととのいすぎたような

きれいすぎたようなものを

大人のつくり出す世界の

ようなものを

そこに感じていた


ディズニーも本当は

私のいうところの

この子供の心 子供たちが

遊んでいる心の世界を

かいま見たかったのであろう


しかし彼も その笑いの世界を

現わし得ないで

大人の世界の中で

おわってしまったので

あろう

 
「記号」「記号」

子供にとっては この世界は

「記号」にすぎない


大人にとっては

知識でいじくり廻す

道具としての世界なのである


鳥は言葉をひっこめ

ワニは眼をつむってしまう

コップは コップとしての

顔しか

みせてくれない


1983.09.14.
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