1989年11月 | ARCHIVE-SELECT | 1990年01月

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精とは

精とは たしかに

我々が知っている  花の精とか

樹の精とか 

水の精とかいったようなものである


花の精が 子供になって

子供たちと一緒に 遊んだとか

花の精が子供に 語りかけたというように

おとぎの国のような話を

我々は 見たり聞いたり

書物でよんで 知っている


天子が 翼をはやして

大人たちの夢や幻に 現われてくる

こともある


或いは 花や樹々の精が 大人にも

語りかけてくる事もある

これらはすべて 動きの世界である


存在事物が

存在している

その存在のみを とらえるとき

そのものは 静の中にあり

停止の世界にある


「樹が一本立っている

そこに 詩がある」と とらえたとき

それは 停止しており

動ではない

人間の意識が 停止の中で

とらえたものである


ところが 人間の心が 動きはじめ

そのものを 動きの中で とらえると

神話の世界に入る


生命としてとらえ 動き エネルギー

として とらえはじめると

動きがはじまる

不動と 動と 考えてもよい


動の世界に入ると

「精」を とらえはじめたのである

そして それらを 生きものとして

とらえた時

そこに 「精」がとび出してくる


「精」は 人間の心によって

幻的に つくり出されたものではない

そのものは 生きているのである

それを 人間がとらえた時

そのものと 人間との間に

ふれ合いがおき

そのものが 動きはじめるのである


1989.12.13. 
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| 1989年 | 12:54 | TOP↑

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宇宙的神話と地球的神話

宇宙的神話と 地上的神話とがある

我々が得てして 地球的神話の

中にいる


地球的神話の中にいると

地球の表面を 歩く者としての

人間となる


それを基礎として ものを考える

それを 基礎として生きる

歩く 人間として


そこには 天上には 星と空があり

あたりに 鳥 樹 山 空気 机 椅子がある

それが地球的人間である


しかし人間は

地球の人間でなく

宇宙的存在である


人間はもっともっと 意識を宇宙に

とばして

大きい宇宙に 生きねばならない


地球にいるから 墓場の土を考えたり

親から産まれた誕生を考える


人間はそういう 一時の生死の中に

生きているのではない

宇宙的に永遠に 生きているのである


神話も 神信仰も 文明も

地球的であってはならない


有であろうと 無であろうと

長であろうと 短であろうと 

生であろうと 死であろうと

白であろうと 黒であろうと

鳥であろうと 人間であろうと

花であろうと 水であろうと

太陽であろうと 月であろうと

真理であろうと 不真理であろうと

そんな ちっぽけな事に

耳かたむけるな

そんなちっぽけな中に 生きるな


時間 空間 神 

神々 信仰 歩く人間 とぶ人間を

超えて

この宇宙をぬけでよ


そこに 神話があり

神があり お前そのものがある

神とお前という そんなものは

どこにも 見あたらないのだ
 

そこに 神話があり 詩があり

花の精がある


それは 透明な線によって 織られている

透明な角度によって 織られている

お前が そこにある


真理と 不真理をこえよ

地球をこえよ

宇宙をこえよ

考えをこえよ


はばたけ

大鳥となれ

宇宙を包みこむ者よ

宇宙を動かす者よ


1989.12.13.

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