1998年02月 | ARCHIVE-SELECT | 1998年04月

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二つの構図


この構図からは

様々な思想 様々な聖者 賢者 

様々な宗教がわいてくる

そしてそれらは 良いことを言っている

ようだが 

思想のねりなおしであり

つまらぬそれを くり返すだけである



その この構図につまっている物を

捨てるのである

捨てないと 新しい世界に

入ってゆけない


約一万年間 人間をまよわせた

この相対構図と

それにつまっている物を

捨てるのである

ゴミ箱に入っているゴミを 捨てるように


この構図になると 自然にその頂点から

よいものが湧いてくる

だから 

まず ゴミを捨てることから

はじめよ


この構図の頂点に二つのものがある


それは 白紙の舞と オチャメである

この二つに 意識を集めていると

言語も行為も まともなものとなって

その頂点から現われてくる


今までの言語と行為は

この構造からくる

人造的なものである


人間のDNAは その相対構図 構造の

支配下にある

それを 改めねばならないのである

この統一された構造で DNAを

うごかすのだ


アメリカ合衆国のドル札に 三角に目のついた

絵がある

それは トーマス・ジェファーソンがデザイン

したときいている

彼は早くから この統一構造を

知っていたのかも知れない


1998.03.13.

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| 1998年 | 14:23 | TOP↑

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西域から来た害毒

古代インド人の ボダイ樹信仰

これはすばらしい

仏陀の全身像を 彫刻するのでなく

ボダイ樹を仏陀として 拝んだ


仏陀の全身像を見るのも もったいない

彫刻するのも もったいない

悟をひらかれ 苦行された所の

ボダイ樹を

仏陀と思って 拝まさせて頂く

この信仰


この謙虚さ この奥深さ

これこそ 本当の信仰である

詩的なもの 神話的なもの

それがここにある


リアルな世界を 人は見たがるし

リアルな中から

捜し出そうとする

それでは いくらたっても

本当のものは やってこない


全身像を 拝むというより

仏陀の足跡だけを 拝まさせて

頂くという方が

奥深い精神の現われである

ということが

分らないだろうか


何でもかんでも あらわにしたがる人間

何でもかんでも 知りたがる人間

その人間たちは 神話をうしなう


自己の心が 空っぽになっているのが

分らないのだろうか


全身像をつくらずに ボダイ樹

だけで十分

足跡だけで十分

そこに偉大な民衆の心がある


仏陀はリアルを 超えた人物である

全身像を拝むというリアルの中を

うろつく人間

そんな人間に 仏陀が分ろうはずはない

自己の中に 仏陀がめざめるはずはない


仏陀の滅後 一千年のちに

インドにシャンカラという聖者が あらわれた

彼は当時の仏教僧たちと 論争をした

仏教僧たちは 論争でシャンカラに

やりこめられてしまった


仏教団は インドにおれなくなって

西に 南に 北へと移動しなければ

ならなかった


中国へ セイロン島へ そして

パキスタンの西域へと


その西域にいった仏教は

西方の文化の影響をうけた

そこで 全身の彫刻像づくりが

さかんになった


全身を見なければ 辛抱できない

感覚信仰がはじまった

その感覚信仰の病気は

更に深くなり

教典をよまねば 辛抱できない

人間になった


仏陀の教典を 捜しまわり

仏陀の教えを 捜しまわった

そんな人間たちに 仏教が

分るはずはない


たくさんの仏教宗派が うまれた

みにくいあらそいが そこにおきた

それが 現在社会のゆきづまりを

つくった

それは仏教だけではない


本当はそんな仏教が 日本に

入ってこなくても よかったのである

日本には神道という立派な

宗教がある


仏教僧は 大きな仏陀の全身像を

建てはじめた

教義もなにもない神道の

すばらしさを理解する力が

うすれてきた


仏教には 仏陀は母親の

脇の下から誕生したという

比喩がある


すばらしい民衆の心は

この比喩をつくった


旧約聖書の中にも

人は 土の中から生まれた

新約聖書に キリストは夫のいない

聖母から生まれた


何すばらしい譬であろうか


人は詩人であることを わすれ

感覚的な世界を うろつくようになった

知的合理主義が それである


時には 聖者や賢者より

一般民衆のほうが かしこい事がある

社会を支えるのが これら無学な

平凡な民衆によることがある


政治家や 学者や 宗教家が

社会を 混乱にみちびく事が多い


土によごれ 食うものもなく

平凡に暮らしている者は

太陽を拝み 大地を拝み

水や空気 風や貧乏を

ありがたいと 拝む心がある


フランスの思想家 ミッシェル・モンテーニュが

死について 考えをめぐらせていた

ところが ペストが発生して逃げ

まわった時

一般民衆と親しくなった


民衆の口から 死への解答をえた

悟りきった死への考えを

一般民衆から 教えられたのである


土と共に生きる者

水と共に生きる者

自然な人間

それが本当の地上の子である


譬えばなし

合理主義的な知識でなしに

譬えばなしを もっと研究しよう

そこにかくされた 神話への入口がある


魂への入口が


1998.03.07.

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