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1995年04月 | ARCHIVE-SELECT | 1995年06月

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平和を実現するために

人類は何千年間も この地球上に生きている
しかし平和な社会が未だ実現されていない

それは一番大切な教えを
人類が未だに持てていないせいでもある

その一番大切な教えとは何か
ラーマクリシュナの言った言葉
人々に奉仕することは 神への奉仕と同じだ
という一言である

これさえ持てれば良いのだ
これがすべての土台であり 一番シンプルなものである
なんの特別な修養も 哲学思想もいらないのだ

このシンプルな教えがあったら 
たくさんの教えはいらない
かえって迷いの原因とさえなるであろう

奉仕をしたいという気持ちでいたら 
悪い人というのはいなくなる 
どんな人も厭わなくなる

これが自分たちが生きていくための
ベーシックにあるべきものだ
ラーマ・クリシュナの一言を実践しよう

1995.05.28.
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| 1995年 | 00:27 | TOP↑

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或る日の先生のお話

お茶の時のお話
  
本部のラーマクリシュナ祭に 菅谷さん一人しか来られなかったという話の後 小鳥が鳴いて 
「人が集まらなくても気にすることはない 人の心はうつり気
だから 自分がしっかり修養しておったらよい」と言ったそうだ


原稿の校正されている時
以前に先生がとてもよい文章にあってものすごく 気持ちがよいと思った
それで理論でなく 神話の空気にふれられるようなそんな文章を作ることが大切であり 
それは神話のお風呂を作ること そしたら本当に神話がわかる と言われた

その文章は
「今日はお祭りがあるので この広間に上がったら 綺麗な花が活けられてありました
それで一人つぶやいたのです
人間もあんなに美しかったらいいのになあ」と言ってね

花ってとても美しいですし それに花はものを言わないから良いですね 
人間は いらないことばかり言うから良くないですね
人間も ものをいうことを少し減らしたら あの花のように一寸でも良くなるかも知れませんね

1995.05.27.

| エッセイ | 20:52 | TOP↑

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手助けは舞そのもの

手助けは 掛け橋であり
手助けは 詩と神話の展開である

真実なる零次元の 点と線の重なりの記号が踊り 
舞い始める
その詩と神話の働きは 手助けという行為によって 
引き出され 展開される

手助けは 詩そのものであり
時間と空間は その手助けの舞台である
舞台がその神話の展開を 展開たらしめるのである

しかし手助けは 手を貸すことのみではない
手助けは 相手の人が霊感的になるように 
手助けすることである
それには自己が霊感的でなければならない

どうしたら 舞そのものとなるのか
それは 点と線の重なりのその点にのみ意識を集める
すると霊感的人間になれる

舞や 夢や という言語に意識を集めてはならない
それは知の世界 精神世界に入る

零の点に意識を集めていると 知と言語の世界から離れて
舞そのもの 神話そのもの 
夢そのもの 手助けそのものとなる

結果を 結実を作ろうとするのでなく
自然にそうすることが そうなるのである
時間も空間も その時舞台となる

意識を人間生活から 精神世界から 
言語世界から離して
純粋物理の世界 形而上学の世界の零の点に
意識を集めよ
零と線の組み合わせの 
意味付けの世界に入ってはならない

偉大な手助け
真実な手助けは
自己が 自己そのもの
零の点そのものになる時に現れる

言語王国は知の王国を築いた
そこから 足を洗え
人間から 足を洗え
神からも 足を洗え

神も入って来れない世界に入れ
存在事物も入って来れない世界に入れ

1995.05.21.

| 1995年 | 13:32 | TOP↑

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舞台が舞をひき出す

真実なる零と 記号としての線の交叉

そこに変化が起き その透明な角度によって 
神話が 神話として顔を出す

それが 時間と空間という夢を内蔵した未来の中で 
舞うのである

時間と空間は 舞の舞台である
人は常に その舞台に意識をとどめねばならない

舞はそこから起き 神話はそこから立ち上ってくる
真実と記号の発火点が発火し 展開するのである
贈りものは そこで歌われ
開花するのである

手助けが 手助けとなるのは
その時であり その場である

零が 夢を引き出す
根源という夢を 未来という夢が引き出すのである

太陽が紅の光 ウシャスによって
引き出されるように

1995.05.20.

| 1995年 | 14:19 | TOP↑

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言語王国があった

言葉でなく 言語の世界に入るな

人が神への信仰というものにとらわれ
宗教をも形成してしまったように
言葉も 見えない内に
言語という世界 即ち王国を作っているのに 
気付かなかった

その王国が 人間という生活を作っていて
寄生虫のように 巣食ってしまった

我々人間は そんな言語の王国に
とらわれて
めくらになったのである

我々は世界の構造の中に生きねばならない

我々は 構造の人間そのものである
言語は人間そのものではないのだ

1995.05.19.

| 1995年 | 12:24 | TOP↑

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科学と詩のちがい

科学の世界と 詩の世界の違いが分かった
それは ウシャスの詩からであった 
東天に昇るウシャスが 太陽を引き出す 
これは アンリアルな考えである 

科学では太陽が初めに上がる 
詩では未来が現在を創る その違いである 

詩の方は形而上学的である 
科学の世界は平面思考で 現実的であり
詩の世界こそ 真に科学的な思考をしている 

未来が根源を 根源たらしめる 
詩はそこにあり 神話がそこにあらわに姿を出して 
見せてくれている 

それに人は気付かず 
詩と神話を忘れてしまっている
その思考によって考えられた宇宙は
平面思考のビッグバン宇宙である
宇宙は決してビッグバン流に 出来上がったものではない

雲が海上に出来上り 台風を造り出すように 
真空宇宙は 海のようなものである
そこに渦が出来 物質が出来 
星雲が点在してくるのである

始めも終りもなく 宇宙は未来時間の中で 
変化し続けているのである 
まさに 詩と神話の交響曲を演じている

学問は何を研究するのが 学問なのであろうか
政治の中にも 国家の中にも 学問の中にも
生活の中にも少しも詩が入っていなくて 
よいのだろうか

根源は 未来によって引き出され
根源も 根源でない歌いそのものの始りである

始めも終りもなく それらは
歌い続けるのである

1995.05.05.

| 1995年 | 20:05 | TOP↑

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