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1998年07月 | ARCHIVE-SELECT | 1998年09月

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菩提樹を拝む心

神話研究とは 合理主義との
闘いのようなものである

仏教では様々なブッダの像を拝む
そして何事かの望みをかなえてもらおうとする
ここに合理主義が隠れている

仏陀の生れた時から500年間 人々は
仏陀の全身像を造らなかった
そして仏陀が瞑想して悟りを開いた所の
菩提樹の樹を拝んだ

どうして全身像を拝まないで 
菩提樹を拝んだのか

それは仏陀の全身像を拝むことが 見ることが 
もったいない 怖れ多い
悟りを開かれたその場所だけ拝ませてほしい
あるいは全身像でなく 足型を拝んだだけで
満足していたのである

仏陀が亡くなった後の人々の心の中には
このような神話性にあふれていた
この心は芸術そのものである

自分たちの魂の本質は
芸術的な神話性にある

あるいは仏陀は母親のわきの下から
生れたという伝承の清らかさ
このたとえは キリストが夫のいない
聖母から生まれたというのと同じ次元のものである

これらのたとえは非常に美しい
その当時の人々はそういうきれいなたとえを
作ることができた

聖者や賢者より そのような一般民衆の方が
賢いかも知れない
一般民衆というのは 土を耕し 作物をつくり
自然の中にとけ込んで生きている

それが彼らの心に神話性を残し
このような清らかなたとえを
創造させるのである

1998.08.28.
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形を変えよ

人間は長い間 宗教的道徳的に
心というものを治めようとして来た
しかしそういうものでは人間の心は
絶対に治まらない
その対処の仕方は表面的に過ぎない

心は形によって出来ている
これが始まりの一歩である

人間の心を修正するのは
道徳的宗教的方法でなく
形を変えていくこと
幾何学的に変えていかねばならない
ということである

私があって あなたがある
主体があり 対象が認識される
認識という行為はいつまでも続く
ここに相対がある

我々は相対という 絶対に交わらない
平行線のような構図に生きているのだ

その相対構図は
人間が言語を発明してから生れた
この構図が約1万年間続いている

その間に賢者や聖者があらわれ
善悪を説き
さらにこの構図を強固なものにした
そこから合理主義が生れた

世の中は表層ばかり追っている
合理主義がそこに巣くっている
その合理主義が
人間の生をさらに貧弱なものにしている

人間の生の貧困を破り
善悪に縛られた心の解放を
なしとげるものが幾何学である

誤った相対構図から 自分自身を解き放て
直立する平行線を割ってみよ
それらは斜めになり
交わりを持つにいたる

角度が出来る
角度は透明を創り出す
人間が改造されていくのはそこからだ

これは意識でDNAを修正していく
ようなものである
コンピューターが日々進化していくように
透明なる角度を意識することにより
人間は自動的に改良されてゆく

1998.08.25.

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