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1990年02月 | ARCHIVE-SELECT | 1990年04月

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「詩的」道と「科学的」道

ハイデッカー哲学は 詩的である

宇宙の根源を とらえに行くとき

宇宙が出来るまでの歴史に

「明るさ」があるという


その詩的な表現を もってすれば

根源に近かづくことが やや可能になる

しかし 宗教哲学では

神は愛である とか

神がこの宇宙をつくったのだ とか

或いは 神は絶対なるものである とかいう


これらの表現には 宇宙的なひびきをもたず

人間的であることにとどまる


また 禅にしろ ヒンドゥ教にしろ

不立文字 とか 否 否 否といって

根源へわけ入る道を ふさいでいる


それのみか そういう あいまいな表現をして

おりながら

独善的態度をとる

我が道こそ 最高なりと


またそれ以外に 宗教の教えには

「何でも 神のおぼし召し」とか

「生かされて いきている」という言葉があるが

何でも 有り難い 有り難い といっていたのでは

より深く 神や 宇宙や 根源を

研究しようとする態度を くじいてしまう


だが ハイデッカー哲学の道は

詩的であるが故に

生きた宇宙の内奥に 入っていける


不立文字とか 否 否 否とか 無とか

空では

とりつきようがない 


こういう否定の道

独善の道は 科学の道を

ふさいでしまう


詩的 透明なバイブレーションが

この宇宙を つつんでいるのだ

その詩的なバイブレーションが

宇宙の根源まで 通じている


宇宙の歴史には「明るさがある」という

この詩的バイブレーションをもって

科学的真理と 合流していくのである


1990.03.11.
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