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2001年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2001年12月

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形は命である

自分という人間を 右手に例え
宇宙を左手に例え
その右と左の二つの形が
踊る

右と左が手を打って踊る
人と宇宙を その立体から
抜け出させ
その形と形を踊らせよ

人からも 宇宙からも抜け出せる
ただ形だけが残る

鳥の翼は羽ばたく
翼の上下運動は形であり
形の遊戯である

生命はその形から
形の遊戯から創られる
遊戯そのものも形だ

2001.11.20.
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| 2001年 | 23:03 | TOP↑

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無と有で踊る幾何学の舞

線は点の集まりであり 0次元である
即ち無いもの 無である
立体も構造として線で成り立っている
だから立体も無であるといえる

現象の世界において立体はある 
有としてある
しかし有であるが 0次元なる線によって
構成されている
ということになると
有は 無であるということになる
つまり有は存在しないのだ

存在していない有
しかし現象世界では
有は有として認識されうる
これはどう理解すべきなのであろうか

無と有の関係において 無である線は
平面として拡張し 有である立体を
形成する

逆に立体は平面として解体され
線として解消される
一筋の線が 一枚の紙になり
立体になり また線になって消えるのだ

消えたものが 又現れる
点が始めとされ 線として連続し
平面となり 立体を形作る
それがまた点に 無に帰してゆく
幾何学の舞がここにある

この舞の構図のみでおれ
この幾何学で歌を歌え
これで歌うと 身体が揺れて
オチャメになる

白紙の舞も
オチャメ踊りも
この構図なくしては生きてこないのだ

2001.11.20.

| 2001年 | 10:30 | TOP↑

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瞬間は形を掴む

瞬間のない所に 真実はない
瞬間をつかんだエジプト人にとって
立体も時間もなかった

形のイメージの中で
平面と線の中で
瞬間の羽ばたきの中で生きていた
オチャメの中で生きていた
神話の中で生きていた

立体は神話をけちらす
言語もそうだ

しかし人の心の中に 有り難い事に
まだ神話が残っている
太陽は東天から昇ってきたという

それは神話の言葉である
それは知識でなく 形の世界だ
形がエジプトでは 声であり言葉であった

今の人間の声は にせの声である
西アフリカの人の中に
今もその形の声が残っている
彼らは体全体を動かして 声となす

2001.11.15.

| 2001年 | 20:40 | TOP↑

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透明な線と時間の遊戯

お祈りの時の歌声 その音声
今自分たちが出している音は 本当の音ではない 
相対が出している音だと捉えた時
音に金が入ってきた 
金の声が出てきた

線になって すべての物ものがそれによって
出来ている幾何学の織り物

その透明なる線に意識を定着させる
さらに その線に時間をかけ合わせる
その時 時間は瞬間であり 瞬間は永遠となる

永遠なる存在物 生きた線で編まれた宇宙
即ち「現存」
その生きて在る線と 
瞬間をかけ合わせたものが音である  
本当の音である

先日見たモデルのような女性の歩きは
線上の時間を歩いていた
瞬間瞬間の線の上の歩みに集中していた

イシス女神のはばたき 羽ばたきの中にも瞬間がある
線と時間がある
本当の生命は 羽ばたきの中から光とともに復活する

光が斜めに走って宇宙が生まれた
そこに真実の音がある
線と時間の一対になった音がある

存在するものはすべて破壊 保存 創造と
変化を繰り返している
破壊は創造の始りである
ここに永遠がある

知を超えるには相対の音を見破り 立体を解体する
魂はそこから復活する

古代エジプト人は 立体を描かなかった
線と時間の秘密を知っていた
立体になると相対が姿を現わす

太陽は東から出て 西に沈んでゆく
立体になると相対的になり それを見る自分が出てくる
太陽を見る者から その光の中に消えてゆく者となれ
そしてそれを導き誘う者となれ

本当の音声は線であり 光であり
それは金色
線と時間との永遠の遊戯の中から
響き 躍動がやって来る

2001.11.13.

| 2001年 | 09:30 | TOP↑

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