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1998年02月 | ARCHIVE-SELECT | 1998年04月

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全ては礼拝から

礼拝の時の鐘の音 鈴の音 
その幾何学的な波動
角度と線の交錯 透明な神
いたるところに隠れている透明な神

神は礼拝することによって創られて来る
神が尊いから拝むのではなく 
人間に神性があるから拝むのでなく
そんなことに何も関係なく ただ礼拝する

透明 透明という角度はどこから
現われて来るのか
それは礼拝することによって 現われて来る

現象世界での様々な問題
そこでそれらを解決しようとしてもうまくいかない
その時 心の中で「礼拝」とつぶやく 

礼拝に焦点をあてたら 即座に
始まりの世界へ
ブラフマンと現象界の橋渡しのところへ
もどっていく

人間の感情の世界から瞬間的に
意識は根源へ帰郷し
時間の噴出口そのものとなる

噴出口は創るもの 踊りそのもの
躍動そのもの
自己が時間を創るもの
そのものとして立つのである

時間そのものとして 自分たちは在る
常に創るものとして在る
現象界に在ると誤解してはならない
つねに噴出口に 創るものとして
在ることを忘れるな

その全ては
礼拝によって導かれるのである

1998.03.21.
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| 1998年 | 23:52 | TOP↑

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生命を突き動かすもの

自分の現状がどうであれ
それは二義的なもの
それは単なる過程 行き過ごさせてしまえ
流れにすぎないのだから

原因があって結果しているだけのこと
それら原因も結果も 実は単なる思い込みに過ぎない
実体はないのだ

それより根底に在る祈り 本当の祈りになること
それのみを思い続けよう
あらゆる人を あらゆるものを 
あらゆる瞬間を祈り続けよう

燃える祈り 一元への燃える祈り
燃えて祈る 一元へ燃えて祈る
ただ一元を激しく思い 燃えること

全ては相対のない一元から出来ている
だから在るということは 形は 現われは
その一元への思い 
それへの思いが凝ったものに過ぎない

一元への激しい思いが 生命の本質かも知れない
それが根底から命なるものを 
突き動かしめるのだ

1998.03.20.

| 1998年 | 23:50 | TOP↑

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本当の祈りを

祈り それしかない
祈り すべての根底にあるもの
祈りから形の基ができた

そのただ中にあって
自分に出来ることは何か 
それは たえず祈ること
祈りの連続の中にいることである

一瞬一瞬を 一刻一刻を 全てを
今を 今の全てを
ただ 祈ること

祈り そうだ 祈りだ 
祈りが全て
祈りは 相対が消えたところにある
相対を超えたところにある

手を合わす行為は
相手と自己の境を消してしまう

言葉を切って祈りとなろう
言葉はさまざまな形で
自己弁明に努める
自己の存在をなんとか主張し 
意味あるものにしようとする

言葉 言語の作用は 相対構図を
強め固定化し
消すべき自己を強化してしまう

言葉を切り 言葉の持つ現実的可能性を
放ること

言葉を切った本当の祈りの中から
オチャメがとび出してくる 
羽毛がとび出してくる
微笑みがとび出してくる

どうしたら本当の祈りになれるか
それだけを 常に心に止めておけ

すべての根底に在る祈り それを
思い続けること
そこから決して それてはならない

1998.03.19.

| 1998年 | 23:45 | TOP↑

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二つの構図


この構図からは 様々な思想 様々な聖者 賢者 
様々な宗教が湧いて来る
そしてそれらは 良いことを言っているようだが 
思想の練り直しであり つまらぬそれを繰り返すだけである

この構図に詰まっている物を捨てるのである
捨てないと 新しい世界に入ってゆけない

約一万年間 人間を迷わせたこの相対構図と
それにつまっている物を捨てるのである
ゴミ箱に入っているゴミを 捨てるように

この構図になると 自然にその頂点から良いものが湧いてくる
だからまず ゴミを捨てることから始めよ

この構図の頂点に二つのものがある

それは白紙の舞と オチャメである
この二つに意識を集めていると
言語も行為もまともなものとなって
その頂点から現われてくる

今までの言語と行為は

この構造から来る人造的なものである

人間のDNAはその相対構図 構造の支配下にある
それを 改めねばならないのである
この統一された構造で DNAを動かすのだ

アメリカ合衆国のドル札に 三角に目のついた絵がある
それは トーマス・ジェファーソンがデザイン
したと聞いている
彼は早くから この統一構造を知っていたのかも知れない

