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老子とニーチェのまよい

老子にせよ ニーチェにしろ 彼等には

自然という対象があった

自然と和解せねばならぬ自然

自然にかえらねばならぬ自然が


それが消えて はじめて

自然となるのである


ところが彼らには まだ自然が

のこっていた


という事は 自然にかえり 自然と

和解せねばならぬ自己があった

自己があり 人間がある間は

本当のものに なれないのである


彼らは自然を 如何にして消すか

人間を如何にして消すかが 分らなかった

いわゆる 思考する人間がのこったのである


ところで ニーチェはヘルダーリンの

ように

イタリアで 「幻想」の世界を経験した

しかし自己を消さずに 思考と幻想の二つを

手に入れた彼らは

狂う人と ならねばならなかった


人は 元々の人間に帰る為には

よごれと 間違って来た道を 一つ一つ探して

徐々に カムバックさせねばならぬ

その為に 人間の歴史を 勉強せねば

ならないのである


それが為には いつも

太古の人々を見すえて

そこから眼を 離さない事である


イタリアの学者 ヴィーコが我々に

その貴い言葉を のこしてくれた

「太古の異教徒の人々は

生れながらにして 神学詩人であった」と


このことを 人々に伝える為に  

ヴィーコは 命を賭してそれを

「新しい学」という本に 書きつけた


それを ドイツのヘルダーが見つけた

ヘルダーは ゲーテと共に その詩なるものを

神話なるものを

発掘しはじめたのである


それが 神話学の台頭となったのである

そしてヘルダーリンや シェリング そして

ニーチェ等へと 花さかせて来たのである


しかしそこには 幾何学が入っていなかった

神話と詩というものは 数学の世界や

科学の世界で 扱われねばならない事を

彼らは 気付いていなかった


あくまで哲学的 精神的にその詩と

神話を扱った

そこに欠陥があった


神話と詩は 精神や哲学的なもので

はなく

形相の世界のものである

真理は形相の中から

顔を出してくれるものである


2003.06.13.
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