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2002年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2002年04月

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個のないところにオチャメが顔をだす

人は皆 自分の中に閉じこもっている
自己の殻に逃げ込んでいる

そこから前に出よ
眼の前にあるオチャメに定着し
関係性の中に積極的に飛び込め
個がなくなる

自分の前に あるいは対象の中間に
オチャメというものをおいて
そこから歌うのだ

個がなくなり 大きな声で歌えて来る
引っ込んでいる性格も変わって来る

まじめ 堅物インテリは
演技が出来ないから変わらない
昔 ガラッパチの芸者の人が呼ばれて
大金持ちの家に入った時
見違えるような上品な振る舞いになったのを
見たことがある

演技が出来るから 即ちオチャメである
個のないところ
そこでは演技が遊戯となって
微笑みがやってくるのだ

2002.03.30.
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| 2002年 | 13:16 | TOP↑

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縁起なるもの関係性は

真理というものはない
物と物 物と人 人と人……の関係だけが
ある
その関係の中で瞬刻瞬刻 創造が行なわれる
それが真理だ

瞬刻瞬刻の関係性の中に 
真理が創造される 

個なるものはないのだ
関係性だけが真実なるもの

仏陀はそれを縁起といったのではなかろうか
そしてその間にあることを 中道といったのでは
なかろうか

2002.03.29.

| 2002年 | 13:14 | TOP↑

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生命を創るものたち

エジプト文明の研究で 生命と瞬間が
関係のある事が分って来た

いわゆるマート女神の直線上以外に
イシス女神の翼の上下運動
そこにある瞬間と 生命創造の原理
その二つが露わになって来た

プラトンが 
「幾何学を知らない者はこの門をくぐってはならぬ」と言って
大学の門の上に それを書きつけた
そして「エジプトの法は 翼の詩にある」と言った

そこでエジプトは 翼の国であると言える
即ち直線にも 翼と同じ瞬間がある
エジプト文明はその瞬間の詩と 神話と
幾何学の光に輝く国である

天から舞いおりる白紙は
スローテンポで舞い降りる
それは悠々と舞い降りる
翼の舞だ

急ぐのは人間のみかも知れない
翼の静かな上下運動は 光を創る創造の詩である
生命を創る創造の詩である

2002.03.23.

| 2002年 | 23:17 | TOP↑

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創造者オチャメ

陰陽 善悪 清濁 明暗 上下……
そんなものはない
間に踊りがあるだけ
その踊りはオチャメの踊り 
元にオチャメがある

善し悪しを考えないで オチャメだけを思え
エジプト人はオチャメを知っていた
だからカバを拝むことが出来た

カバはどこから見てもオチャメ
カバは太陽の母
カバはお産の神様であり
生命を生み出し 宇宙をも生み出す

つまりオチャメから生命が生れ
宇宙が生れたのだ

2002.03.20.

| 2002年 | 13:13 | TOP↑

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虚構なる時間の世界

完全なる人というのは 存在しない
どんな哲学思想でも どんなに深く突っ込んだ思想でも
人間の造ったものは完全ではない
どんなに立派そうにみえても不確実性の中にいる

こうというものはないのだ
すべて過程のある側面でしかない
これを肥大化させ発展させて造り上げた
虚構の世界 思い込みの世界に各々が立っている

宗教家 思想家 哲学者 科学者
皆自信あり気に見えるが 
各自が虚構の世界に生きていることを知らないのだ

時間の世界はすべて虚構である
宇宙でさえも時間である
人 宇宙 あるもの全ては時間によって造られている
そして時間によって朽ちてゆくのである
ああ なんと儚いものなのか

時間を超えよ
時間のないところ
そこに入ると 全てが消える
オチャメも 白紙も全てが消える

瞬間を掴み  
更に時間のない世界へ入ってゆけ

2002.03.10.

| 2002年 | 13:11 | TOP↑

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花は美しいのではない

平面になる
線で切って平面になる
時間がなくなる 連続がなくなる
感情がなくなる

続かないのだから
決めつけたものがなくなる

全て消えてしまう
その地点の瞬間 瞬間しかない

感情もないから カルマも消える
そこにあるのは 瞬間の躍動のみ

それは「記号の世界」
空っぽという構造
消えた構図の世界である

タオルに描かれた刺繍の花
その一本の糸の角度の舞から
あざやかな花が織りなされている
そのように線と角度の舞から 全てが生み出される

花は美しいのではない
それはいつも透明で ピンボケで
消えた構図を持っているのだ

2002.03.09.

| 2002年 | 13:10 | TOP↑

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素朴とオチャメ

今まで求め 得ようとしていたオチャメは
何だか温かいものを土台にして 求め考え出されて
いたものであるということに気がついた

温かいものを土台にしていると 
この汚れた世界での求めに
一歩足を踏み入れる事になる 
すると俗世の臭いから抜けられない 

では素朴を元とするオチャメとはどんなものか
それは子供のもつ素朴さ そこから出て来る
そこには温かさを求めているものは何もない

温かさを求めるのは大人である
子供は純粋なものを求め その中で生き 
その中で 親の懐の中にいる 
特別に温かいものを求めるという知力など 
毛頭持っていない

子供は純心というが それは純粋なものを求め
純粋なものの中に憩い 遊んでいる 
その遊びも遊んでいるというより 
憩っているのである

子供は純粋さの中で 憩える魂なのだ
それに比べ 大人は安心と温かさを求めなければ
憩うことすら出来ない存在となっているのである

素朴とオチャメ これは一つのものだったのだ
温か味のあるオチャメから抜け出そう 
そして子供の魂をお手本として
本当のオチャメをつかめ

天上から魂に そよ風が
吹いて来た

2002.03.05.

| 2002年 | 21:40 | TOP↑

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