1991年10月 | ARCHIVE-SELECT | 1991年12月

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しかし今分った

「有」「存在」そのもの

「有」そのもの

そして 停止すること

それを 瞑想した

詩そのものに なろうとした

そして一瞬は それになれるのであった


だが 長続きしなかった

幾度か 幾日か それをくりかえした

しかし それらしい 長続きのする

実現は あらわれてこなかった


しかしそれが 今分った

その詩そのものに なることが


「有」とか 「存在」そのものとか

「停止」という言語は

古い 昔流のものである事が分ったのだ

ふと ふいに


それらは 詩そのものの内容でなしに

詩そのものの位置を 外見的に とらえている

言語にすぎない事が 分ったのである


それでは それ等を通して 詩そのものに

なれるはずは なかったのである


成る為には その内味その

ものに ならねばならない

内味そのものを 相手どらねば

ならない

それが 分ったのである


その内味そのもの 本性そのものに

ふれないで

言語から それを実現しようと

していた


それが まちがいであった


それが 分ることによって

言語から 入ろうとしたのが

昔流であったという事が 分った


例えば 無も 空も その一例かも

知れない


では 詩の本性とは何か

それは 分りきった事である

「透明」 「透明なるもの」 これだ

その「透明なるもの」に 入っていく事

そこに 「詩」があるのであった

やって来た 本当の事が


やっと道が 開かれて来たのだ

詩の実現の道が

自己実現の道が


この詩を通らないと 神話も

実現されてこないのだ


1991.11.14.
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| 1991年 | 19:26 | TOP↑

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詩そのものとなれ

詩をかく事より 詩になること

詩をかく事より 詩そのものに

なることが

大切である


人はすべて 詩そのものである

ところが人は詩をかく事に

意識をおいた

そこで 自己が詩になる事を

忘れてしまった


詩は 自己の内にある

自然の内にある

それになる事である


有機的に生きている自己そのものが

その詩を忘れて

文章として書くことが 詩であると

誤解してきた


そこから人は 地に落ちてしまった

のである

戦争その他 あらそいは

長い間 つづいてきた


詩を忘れると そういう事になる

詩そのものに なってみよ

宇宙が よろこんでくれる

地球も よろこんでくれる

母なる地球を 忘れてはならない


元なる自己に 立ちかえれ

人間達よ

神話と詩から 遠い遠い所に 住んで

しまった人間たち


今こそめざめよ

今からでもよい 道をひきかえせ

ひきかえすのだ


むだに時間を ついやすな


それには 自己のもつ時間を

停止さす事だ

時間という意識から ぬけ出せ

詩は 時間をこえて 停止しているのだ

有そのものだ

存在そのものだ


時間をこえ 時間を停止させて

詩そのものとなれ


動くな 存在そのものとなれ

存在そのもの

存在そのもの


存在物が 存在しているその

存在そのもの

有そのもの


結果を考えるな

期待するな

動くな 停止せよ


1991.11.14.

| 1991年 | 16:16 | TOP↑

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長く生きようと思うな

長く生きたい という

ことを考えるな

長く生きるのだ と思うと

時間に ひっかかっている


時間に ひっかかっているから

瞬間を 忘れてしまう


瞬間瞬間とまでは いかなくとも

透明なる自己に 意識を集め

瞬間そのものに ならねばならない


長く生きる と思っているから

意識に 統一を失い

むだな時を すごしてしまうのである


マーヤの時間に ひっかかるな

時間は マーヤである

よい事もあるが よくない事もある


時間を超えよ

長生きを 念頭におくな


1991.11.13.

| 1991年 | 00:08 | TOP↑

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考える世界と声の世界

考える世界と声の世界を とめる

この二つの世界を やめればよい


考えをやめると 声もやまる


考えをやめるという事は 「停止」である

「停止」とは 「詩」である

そうだ 詩になるのだ


詩から 神話が現われてくる

しかし 神話を期待するな

期待すると 神話はきえてしまう


神話は 期待の中から 現われてこない

神話は 結果の世界ではないのだから

期待するとは 結果を求めている事になる

そこには神話は 姿をかくしてしまう


この世の人々は 期待 結果 考える 声を出す

荒々しい うその世界にいるから

神話を見ることも 感じる事も出来ない

のである

人は詩そのものから 遠のいている


詩そのもの 停止そのものになっても

詩そのもの 停止そのものでいなければ

ならない

何の期待も もってはならない


詩そのもの 停止そのものでいると

眼の前を 神話が通ってくれる

眼の前のものの中に 神話を見ることが

できる


俗心では 俗なことしか見えない

停止では 停止と神話という動きが

見える


停止の中に 動きが見える

それが 神話だ


俗的動き 俗的物音は そこでは

感じとれない


詩になること

そこから 神話が実現されてくる


1991.11.11.

| 1991年 | 12:53 | TOP↑

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神話の実現

詩は停止を 内在しているが

神話はでは どうしてつくれるか

実現できるか

これが最も むつかしい


しかし今 又少し 分って来た

長い時間をかけて みつけ出せた


それは 動きではあるが 音であって

音のないもの

音のない動きの中に

神話が あらわれる


むろん 神話の実態は

「透明」そのものである

透明な動きで 音も 声もない 透明な

動きだ

自然の中に それがみつかる


動いているもの

鹿がそこに 動いている

そこに 透明があり 音がなく

声がない

人間がそこに 動いていても

けがれた動きで

透明さがない


声を出し 音を出す

そこには 神話はない

そこでは神話が あらわれようがない


鳥が 枝から枝に わたっている

動きだ

透明な動きだ


鳥がないても 音を立てても

それは透明の中に 消されてしまう

神話だ

自然は 神話そのものだ


天の星がまたたいている

神話だ それは

その星が あるということ

存在しているという

その「存在」停止 そこに詩がある


しかし まばたいている星

そのまばたき 動き 

そこに 神話がある


地球が天空を 動いている

無言で 動いている

それが 神話だ

そこに 神話がある


そのそれが そこに それとして

「ある」 それに詩がある


樹がそこに一本立っている ということ

それが 詩だ

そこに 詩を見る


その樹の動き

それを見る時 そこに

神話が 感じとれる


人間は 神話そのものになろうと

思えば

声を やめねばならない

音は 神話のバイブレーションを

けちらしてしまう


高貴 優雅は その神話の中から

実現されてくる


人間は今 文明という波に

機械技術文明に

おし流され

民族の流動の中にあって

声を大に わめきまわっているが

それは 荒れ狂うばかりだ


文明 文化人 これはいったい

何に向って 人は進まねば

ならないのか

だんだん人は 「粗野」な

人間に なりつつある


しまいに地球から ふり落とされて

しまうぞ

マンモスが 消えたように

馬の背から ふり落とされるように


地球が ひとふるいしたら

人はバラバラに どこかに散りおと

されてしまう

今のうちに民族よ 人間よ

目を醒ませ

何も言わずに

神話を 実現せよ


1991.11.11.

| 1991年 | 10:57 | TOP↑

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