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2000年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2001年02月

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天女の羽衣

天というのは  天も地も全て含めた心が天である
天も地も含めた大きなもの
善も悪も含めて 全てまとめて
善と捉えたものが善なのだ

悪い者はいない
悪い者もすべて含めていくのだ
悪い者も悪いと見ない大きな心
このポイントをつかめば 人の魂は天を駆け巡る

地上と天とを区別し 善と悪とを分別する時
人の意識は二元の世界で留まってしまう

どんな悪人でも心の奥に 光輝いたものを持っている
その灯は決して消えることがない 

どんな人でも持っている魂そのものの高貴さに 
どうしたら帰れるのか

それには 人間の本性に戻ること
本性の天人に戻ること
人間はみな本当は天人だという認識を持つこと

この地上に生を得て たとえどんな人生を生きていても
これは一時の生であって 
自分の本当の魂は天界人なのである

羽をもて
地上を離れる羽をもて
羽を持つと 
自分の足にまとわっている地球という重力圏が
すうっとはなれて消えていく

今も自分たちは羽を持っている
自分たちは天人なのだ
天を舞う羽衣を持っているのだということを
思い出すだけで
天へと飛翔出来るのである

天女の羽衣の物語
あれは我々のことを言い表した物語である

我々人間はどんな人でも 羽衣を着ておりながら
地上の遊びに酔いしれて
美しい海岸の松の枝にそれをひっかけたまま
忘れてしまっているのである

そして地上的な生活を
忘却の中で送り続けているのである

天女が自らを思い出し
羽衣を羽織り 天に帰っていったように
放ってある自分の羽衣を着るという
一番大事なことをすることだ

2001.01.10.
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| 2001年 | 00:23 | TOP↑

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朝やけの中へ消されてゆく

今日も 朝焼けが美しく
人が消えると オチャメが出て来る
踊り出て来る

オチャメと踊りが 朝焼けを創る
その朝焼けが 太陽を引っ張って来る

立体人間を消して 直線とせよ
踊りが出て来る
踊ると 人が消える
幾何の中で人を消すのだ

天には人がない
踊りがあるだけである

天体の運行は 直線の
踊りの線に従ってなされる

舞台作りがなされた
さあ太陽よ 上がれ

斜めなる直線の角度に沿って
斜めの角度が 全てを背に乗せて
飛んでゆく

2001.01.09.

| 2001年 | 21:05 | TOP↑

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カバを拝むに至るまで

今から3300年ほど前に あるエジプトの王が宗教改革を行った
その当時は動物信仰が中心だった 太陽も拝んでいた

ところがその王は 動物信仰を全部やめさせて
太陽だけを拝むようにした
その動物信仰にカバもあった
そのカバ信仰とは何千年も前から行なわれていた 
エジプト人でもわからないほど遠い昔から
カバの信仰が続いて来た

私がそのことを初めて知った時 
エジプト人はバカなことをしていたのだなと思った
カバ ワニ ライオンなどを拝むとは
そして太陽を拝んだのは良いと思った
太陽を拝むのは良い カバを拝むのは頭が悪いと思った
それは私の間違いだった

カバを拝むというのは 偉大なことだったのだ
ジムが小さい時 僕はワニの眼の中から生れたと言った
私はこれを次のように説明した

ワニが静かに眠っている そのワニの眼が静かに開く
その眼の中に 静かさと平和を覗いたのだと言った
ジムがそのワニの眼の静かさや 平和の中から
生れたと説明をしてきた
そしてそこに 自分の魂の明るさを見たのである

そのような説明を約10年間 同じようにしてきたが
充分な説明でないと感じていた
どのようにもっと完全に説明したら良いか分らなかった
やっとそれが完全に出来るようになった

僕はワニの眼の中から生れた
別にそれは犬の眼から 猫の眼からというのではない
ワニの眼からと言っている
ワニという生き物 
尾 胴体 頭 グロテスクなワニから生まれた
これはいかにも非現実的な動物 尾が長く
太い胴体 口も長い――アンリアルな動物に見える

ライオンもアンリアル
そのように ライオンもエジプト人は拝んだ
インド人は ワニをガンジスの神様として拝んだ
ワニの一種の奇妙さ グロテスクとも見えるその形に
アンリアルさに何かを感じていた

エジプト人は スフィンクスにライオンを見た
そのように非現実的 アンリアルということは
神話的ということである

そこでエジプトの人はカバを見て
そのカバの大きな図体をして河の中で
大きな口を開いて棲んでいる
それも非現実的であり そこにエジプト人は何か
神話的なものを感じていたので
そのカバに手を合わせて拝むようになったのではないか

