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詩と神話の関係が分って来た(4)

禅味は 無と有の境にあって

無の性格を 多量にもっている


その神話が もっとすべての物の中に

精を見るとき

それらは踊り出し

透明な遊びとなる


わびさびの 透明から

遊びの透明に かわってくる

ダルマ大師の きびしい姿や 

こじきの世界や はがくれの

世界でなしに

いつも 未来に向って踊り出す

輝いた世界が やってくる


ダルマ大師に ハマキをくわえさしてみよ

ダルマ大師を キャデラックに乗せてみよ

両手を上げて 踊り出すかも知れない


きびしさや 黒い服装を

一生つづける必要はない

禅がこじき姿や はがくれの

武士道と ひっついたところに

迷いがあった


無であれ 空であれ

一神教であれ 多神教でられ

先ず人間は 人間存在そのものが

詩であり

人間の内なるバイブレーション

そのものが 神話である


「樹が一本立っている それは詩である」


「松は 葉っぱと葉っぱを

ふれ合わせて 子供が産まれる」


「僕はワニの眼の中から 生まれた」


これらの言葉を 足がかりとして

詩と神話を 実現しよう


1989.11.28.
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| 1989年 | 21:37 | TOP↑

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詩と神話の関係が分って来た(3)

神話への旅と

詩への旅

禅はそのうち 詩への旅の

方に近い


空 無 それらの旅は

停止の方向に向かう

いわゆる 根源の方向である

しかし その根源的なものへの

旅は 行きついた所で

おりて来なければならない


いわゆる 人間性の中に


禅味とは それである

遊びがそこに やってくるのである

透明な角度をもって


では 神話の高みとは何を

意味しているのだろうか

それは「詩」である

詩と神話は 隣り合い

無と有の接点をもっている


詩は 物の有そのもの

存在そのものをとらえ

停止しており 動きがなく

言葉もなく

無の世界側にあり

神話は動きとなり 心となり

有の世界に属する


精も 有の世界に属し

リンゴや 机や椅子が

時には 神話と見え

詩と見えることがある


それは そのものの精を見た時

神話が現れ

存在そのものをとらえた時

詩がとらえられるのである


1989.11.27.

| 1989年 | 21:37 | TOP↑

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詩と神話の関係が分って来た(2)


