1994年07月 | ARCHIVE-SELECT | 1994年09月

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精神文明は

精神文明は 今日まで

まちがった社会を つくって来た

人体のコンピュータを こわし

まちがったコンピュータに して来た


まちがったコンピュータは

まちがった精神文明の記号を 受けて

よりまちがった人間社会を

展開させようとしている


人は先ず 自己のコンピュータが

こわれていることに

気付かねばならない 


そしてそれを 修理し 整え

本当の記号を それに流し

込まねばならない


自己のコンピュータを 修理し

元どうりにするには

先ず 太陽 月 大地と人間が

つながっている

バイブレーションの線を

太い線で つなぐことである


その線を 思い浮かべ

太陽と 月と 大地に礼拝するのである


すると 忘れられていたその

バイブレーションの線が つながってくる

そのそれに 本物の記号をかけるのだ

精神文明の記号でなしに


精神文明は 常に 我々のコンピュータを

こわして来た

そんな 知的な記号でなしに

透明な角度をもつ光速を

その人体のコンピュータに かけるのである


魚は 水によって生き

水によって 動かされているように

人間は 透明なるバイブレーションに

よって生き

それに動かされるのである


いわゆる 詩と神話のバイブレーション

によって


1994.08.31.
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| 1994年 | 23:42 | TOP↑

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こわれた回路

こわれた回路は 正さねばならない

科学も 宗教も 哲学も 

人間存在 宇宙存在も

すべて芸術 そのものである


詩と神話が そこに内在している

こわれた回路は 正さねばならない


その芸術そのものである回路を

知的なもので とり扱い

回路を こわしてしまったのである



日本の偉大な宗教家

親鸞は

インドから来た知的仏教を

みごと 芸術化して

日本仏教を つくり上げた


しかし時代は 更に進化している

宗教的精神文化から

科学的 芸術的 宗教的文化へと

変ってゆかねばならない


いわゆる科学と 宗教と 芸術の

統合である


宇宙は 詩と神話のかたまりである


透明な角度と 光速の舞と

音楽的なリズムで

出来上がっている

それにそって 回路をたて直さねば

ならない


そのためには 先ず最初に

太古から伝わる一つの儀式に

眼を向けねばならない


我々は 生れながらにして

太陽 月 大地と

密接な関係がある

その回路から たて直してゆく

のである


それを 忘れたるが故に

その一つの 重要な儀式を

忘れたが故に

知的合理的な精神文明を

築いてしまったのである


そのこわれた回路をもつコンピュータを

体中にもって

いくら何をしても いくら何を考えても

ダメである

まずその回路から ととのえねば

ならない


そこに芸術は 芸術となり

機械人間は まともな機械人間となり

舞が未来の夢と かさなって

更に大きく はばたくのである


詩と神話で 出来上っている

宇宙を忘れるな


人間そのものは 詩と神話の

かたまりである

一つの儀式から それをしてゆけ


1994.08.28.

| 1994年 | 18:38 | TOP↑

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とぶもののもつ音楽

宇宙のすべてのものは

光速でとぶ仲間である

人間も光速で とんでいる仲間である

しかし人は それを知らない


透明な光速 透明な角度

透明な舞 透明な音楽

それが 人間の母胎である


人はそれを 忘れたるが故に

精神文明なるものを うち建てたのである


我々は 精神文明以外に

バイブレーション文明のあることを

知らねばならない


次の時代は まさにその時代である

ピュアーで 透明で 光速の翼をもってとぶ

それを 自己の命とする時代である


光速でとぶ生きもの達よ

透明なる角度で織られた 舞そのもの達よ

音楽が 音楽が その深みより

きこえてくる


1994.08.25.

| 1994年 | 11:05 | TOP↑

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光速でとぶアメリカ

アメリカの未来を になう者となれ

アメリカの未来を つくる者となれ


アメリカの民主々義は 「夢」のかたまりである

詩と神話を 実現するかたまりである

その「夢」はとぶ

光速でもって 「夢」は とぶ


開かれたもの

開きをもって その「夢」はとぶ

光速をもって それはとぶ


「開き」は 光速と一対である

時間と空間が 一対であるように 

未来は 「夢」そのものであり

「開き」 そのものであり

それは 「光速」と一対になっている


光速でもってとぶ者は

夢を実現し

開きを実現し

明るさを実現する 


詩と神話は 光速と一対である

光速をのぞいては すべての存在は

存在しえないのである


光速と一対である自己を

感得せよ

「内なる光」は 光りはじめる


心も 魂も 肉体も 光速でもって

とびはねよ


うっとうしい考えを もつな

かこいのある考えを もつな

それらは アメリカの未来の敵である


未来よ アメリカよ 光速の翼ををもって

とびはねよ


変身 変身 

アメリカ民主々主義は 変身する

すべてを 受け入れる明るさをもって

すべての民族を 受け入れる明るさをもって


おお 開かれたる者たちよ

おお 約束された者たちよ

未来に来る世界の人々のために

立ち上がれ!