1998.03.13.

| 1998年 | 14:23 | TOP↑

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西域から来た害毒

古代インド人の菩提樹信仰 これは素晴らしい
仏陀の全身像を彫刻するのでなく 菩提樹を仏陀として拝んだ
仏陀の全身像を見るのも もったいない
彫刻するのも もったいない
悟を開かれ 苦行された所の菩提樹を仏陀と思って 
拝まさせて頂く この信仰

この謙虚さ この奥深さ これこそ本当の信仰である
詩的なもの 神話的なもの それがここにある
リアルな世界を人は見たがるし 
リアルな中から捜し出そうとする
それでは いくらたっても本当のものはやって来ない

全身像を拝むというより 仏陀の足跡だけを拝まさせて
頂くという方が 奥深い精神の現われであるということが
分らないだろうか

何でもかんでも 露わにしたがる人間
何でもかんでも 知りたがる人間
その人間たちは神話を失う
自己の心が 空っぽになっているのが分らないのだろうか

全身像をつくらずに 菩提樹だけで十分 足跡だけで十分
そこに偉大な民衆の心がある

仏陀はリアルを超えた人物である
全身像を拝むというリアルの中をうろつく人間
そんな人間に 仏陀が分ろうはずはない
自己の中に 仏陀が目覚めるはずはない

仏陀の滅後 一千年後に
インドにシャンカラという聖者が現れた
彼は当時の仏教僧たちと論争をした
仏教僧たちは 論争でシャンカラにやりこめられてしまった
仏教団は インドにおれなくなって西に 南に 北へと
移動しなければならなかった

中国へ セイロン島へ そしてパキスタンの西域へと
その西域にいった仏教は 西方の文化の影響をうけた
そこで 全身の彫刻像造りが盛んになった

全身を見なければ 辛抱できない感覚信仰がはじまった
その感覚信仰の病気は更に深くなり
教典を読まねば 辛抱できない人間になった
仏陀の教典を捜し回り 仏陀の教えを捜し回った
そんな人間たちに 仏教が分るはずはない

たくさんの仏教宗派が生まれた
醜い争いがそこに起きた
それが 現在社会の行き詰まりをつくった
それは仏教だけではない

本当はそんな仏教が日本に入ってこなくても良かったのである
日本には神道という立派な宗教がある
仏教僧は 大きな仏陀の全身像を建て始めた
教義も何もない神道の素晴らしさを理解する力が薄れて来た

仏教には 仏陀は母親の脇の下から誕生したという比喩がある
素晴らしい民衆の心は この比喩を創った
旧約聖書の中にも 人は土の中から生まれた
新約聖書に キリストは夫のいない聖母から生まれた
何素晴らしい譬であろうか

人は詩人であることを忘れ 
感覚的な世界をうろつくようになった
知的合理主義がそれである

時には聖者や賢者より 一般民衆のほうが賢い事がある
社会を支えるのが これら無学な平凡な民衆によることがある
政治家や 学者や 宗教家が社会を混乱に導く事が多い
土に汚れ 食うものもなく 平凡に暮らしている者は
太陽を拝み 大地を拝み 水や空気 風や貧乏を
有難いと拝む心がある

フランスの思想家 ミッシェル・モンテーニュが
死について考えを巡らせていた
ところが ペストが発生して逃げ回った時
一般民衆と親しくなった
民衆の口から 死への解答を得た
悟りきった死への考えを一般民衆から 教えられたのである

土と共に生きる者 水と共に生きる者 自然な人間
それが本当の地上の子である

譬え話 合理主義的な知識でなしに譬え話をもっと研究しよう
そこにかくされた 神話への入口がある
魂への入口が

1998.03.07.

| 1998年 | 19:26 | TOP↑

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