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2002年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2002年05月

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思考の停止はじまる

思考は 自己があるから

思考が おきるのである

ではどうすれば 思考が 止まるのか


それには 自己を 消せばよいだけである

では 自己をどのように 消すか


それは 自己が物事を 見るのでなく

自己が物事を 考えるのでなしに

宇宙の呼吸の中に すいこまれる

のである


入って行こうとするのは 自己がある

悟ろうとするのも 自己がある

なろうとするのも 自己がある


だから 宇宙の中へ 吸い込まれたら

自己が消える

消えると 思考がなくなる


即ち ずっと以前に経験した半導体である

半導体の中へ 吸い込まれる事によって

運動がおきる宇宙

おどりがおきる宇宙


そうだ 吸い込まれるのだ

他力でも 自力でもない

そこに 立つだけである

強力な力の前に 立つのだ

思考がとまり 自己が 舞そのもの

となる


自己を吸い込む力は 直線のもつ

斜めの角度の中にある

斜めの角度は 創造の角度だ


創造は造り はき出す力のみではない

その角度は 吸い込む力である

吸い込み はき出すのが 斜めの

角度である


我々人間 何を悟ろうとしているのか

そんな意志 思考をやめて

幾何の世界を知らねばならない


デカルトは言った 私は精神世界の

探求は止めた

なぜならそこには 決め手がないから

だから私は きめ手のある自然科学に

目を向けると


そのデカルトの言う通りである

今日までの哲学的 或いは道徳的な

聖者たちは

精神面のみを 扱った

それでは いつまでたっても

らちがあかぬ

間違った方向に 人をひっぱってゆく

おそれが多分にある


真理を 究めようとすれば

自然科学に 目を向けねばならない


角度をみよ 斜めの角度をみよ

そこに宇宙を動かす 根源の原理がある

吸い込み はき出す


我々は そこに吸い込まれて

自己を消すのだ

そして 形の世界に自己を

もどさねばならない


そして 自己のDNAを その形に

したがわせ 帰郷させねばならぬ

我々のDNAは 思考というまつわりきった

よごれのDNAをもっている


油の無い機械か

油のよごれきった 黒い油のつまった

機械みたいなものだ

つまらぬ思考が まつわりきっている


角度で出来た 機械的なDNAに

もどさねばならない

昔の人が言った 人間は機械であると


人間のDNAは 宇宙のDNAの形に

合わさねばならない

非平衡系の形に

斜めの形


それで 天を向いて歩くと

その斜めの形が 自己の頭の中に

入ってくる

それで人は 救われるのだ

宇宙根源のブラフマンは 呼吸して

いると 太古の人は 言っているではないか


2002.04.29.
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| 2002年 | 23:25 | TOP↑

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金色の麦畑

はじめに踊りがあった

踊りしかない


無と踊りが同時にある

だが無というものはない

踊りだけがある 

これが変化であり

そこで瞬間は踊るのだ

かくて永遠となる


満月を見る

丸く美しいという情感

それも消えて思考が停止する


停止すると自己が消えて

透明な角度の

開きの中へ入って行く


音のない音 音楽のない音楽

それが本当の音楽だ

インドの麦畑でクリシュナ神が現われた時の

麦穂のゆれ

あれが最高の音楽だった


音のない音楽 芸術のない芸術が

本当の芸術であり

芸術作品はいらないものだった


ああ 一面の金色の麦畑

一面の金色の麦畑

一面の金色の麦畑・・・・・・


2002.04.28.

| 2002年 | 15:58 | TOP↑

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瞬間なる永遠

瞬間が命である

在るものはすべて瞬間によって在る 

瞬間をもたざるものは存在しえない 

瞬間の点となり 線となり平面となる

目に見えないものも すべて瞬間をもっている


瞬間なる永遠が自分である

人間の歩きは 欲の時間性の上を歩く

人間の歩きをやめて

瞬間の舞として歩け


瞬間なる永遠の時間が

透明な時間である
 
消えた歩き

瞬間瞬間 消えるのだ


2002.04.21.

| 2002年 | 15:57 | TOP↑

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時の天使が舞う

詩とは 詩情とそれによって

引き出された言葉があるのみではない

そこにオチャメがある


そのオチャメが

詩を引き出すのである

詩の元にも 神話の元にも

同時にオチャメがある


それは現実と非現実が同時存在

している構図であり

相方が同じ重みを持っている


非現実を軽んじないところに

天使が姿を現す

詩が 形相としてあらわれたのが天使である

その舞はオチャメ


オチャメは「時の天使の舞」である

その荘厳なる舞は 瞬間なるものを身に宿し

時間の連続体を切り

永遠への入口で輪舞する


時の天使は癒すもの

天使とは関係性の中に入って

舞によって癒し いたわるのだ

時の天使が舞っている


2002.04.20.

| 2002年 | 15:55 | TOP↑

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時の天使は舞う

時の天使は 舞う

時の天使は 舞う


人間でなく 時の天使であった


時の天使は 舞う

時の天使は 舞う


それは 舞うように

歩いている


寝ている時も 舞うように

ねている


ある時も 無い時も その

時の天使は 舞う


今の人々は

ほとんど 病気になっている

人間という 病人なんだ


時の天使は 彼らを

めざます


時のゆりかご 時のゆりかごは

天使のつばさ


2002.04.16.