現代の知的な人間はカバを見て その形にアンリアルさ 
神話を見て 拝むようなことはしないだろう
エジプトの昔の人はカバを見て そのカバを拝んだ
そこにエジプトの素晴らしさがある

そこでエジプト文化は永い間つづいた
そのカバを拝むという動物信仰から 少し人間が知的になると
太陽を拝むようになった
そこから人間は大分堕ちてしまった
知識で神をこしらえたり 
又はこの宇宙を創ったという一つの神様を考えて
神話的なものから知的なものへと堕ちてしまったのである

だから我々は何千年も昔にあったエジプト人の持っていた
精神構造に帰る必要がある
カバを拝む事
私はそのカバ信仰を一生懸命考え その中へ入っていった
そうすると自分が消えていくのを感じた

自分たちはこの知的な人間を消さなければならないと
十分知っている
しかし何をもってきても消せなかった
消そうと思っても消えない
ところがカバ信仰をもってくると自分がスーッと消えた

或る日のこと 歌を歌いながらカバ信仰のことを思った
すると 歌っている歌声も消えていった
自分が消えると声が小さくなる
消えたところから声が出てきた
ここが大事なところだ 自分が消えるという事が大事

知的な自分が消える
去年アホになって消えるという事を話してきた
ちょっとはアホになれるが 完全にアホになるのは難しい
それは消えないとなれない

消すためにはやはりエジプトのカバをもってこないと消えない
すると人間の顔は柔らかくなってくる
声も大きな声は出なくなる 

大地の底から響いてくる声も聞ける 
我々の声というのは 
知識が一杯詰まった中から声を出している
大地の声は永遠なるものがある
この世の中にある声は いつも変化する

カバを信仰し始めると
知的に出来上った自分が消える
愛情を求めたり 慈悲を求めたりする弱い自分が消えていった

朝焼けを眼で見るのでなく 耳で朝焼けの音を聞こうとする
そこには透明なものがある
知的なものが弾き飛ばされてしまう

2001.01.07.

| 2001年 | 21:10 | TOP↑

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朝やけをみて

この朝焼けをみて その声を出そうとした
歌は静かに そして低い声となった

耳で歌えるようになったのだ
その方法が 朝焼けによって確かなものとなった
それが法華経にある
二十六普賢菩薩行法経に

蓮の花の台(うてな)がある
眉間に 蓮の花のうてなあり
そして その上に化身あり

その化身の眉間より光りが出て 鼻に入り 鼻より出て
眼に入り 眼より出て耳に入る とある

更にその光 頂上に至ることによって
その象 地を踏まず虚(そら)を歩き 遊ぶ とある

私はその蓮の花びらの「うてな」に朝焼けを見たのである

静かだ 実に静かで透明だ
幾何の舞
耳がその舞の音を捉えたのだ

大地の響き 大空の響き 舞の響きを耳が捉えた
天体の運行の響きを歌声とせよ
オチャメと舞の歌声を出せ

2001.01.07.

| 2001年 | 15:05 | TOP↑

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軽やかな角度

その軽やかな角度
それが神話である

そこで自己が消される
その姿で立つのである
知識や感性の人で立つのでなしに

体が動き 踊るように動いて来る
軽い体となって
羽毛が歌うのである

カバは 消える為のカギであり
白紙の舞は 消えた人になる為の 
カギである
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① オチャメのカバが 知を消すカギとなり

② 立法を平面に そして線に変えると
  創造の角度となる
  光り 踊り 響き人間となる

③ 耳をすまして 宇宙の歌声を聞け

2001.01.03.

| 2001年 | 22:29 | TOP↑

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消えた人が歌う

消えた人が 歌を歌う
その声は小さい
高い声を出さない

消えた人が歌う
声でない 低い消えた所から 
出てくる声だ

自分のない声だ
消えた響きの声だ

高い声でない
力の入っていない声だ
神話の震えの声だ
その声で歌うのだ

人はいつも 人がある
そして そこから歌う

太い鉄線 細い鉄線の弦で
歌っている

消えた人の歌いは
弦のない楽器みたいだ
弦のない楽器だ 
神話は
img011.jpg
音のある声を引っ込めよ
すると 弦のない楽器から出て来る
響きの声が出てくる

オチャメなカバ信仰が 弦のない楽器である
即ち 知の消えた人だ

2001.01.02.

| 2001年 | 13:16 | TOP↑

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