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記号の世界

記号 記号 記号 記号
この宇宙のもの全てが「記号」でつつまれている
人も人の言う全ての言葉も 行為も全てそれらは「記号」である
人が人につき進んでいった時それが分ってくる
人は消えて 全てが「記号」であることが分ってくる

コップ コップ コップ コップは
コップ以外の何ものでもない
人 人 人 人は人以外の何ものでもない
それをコップはコップであって コップ以外の何かであると
問いかけたり 人は人であるが 人の中に神があるとか
人の中に神性があるのだとか考え出したところに間違いがある

考えは思考の世界に入り 直観の世界から遠のく
本当の直観は 本当のインスピレーションはそのものを 
そのものとして(ずばり)とらえた時 やってくるのである

人間は 人間であってそれ以外の何ものでもないととらえた時
人間は消えて記号であったのかと分かってくる
コップも 人間も 中性子も 空間も 時間も 重力も
記号である 
記号として そこにあるのである
そのそこにある「記号」というものをとらえ得たら
その奥に透明なるもの 透明なる世界が見えてくる

透明な世界も 記号の世界も それは思考の世界と
全然違うのである
思考の世界は幻の世界であり 迷いの世界である
光司が「僕はワニの眼から生れた」と
笑いふざけまわった世界が その透明の世界の中にある
神話の世界だ

「僕はワニの眼の中から生れた」「僕はワニの眼の中から生れた」
四才のこの光司 光司の住む心の世界はまさにこの世界だ
……笑いの世界だ
キッキ キャッキャッ ふざけまわるその世界だ

甘い舌足らずのこの子供の声
そこには知的なもの 感情的なものが何一つない
天子の世界 天国の世界 笑いこけて叫びを上げる世界
この世界に私は住みたい
決して 聖者や聖賢の世でなしに

私は子供の頃からディズニーの漫画を少しも好まなかった
何だか冷たいような整い過ぎたような綺麗過ぎたようなものを
大人のつくり出す世界のようなものをそこに感じていた
ディズニーも本当は私のいうところのこの子供の心 
子供たちが遊んでいる心の世界を垣間見たかったのであろう
しかし彼も その笑いの世界を現わし得ないで
大人の世界の中で終わってしまったのであろう
 
「記号」「記号」子供にとってはこの世界は「記号」にすぎない
大人にとっては知識でいじくり廻す道具としての
世界なのである
鳥は言葉を引っ込め ワニは眼をつむってしまう
コップはコップとしての顔しか見せてくれない

1983.09.14.
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