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1994年05月 | ARCHIVE-SELECT | 1994年07月

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神話には説教がない

神話的物語には 説教があり

神話には それがない


西洋の 神話的物語に 

ドラゴン退治が よく出てくる

それは人間の心のうちに すまう

悪を 意味している


それをやっつけるという 物語である


そのドラゴンを やっつけると 

至福が くるというのである

そこに 説教がある


中国の 「たなばた」さまの 物語をみよう

それには 説教がない 

7月7日の「たなばた」の日には

男の星と 女の星が 一年に一度 

出会うという


何とすばらしい 物語だろう

これは 「神話」だ

そこには 「夢」がある


「夢」のあるものは 「未来」がある

「未来」と「夢」が 神話の要素だ

「けがれ」のないことと 同じく

これが 「神話」の要素である


では オン松とメン松のはなしを

考えてみよう

葉っぱと葉っぱを ふれ合わして

子供が出来るという

そこにはやはり 透明なソフトで

上品な

「夢」のようなバイブレーションが

感じられる

けがれのない 未来の世界へ

人の心が みちびかれる


未来とは 夢であり

夢とは 未来である

神話の中には それがある


神話は

神話的物語とちがって

もっともっと 根源的であり

未来的である

根源と未来が 一対として くるものが

神話である


未来も 時間も空間も ビッグバンも

世にある すべて物は

夢である


そこで夢には 二通りあることが

わかる

人間の心にもつ希望 のぞみとしての夢

もう一つは

宇宙のすべてに 内在する夢


しかし 

人間の夢には のぞみもあるが 

野心もある

だから 人間の夢という言語は

夢とは いえない


本当の夢は 宇宙の夢で

神話そのものである

神話は 夢そのものである


人間のけがれた時間の中には

それ等は 存在しないのである

特定のある 世界時間にのみ

それ等は 存在する


1994.06.27.
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| 1994年 | 20:01 | TOP↑

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神話は一人独立している

神話は 一人独立している

神話は 人間関係の中での

実親には 関係がない


神話は 一人ワシの翼をひろげて

独立している


一人独立して 神話は はばたく

宇宙をこえて それは はばたく


1994.06.26.

| 1994年 | 16:54 | TOP↑

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あほのほこり


「あほ」と言われた方が

よろこぶようになる


「あほ」の方がいいのだ

かしこいというのは よくないのである


あほなのである

かしこいというのは


「あほ」と言われて おこるのは

あほだからである

かしこいからである


「あほ」といわれるようになる事が

それに「ほこり」を感じるようになる


汝は 透明なるあほである


1994.06.21.

| 1994年 | 13:19 | TOP↑

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献げる

献げる

何を 献げるのか

それは 神話を献げるのである

神話への道を 開くのである


それには「透明なるあほう」を

献げるのである

それは 神話への入口だからである

それが 一番よい「献げ」である


そうでないと 相手も 自分も救われない

かしこいままで いってしまう


最高の献げは 「透明なるあほう」を

献げるのである

世の中が 変ってくる


かしこい人々のつくっている この社会をみてみよ

神話も 未来もない

あれきった社会だ


1994.06.20.