1994.08.22.

| 1994年 | 13:45 | TOP↑

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人間完成は彫刻像

絵画は彫刻である という事が

最近になって 分った

それは人間完成が 完全なる

彫刻像づくりにある という事が

分ってからである


人間は 完全なる彫刻像そのものに

成ること

それを自分の中から ほり出すことである


絵画も どんな絵をかくことが

終着点であるかが

分らなければ

ただ 迷うばかりである


そこで絵画は 完全なる彫刻像づくりで

あるという事を分かってほしい


音楽もそうであろうが 芸術の芸術たる

ところは

完全なる彫刻像づくりにある


むろんそれらは 人間が造り

人間が こしらえるのであるが

人間の現存在には 二つの存在があり

その道にそった作品が つくられなければ

ならない


一つは人間的存在で もう一つは

宇宙的存在である


人間は 人間的存在のみで生きると

エゴのつよい人間になり

芸術作品も 感覚的な低い

次元の作品に なってしまう

自由平等の思想も その通りである


人間は この存在の元に 

宇宙存在を 根源にもっている

それを中軸とした 人間存在で

なければならない


そこに神秘思想が 必要となってくる

人間はその 根源的中心軸をもたず

人間存在という エゴの生き方をすると

苦がつきまとい 社会をも混乱させてしまう

芸術作品も 低いものとなってしまう 


私は最近 アメリカ西海岸のシアトルに行った

その際 シアトルのミュージアムで

立派な日本絵の 六枚屏風を見る

ことが出来た


それはもと 京都の竜安寺にあったもので

それは 中国の貴族的な老人達が

碁をさしている絵であった


私は その筆跡にみとれた

自分の魂の故里を 見る思いだった

これといって 綺麗な色彩で

描かれているわけでもなく

墨絵に 少しこいグリーンで衣を

色着けしているだけだったが


そこを去りがたく じっとそれを

見つめていた

ひきつけられるものといおうか

その奥を のぞかせられるものといおうか

とにかく すばらしいものだった


そこから次は 洋画のセクションに行った

するとそこには ヨーロッパのどの宮殿や

ミュージアムにも見られる

美しい色彩の 写実画であった


ふくよかな 透明感のある美人画で

あっても

少しも魂が ひきつけられるものがなく

すぐ眼を そらしてしまった


……何とした違いであろうか

日本画と 洋画のちがい

特に 日本の昔の人の描いた絵

本当に 人間の宝物であった



そのちがいが どこにあるのか

私はそれを じっと考えつづけた


ところが その前日カナダの

バンクーバーにある

バッチャードガーデンと 日本庭園を見にいった

その時の 一つの出来事を

思い浮かべたのである


そしてそこに その違いの秘密が

分って来たのである


綺麗な美しい 色とりどりの花と花で

そのガーデンは 飾られていた

数多くの それらの花壇は

眼を 楽しませてくれた

しかし 心にしみ入るものはなかった


足がつかれて 石の椅子に腰を下ろした

そこへ 同じくつかれたのか

私と同年輩ぐらいの

アメリカ人の老人が 二人

我々の前にある椅子に 腰を下ろした


私は 少し彼等と会話を交わして 又

立ち上り 歩きはじめた


多くの人々が そのガーデンを見ては

楽しんでいた


内の者が 私の写真をとるから

そこに立ってほしい というので

私は カメラにむかった


人がその前を通るので なかなか

シャッターが おろせなかった


やっとシャッターがおり 私は動こうとした

その時それを 立停って待ってくれていた

さっきの老人二人が 

そのうちの一人が

すぐ私に近かづき


写真をとらせてくれ

撮ってもよいか

と言うので

私は オーケーといった


見知らぬアメリカ人が

私の写真をとらせてくれ と言うのである

そして彼が言うには あなたは 

「完全なる彫刻像である」


この言葉を 私は思い出したのである

そうだーー絵画は彫刻像である

ロダンの彫刻像を見よ

あれは 正しく彫刻像である
 

華美な心を 一切とりのぞいたもの


バンゴッホが 日本画にほれこんだ

そこに 彫刻像を

「完全なる彫刻像」を

見たのである


日本絵 特に狩野派のもの

それは 日本人の宝であり

人類の宝である


芸術は 人間完成も同じく

完全なる彫刻像づくりに ある


昨年 私がインドからヨーロッパに

行った時の

ある出来事があった

デリー空港で カルカッタの

ミュージアムの館長が

私に近づいて来て

あなたは どういう人ですか

顔がすばらしい すぐれた顔を