| 2002年 | 17:02 | TOP↑

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発声と歩行の秘密がもっとはっきり分った

遠い歴史の 時間制があった

そこから 自己が生まれた


その時間制は 瞬刻 瞬刻の

連続された 時間の歴史であった


更に その歴史は 瞬間という 遠い

歴史をもつものであった

それは連続した 歴史的な

時間ではなかった


永遠という歴史をもった 瞬間であった


瞬間のもつ歴史は 古い


その歴史の中から 自分も この

宇宙も 生まれた

しかもそれは 詩という

生きたものが 宿っていた


詩という生きものが 降って

来たのである

遠い歴史時間の 彼方から

詩というものが 歴史と共に

降って来たのである


そして 宇宙や 自分になった

それが自分である


自分とは 今まで  思いこんでいた

人間というものでは

なかったのである


先ず人間は 人間というものを

すてねばならない

それには 知識を

すてねばならない


頭脳というものは いつも何を

考えているのだろうか

それは 我々は人間である 

故に この人間は何をすべきか

……それだけである


人間は 人間ではないのだ 

いつの間にか

自分は人間と 思いこまされてきた


人間だ という言語の中に 入れこまれてきた


人間は本当は 時間なのである

この宇宙も 時間なのである


その時間も 瞬刻 瞬刻の連続した

時間なのである

その瞬刻という 瞬間こそ

世界時間と この宇宙を つくっている

ものであり

そのもの自体の本性は 瞬間という

ものである


尚 その瞬間以前の物こそ

自分なのである

その その物に成る為には

その瞬間を通らないと

瞬間以前のものに なれない


ただ 科学的な分析の知識で

理解できても

それは そうなれない


即ち人間であったものが

人間を捨てて

時間にどうしたらなれるのか


その為に1、2、3、 1、2、3、と

それを唱えながら 歩くのである

ゆっくり歩くのである


人は 欲の時間制の上を

歩いている

人は世界時間の上を

歩かねばならない


この1、2、3、 1、2、3、は世界時間である

即ち1 2 3の中に 瞬刻がある


瞬刻 瞬刻の 連続の世界時間が

そこにある

そこで人は 人から 世界時間に

戻れる


人間は 人間でなく 

世界時間そのものである

瞬刻 瞬刻の世界時間そのもの 

それが自分である


その1、2、3、 1、2、3、と歩く実験

によって 知識だけでなく

体験の実現への進行が

なされるのである


進化とは これだ

今の人間とは 人間という

個人人間の 利己中心人間に

退化している


時間となり 時間をも

こえた者となれ

そこに オチャメが待って

くれている


お前の名は オチャメ

宇宙の初めに オチャメがあった

ふるえるもの 踊るもの 舞うもの

があった


2002.04.14.

| 2002年 | 22:36 | TOP↑

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時間の正体

限りなく変化していく

変っていく

一瞬たりとも とどまっているものはない 

それのみが真実

そしてすべてがくり返し循環してゆく


あちらであったものが こちらになる 

あちらにもこちらにも

その双方に真理はないのだ


変化は時間

時間は角度の舞 

それが現われである


糸が織られることで一枚の布が出来るように

一本の線がすべてを織りなしていく

そこでは すべては踊りそのものだから

いかなる結果も考えることはない
 

それが時間の正体である


2002.04.06.

| 2002年 | 13:19 | TOP↑

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歩くことの秘訣

自分は瞬間でできている

自分は人間ではない

人間と思っているから

人間になってしまい

人間という言葉の牢獄に入り込んでしまう 


そして 人間としての情感や感情やらが

発生しうごめき その中でうろつく


人間ではない 瞬間だ 

即ち透明な角度の

舞そのもの その瞬刻瞬刻だと

思うと人間の連続体がプツッと

停止し消えてしまう


今までの人間意識がなくなって

すべて起こっていることを客観的に

その連続体現象の外側から ながめることができる


もし仮に誰かがぶつかって来て 罵倒したとしても

きつい言葉をあびせかけられても 

自分はないから

自分の人間意識は消えてしまっているから

その言葉はただ眺める対象となり

反応をおこさない


瞬刻瞬刻の中に消えてしまう

ただの変化 舞と化す


瞬刻瞬刻を 真に自分のものとすること

そうして一人つっ立つことしか 

本当に人によい影響を与え 

人をよい方向に引っぱる方法はない


目に見える あるいは見えない様々な問題に

取り囲まれて生きている人間同士の

感情の世界では

ますます複雑に問題がからまるばかりだ


人間からぬけ出て 瞬間の永遠の幾何学の舞 

時間の元なる不動に帰らねば

何も助からない 

カルマの鎖は切れない


実在は 時間を超えた所にある

その超えたところにオチャメがある

その瞬刻をつかむために幾何学の一線を

歩く事 


1,2,3 1,2,3と瞬刻の歩みで

その一歩一歩で 消えて体得すること

体にわからせないと生きてこない

実験しないと生きたものにならない


細胞のはしばしまで血液の流れにまで

瞬刻瞬刻を認識させること

いろんなカルマにふりまわされない錨を

しっかり降ろすこと

瞬刻瞬刻という錨を 


その錨は外なる宇宙に 星の彼方に届くのだ

やさしさなどの良さそうな言葉にも

決してひっかかるな

人間意識の中ではいかに良いことも

相対的であり 比較の中で

うろついているだけだ


瞬間は元に帰る入り口 通路

瞬間で連続を切る

頭で認識するのでなく身体でわかること 

感覚でつかむこと

それが歩くことの秘訣である


2002.04.03.

| 2002年 | 13:18 | TOP↑

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