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1995年10月 | ARCHIVE-SELECT | 1995年12月

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寄せ付けない

寄せ付けないということに徹底したら 
何事にもひっかからず 冗談が言えるようになる
この宇宙のいかなるものにも関係がなくなる
関係をもっていると 現れでしかないこの自己が 
消えることがない

寄せ付けない
宇宙の何ものも寄せ付けない者は 全てと供に住み 
しかも 全体の中に在る何者とも関係をもたない 

寄せ付けない これが大先決だ
そしてそこに 全てを創り出す者としてつっ立つのだ
白紙の憲章を持つ者として 宇宙からも独立するのである

寄せ付けない者は微笑みをもつもの 贈り物そのもの
それは時間の噴出口

雲が黙々動き 形を変えて行くように
色と形が舞台の上で踊る 劇を仕切る
現実とは組み合わせの演戯
その演戯に徹すればよい

組合せとは 与えられた運命 
運命を変えようとするのでなく 演じきれば良いのだ

役は与えられるもの 勝ち取るものではない
人よ ただその与えられた役を演じきれ

1995.11.26.
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| 1995年 | 00:11 | TOP↑

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合理の奥に息づくもの

詩と神話がさらに分かって来た
詩は主体性のないもの 自己を持たないもの
そこにあるもの

木も 夕焼け空も うさぎも 
動くものも 動かないものも
自己を持たず そこにあるものは全て詩である
山が詩である 大河が詩である
宇宙そのものが一つの詩である

宇宙の基なる破壊 保持 創造の三角構造
その構図に入っていく時 自己は消える
そこで人は詩になる

神話はあるもの さらに奥にあるもの  
合理の世界の奥に さらなる非合理の世界があるように
詩の世界の奥に神話が息づく
 
「火は その古里なる水に帰っていった」
「松は葉っぱと葉っぱを ふれ合わせて子供を生む」
「僕はワニの眼の中から生まれた」

文学さえ追い付けない程のものすごい世界
合理を突っ切ってぶつかる究極の果て
非合理の遊戯

人類はいつ この果てを掴むのであろうか

1995.11.23.

| 1995年 | 00:12 | TOP↑

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創造を知るものは創造主となる

自己は時間以前のもの 
自己は宇宙に先立つものである という認識をもて
超然として来る

そこは何者をも寄せ付けない
寄るべき他者が存在しない

創造を知るものは創造主となる
これはウパニシャッドの有名な一句である
一人一人が創造主なのである

宇宙創造は オチャメの一触れによって始まり
白紙の舞は現象として その姿を現わす

個なる我は宇宙に関係があり しかも関係がない
その時 我は宇宙の外に立って
時間の噴出口を見つめるのだ

この世のもの全て 宇宙のもの全て
何者も寄せ付けない
何ものとも関係をもたない
そこに一人 つっ立つのである

1995.11.17.

| 1995年 | 20:06 | TOP↑

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時間を引け

未来を持つな
人は未来を持つと それをなんとかしようとする 

未来を持たない人
夢に見たニコヨンの美しい中国婦人
そこには未来がない 可能性がない 今しかない

神話は時間の中にはない 
神話の中から時間が生まれるのだ
神話の方が先にあるのだ

時間を引かなくてはいけない
時間を引いたら 宇宙なんて飛んでしまう
あらゆる束縛がふっとんでしまう 解放されてしまう

人間ではなくなること
人間であると 人間の土俵の中ですべてひっかかってくる
色気があるから 色気にひっかかる
ヒスがあるから ヒスにひっかかる 
同じ土俵のものがひっかかる

違う性質 全く違うものをもって来て時間を引く
時間を引いて 現実と無縁になったら堂々としてくる 

現実など どうでもよい 
これは現実を おちょくることになる
それによって 全く違う言葉が出て来る

オン松とメン松 ワニの眼など
時間のない 現実のない所からしか出ない言葉
非合理の言葉 神話の言葉を出せ

1995.11.16.

| 1995年 | 15:29 | TOP↑

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美を感じる心を止めよ

物や景色を見て 美を感じたら
すぐそれを止めること

その心は相対から出て 相対の中をうろつく
心は自分たちが 
持つべきものではない

自分たちというのは 意識そのものである
その意識とは 
羽毛の構図の意識である

美を感じた心を止めて 意識そのものになること
すると物や景色と一つになる
そこが零であり 詩であるものとなる

1995.11.08.

| 1995年 | 21:23 | TOP↑

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