しています

私はあなたに 一日前から

ずっと眼をつけていたのです

と言う


それから ヨーロッパからアメリカに帰る

ユナイテッド航空の中でも

これと 同じような事がおきた


年輩でスチュワーデスの ヘッドともおぼしき女性が

私の横に しゃがんで

「あなたの顔は すごくすぐれています」

と感嘆の一言をのこして 立ち去った


完全なる彫刻像は 詩である

芸術そのものである


1994.08.13.

| 1994年 | 23:50 | TOP↑

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まちがった自由と平等

ホイットマンは言った

ぼくは詩をもって アメリカの未来を

つくりあげる役目を 果たす決心をした


アメリカは 封建主義の歴史を乗り切るか

さもなければ 前代未聞の大失敗を

味わうことになるだろうと


彼の予言は  ゆらぎながら 的中しかけ

つつある


しかしこれは 民主主義のみでなく

共産主義という 今では古びた言葉に

すぎないものまで

共にとってきた道である


それは人間が うすべったい自由と

平等主義を

懐によろこんで 入れこんだからである

この自由と平等は インテリジェンスのない者に

使われれば

とんでもないことになる


これは今日まで 精神文明が 

人間中心主義を 土台としてきたからである

それは この人間存在には

宇宙存在と 人間存在という

二つのつながりによって 成り立っている事を

おろそかにしたからである


宇宙存在を考える時 人間は

すぐ神をそこにおいて 人間と

結びつけて来た

そして それを基準として 精神文明なる

ものが発達して来た


そうでなく 宇宙に根源的に根ざす

ためには

詩人でありなが 科学的な物の

考え方をせねばならなかった

それなくして いくら「神よ」「神よ」と

あがいてみても 無駄である


人間は もともと詩人であり

詩そのものである


時間も空間も 詩そのものである


人間を 神と結びつける前に

どうして 人間と時間を

人間と空間を

人間と光速を 結びつけなかったのだろう


自由と平等は 光速の翼をもった者に

あたえられるべきものであった

感覚的欲望の前に この自由と

平等という言語は

供えるべきではなかった


低級な自由と平等は エゴを

育てるばかりである

自由と平等は

すべてのものと 場において

自由と平等である


すべてのものと 心を結びつけ

有機的に つらなって生きる事である


月が 太陽が 星々 山や川

木や土 石 それらすべてと

友達となる事である

永遠なる時間 空間とも

友となる事である

荒々しい 闘争的自由と平等でなしに


二百年の歴史を持つ アメリカ民主主義よ

若者よ立ち上がれ

汝等先輩のエマソンの「独立自尊」

ホイットマンの「人格主義」

ジェファーソンの「すべての人間は 善なるもの」


これを 忘れてはならない

最近の政治は 

ともすると 閉ざしの陰をなげかける

民主々義は 開きの道である

開きの火を たやすな


眼を人間のみでなく 自然にも

転じよう

人間ばかりに 眼を向けると

精神文明がうまれる


自然に 眼を向けると

宇宙と自分が 見えてくる

そこに輝くものは 詩のささやきである

神話の夢の未来像である


アメリカ民主主義は

そういうユニティを 歌い上げる

大きな舞台なのである


庭の雑草までが あなたの足許に

挨拶しているではないか

集団的民主主義に勝利あれ


1994.08.13.

| 1994年 | 23:38 | TOP↑

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一介の木こり

一介の木こりがいた

宇宙の何かを 探し求めて

ここまで来た


一本一本 きり倒すたびに

何かを経験しながら

ここまで来た


しかしそれは 大森林の

多くの木のうち

ほんの 僅かな樹

細い樹 小さい樹 太い樹を

切り倒したにすぎない


何千本も 切りたおしたであろう

しかし 求めている何かは

すべて彼に その胸をひらき 

見せてくれたのではない


木こりは なおも謙虚に

一本一本を 拝みながら

切ってゆくのだ


経済や 人や

人家からも 離れて

その木こりは

山に 入って行く


山そのものが 彼となっている

彼そのものが 山となっている


神話 詩の探求はつづく


彼等そのものが

彼になってくれるのは

いつだろうか


山は深い


1994.08.11.

| 1994年 | 00:49 | TOP↑

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