詩の中には 生きた動物

生きて それ自体がとび廻り

走りまわれるものが

入らない世界である

それは神話の世界に属する


詩は 「樹が一本立っている

そこに詩がある」ように

動物が 入ってこない世界である


動物には心があり その心の

入っていない世界である


例えば夕焼け空も そうである

それ自体が 詩である

そこに 鳥が飛び

うさぎがとびはねてくると

神話になる


いずれにも 根源的には

不動があるが

あらわれとしての神話には

動がある


いわゆる植物や 鉱物以外の

生き物が登場すると

動きの世界 心の世界に入り

神話となる


そういう意味で 詩は

奥なる世界に近い

あらわれとしての遊びは

神話と 手を結んでいる


神話の中に 遊びがひそかに

しのび寄っていく

それはリズムをもって

それは 透明な

歌と音楽をもって


あらわれとしての 

歌と音楽は

神話の中で 踊りはじめる


木の精 花の精

人間の心の中にある精

「詩」は踊り出てくる


静かに精は 神話を立たしめ

時にはチャメッケのある世界まで

展開してしまう


光司が「僕はワニの眼の中から

生まれた」

それが これである


透明な角度は 踊り

はね 贈り物として

細い線で 布絵を織りなす


そこには 知識の世界とはちがって

理性の はじきとばされる世界である

人間の心のよごれは むろん

入ることは 許されない

神的な者だけが 参入できる

世界である


詩の世界も むろんそうであり

そこでは 仏陀のいう空の世界

無の世界が

かい間みられる


そういうような意味で

禅の世界は 詩的で

神話が そこにない


人間が 神話の世界から 

遠のいたのは

知的になり 哲学的になり過ぎ

物質欲的に なりすぎたから

である


人間が 人間たらんとし

人間が 自己実現せんとするならば

この神話を持たねば

ならないのである


いわゆる今は

神話の危機のどん底へ

直行しつつある時代である


それは 神への信仰が余りにも

権威を持ち過ぎ

神話の位置を くらませたからである


神は もともとなくて

神話性が 神を創り出したのである

ということを

忘れてしまわせたからである


人間喪失 人間喪失は

そうした歴史のもとに 底をついて

しまったのである


故に 人間は

自己の本性である 詩と神話を

今こそ ここに

復活させねばならない


ハイネが 言っているように

神話を文学の中から

見つけようとすることは

さかさまである

文学的空想はむしろ

神話の退化に 拍車を

かけたのである


神話こそ 人間の精神が持つ

根源的言語であり

この神話の深みより

汲みとられるべきである


「松は葉っぱと 葉っぱをふれ合わして

子供をつくる」

これは 現実の世界をこえて

透明な角度を もっている


我々は自己の浅い 現実的な考えで

神話に近づこうとするのでなく

神話の言葉をききとる為に

まず神話の高みにまで

自己を 高めねばならない


それが為に

透明なる線

透明なる角度

透明なるリズムの中を

旅しなければならないのである


これこそ 我々が

どこかに置き忘れてきた

一本の笛である

その一本の笛

神笛を

我々は 吹きつづけ

旅しつづけるのが

この生きた人生である


1989.11.27.

| 1989年 | 14:48 | TOP↑

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詩と神話の関係が分って来た(1)

詩と神話が どう違うのだろうか

これを追跡するも

なかなか分らない


何日も 何日も 

何時間も 何時間も

何ケ月も 何ケ月も

何年も 何年も


この作業を つづけてきたが

なかなか分らない


詩には 根源的な詩と

あらわれとしての 詩がある

神話にも 根源的な神話がある


あらわれとしての詩を みるとき

それには動きがない


しかし あらわれとしての神話には

動きがある

しかもそこに 遊びがある


遊びと 詩と 神話は

根源的に関係し合っている


だが あらわれとしての神話の中にある

遊びと 

あらわれとしての詩の中にある

遊びと

ちがうものがある


詩の中にある遊びの方が

もっと根源的である


世の中の人々は

詩とか 神話とかを

簡単に口にするが

本当に 詩と神話を理解

していない


今までに 神話を真に理解した

人に

ハイネがいる


ハイネは 神話的物語と

「神話」との 区別が出来た

しかも彼は

その「神話の高み」にまで

登っていった


だがここで 詩についても

もっと 考えられねばならない


詩とは 文として書いたもの

それを 詩ととらえている人が多い

それは 人間の言語となったものだ


「詩」は人間の知性を かりなくても

いたる所に それはある


そのように神話も 人間の知性や

言語の やっかいにならなくとも

それはあるのである


ところで その詩と神話との

関係がまだ

はっきり つかめてこない


言語の世界に入ると

詩と神話は 全然ちがうものである

だから根本的にも 詩と

神話は ちがう性質をもち

ちがう構造をもっている


まだ まだ 

これがはっきり分るまでには

長い長い時間が かかるだろう


1989.11.27.

| 1989年 | 10:26 | TOP↑

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透明な角度の中を旅する者

透明な角度の中を 旅する者

その者は 神話の中にいる者


神話は 透明な角度の中を

いく事によって

生まれる


遊び 遊びが

そこにある


この世ならぬ 透明な世界

透明な光の角度の中を

旅する者よ


1989.11.11.

| 1989年 | 09:56 | TOP↑

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英雄的合衆国

礼拝 礼拝 

透明な礼拝

相対的な礼拝でなく

透明な礼拝


静かに それは

自己と宇宙の本性が 開示する

最初の相


静かに両手を 合わせてみよ

そこから歌が 踊りが 語らいが 

はじまる


詩人の誕生

開かれたもの 透明なものの

誕生である

開きと透明は 神の相

そのもの


すべての人種を受け入れる

合衆国 それは

開きと礼拝の相 そのもの

合衆国が 英雄的であるのは

その為である


合衆国自らが 詩人であることを

認識する時

偉大な詩人が 市民の中から

泉の如く 湧いてくる

すべての男女からなる アメリカ

合衆国の 未来を歌う

詩人たちが


1989.11.09.

| 1989年 | 10:09 | TOP↑

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透明な礼拝は遊び

礼拝 礼拝 

透明な礼拝

礼拝は 遊びだ

遊びは 礼拝だ


透明の中で 遊ぶこと

透明が 遊ぶこと

それが礼拝である 


静かに両手を 合わせてみよ

そこから 踊りが 遊びが  

はじまってくる


そのものの中に 

突入してくる

礼拝がそこに 

花ひらいてくる


1989.11.07.

| 1989年 | 09:59 | TOP↑

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神話は遊びの中から

神話の中で 遊んでいる

神話の中で 遊んでいる


神話は 遊びの中から

生まれてくる

神話は 遊びの中から

生まれてくる


神話の中に 遊んでいる

神話の中に 遊んでいる 


時間も 遊んでいる

流れてくる時間も

遊んでいる

空間も 遊んでいる


一者のほほえみは

そこに 輝いている

透明なる一者のほほえみが



1989.11.04.

| 1989年 | 09:12 | TOP↑

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