| 1994年 | 20:36 | TOP↑

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耳と眼に

耳に 空間をたべさせよ

透明なる角度を たべさせよ


眼に 空間をたべさせよ

透明なる角度を たべさせよ


つまらぬTVの音を きくな

つまらぬTVの映画を 見るな

それらは よごれるばかりだ


透明なる者よ

透明になろうとする 者よ


宇宙の 宇宙の空間を 空間を 

食べる者となれ


蜂鳥が 花の蜜だけ食うように

空間を食う者となれ


空間を この耳でたべるのだ

透明な空間の角度を たべるのだ

つまらぬTVの音や映画に そっぽを

向けるようになってくる


透明人間になりつつある自分が

みのっていく 自分が分ってくる

頭からでなく 

耳から

そして 眼から 

六根清浄は 仏陀の最後の教えだ


知恵よりも 清浄 

知識よりも 清浄

身をきよめる事から はじめよ

はじめで 最後のものだ


汝は 月と太陽と大地を 拝んでいるか

月と太陽と大地は 汝の

育ての親であり

汝そのものだ


汝は 月と太陽と大地と 直結して

いるのだ

それを 忘れるな

それとの波動を 断ち切るな


それとつらなれ

そうなって 初めてまともな人間と 

なる

その第一に しなければならない事を

おろそかにするな


それをおろそかにして 何が知識だ

何が名誉だ 

何が出世だ

何が金だ

何が物だ


そんな物は ほこりのようなものだ

先ず 身を正せ

先ず 身を整えよ

それが すべてだ

えらそうな口を きくな

えらそうな事を 考えるな


する事をしないで

何を 野良犬のように

うろついているのか


月と太陽と大地を 我が

内にもて

それへ 頭を下げよ


耳を 眼を 身を

まともなものとせよ


人間は腹の立つうちは ダメだ

それはどこかが 狂っているからだ

頭を 頭を地面に すりつけてみよ

間違っていた自分が 分ってくる

月と 太陽と 大地を――


1994.06.20.

| 1994年 | 12:58 | TOP↑

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あほになりきれない人間

相手を あほうと思えば

自分も あほうになれる


相手を あほうと思っていないから

相手のいう言葉に 腹を立てるのだ


その時の自分は

自分も相手も

かしこいという位置にある


これは本当に あほうな状態である


あほうな状態でありながら

かしこいと 思いちがいしているのである

だから腹を立てるのである


腹を立てるひとは 本当は

あほうなのである


しかし その自分があほうである事を

知らない


だから相手との間で 

緊張した状態になるのである

そこでは 神話は生まれてこない


あほうにならず かしこい状態でいては

腹の立つのは すぐには

おさまらない


そこで 相手の悪口をいったり

うらんだりするのである


先ず自分を あほうと思う前に

相手を あほうと思え

すると腹立ちがおさまる


その時 自分のあほさも分ってくる

自分も相手も かしこいという位置に

おいているから

腹が立つのである


これを訓練すると 自分が

あほうになってくる

人は かしこい人間になる事より

あほうになる事の方が 大切である


そうでないと 神話は出てこない

かしこい理性人間からは

神話は 出てこないのである

本当の良いものは 生まれて

こないのである


1994.06.20.

| 1994年 | 08:56 | TOP↑

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物質宇宙を超えた時に

距離 距離

宇宙大の距離

それのみの瞑想


そして消える

飛ぶ

透明な距離


宇宙大の 透明な距離

その中へとびこむ

そのものとなる


宇宙大の翼

そのはばたき

宇宙大の 透明な翼は

はばたく


一輪の花

一輪の花が はばたきとなる時

すべての行為が そのはばたきとなる時

献げはなる


行為 行為 言葉

それが羽ばたきとなる時

手も 足も

体も 物も

一輪の花も

物質も お金も

他の者の為にはばたこう


自分のためにではなく

宇宙大の透明なる

はばたきの為に


言葉も 歌も 音楽も

芸術作品も すべてが

献げものとなる


「芸術」がくる

芸術作品そのものとなる

物質宇宙をこえた時に――


1994.06.13.

| 1994年 | 10:20 | TOP↑

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体制を超えてゆけ

神話は 善きもののすべてである

よきものがすべて

そこから 現れてくる


しかし 我々の生活の中で

善き事と悪き事が 別けられている

そういう意味での 善き事ではない


我々の現在の社会は

知的に 感覚的に 利害的に

政治的に 経済的に

善き事と悪き事が 区別されている


そしてそれは 国と民族と場所によって

異なっている

その体制の中で 人々は生き

その囲の中にとらわれ

その体制に従おうとしている


即ち体制そのものが 迷の住家である

愛 親切 やさしさ 思いやり 無我

悟 ねはん

その他 様々な善き事

善き事とされている事がある


しかしそれらは 人間が考え出した

小さな器にすぎない

それなのに人々は それに従おうとし

そうなろうとする


神話は それらの教師ではない

神話は神話で 一人独立している

その一人を 我々はもっていないのだ

そして 体制のドレイとなっている


おそれる事なく それらのきづなを

たち切れ


本当の平和と 本当の自由と

本当の本物に 君はなろうとするなら

神話をもたねばならない


神も 人間も 自然もそこでは

その区別なく

人間の真の生き方が

そこから出てくる


自信をもて

体制に眼もくれるな

先ず「遊び半分」を心でとなえて

そのきづなからえんを切れ


知は後退する

行為によって 神や神々が

生まれるのでなく

神話から 神や行為が

生まれるのである


遊び半分で 体制をしりぞけたあと

次に 耳をすませて

空間に 耳かたむけよ

テレビの音から 耳を切りはなし

距離と空間に 耳の波長を合わせよ


1994.06.09.

| 1994年 | 16:57 | TOP↑

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