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久しぶりに詩がかけた

久しぶりに詩が書けそうだ
今までここ1、2年間少しも詩が書けなかった
それは思うに「神話」を追い始めてだ
「神話」ほど難しいものはない

「神話」を探して「神話」を探して
その壁の厚さを感じていた 

私の前にその入口が見えてくれなかったのだ
ただその足掛かりとなったのは「オン松とメン松」の話と
三才の光司が言った「僕はワニの眼の中から生まれた」
この二つが唯一の手掛かりだった

しかしこれだけであの広大な 神秘一杯の
「神話」の中には入れなかった
足場 手掛かりはあってもそれを実現することが出来なかった
本物 本物 本物の世界を実現出来なかったのである
 
詩はだから書けなかった
詩を二つ三つ書いたが それらは満足のいくものではなく
すべては没にしてしまっていた

ところが今その「神話」の世界に入ることが出来ている
それは昨朝 食事の時 光司に「お兄ちゃんは服を着たか」と
尋ねた
もう起きたか という意味である
すると光司は私に答えた
「もう 服の中に入っている」と

この答に私はびっくりしてしまった
普通なら「服を着た」と答えるところを
「服の中へ入った」というのである
日本語を十分知らない光司であっても
服を着たという日本語ぐらいは十分知っている

ところが「服の中に入った」というその答は
まさしく普通ではない
我々は服を着るとか 服を着たとかいう事になると
「服を着ました」という言葉となって現れる

ところが それは自己中心の考えであって
私が服を着たとか 服をつけた という事になる
こんな世界ばかりの中に自分が生きている
自分たちが生きて来ているのだ

ところが光司は 自己中心の中にいないのだ
「服」が主体で 人間が客体である
それで 「服の中に入った」というのいう人間を
そこに見ているのである

それは 自己を中心にしていないからである
大人は いや我々はどれだけ全ての中で自己中心に
生きているか……という事がここで初めて分らされた

自己中心で犬を見 自己中心で樹を見
自己中心で宇宙の事物を見て来ているのである
それでは「神話」の世界に入ることは絶対出来ないのである

光司を見ていると彼は10才の終りが来ようとして
いるのだが やんちゃで 勢のある子で
大人も 手を焼くこともある程の子である
そして勉強 勉強と大人が彼を追いまくっている
だが彼を少しも知らなかったのである

大人中心思想 大人の自己中心思想で彼を見 彼を
自分たち人間と同じ人間だと思ってつき合って来たのである
ところが 彼は我々人間からしてみると
トマトのような人間かも知れないのである
トマトとは例えであるが 全然ちがう人間という意味である

我々が彼を我々流に考え 我々流の人間と思い込んで
来たのである
ところが全然違う人間だったのである
トマトと人間程の違いがあったのである

我々は自己中心に生き 考えている存在物である
だからこの光司は 光司一人ではない
幼い子供は光司のように 
自己中心に生きていない人なのであろう
それを大人は がむしゃらに大人人間の中に 
彼らを入れこもうとしている
その過ちがここにはっきりして来た

私は 昨日からこの光司の言った言葉を心の中でつぶやいては
ここに 何かの秘伝があると考え続けていた
そして今夕それが明らかになった

私は自己中心に考えている自己をひっくり返してみた
すると もうろうとした世界の中に
本物の世界の中にすぐ入ってしまった
「神話」の世界であろう
それがまだはっきりそうは思えて来ないが
私は今 飛び跳ねたい程の衝動に駆られている

身も心も 浮き雲の中をさ迷っているようだ
今のそれは今までの私の素晴らしい発見の
それよりも優れているものだ 
どうやら私は「神話」という難解な門の中へ
その門をくぐり抜けた感じがする

やっと詩が書けた
本物が又しても 私と一緒になってくれたのだ
「神話」がどうやら実現できそうだ

リアルな世界から アンリアルな世界へ
ずぼっと入っている
リンゴが樹から落ちたのでなく
樹がリンゴを放したのである

1989.10.22.
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