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2003年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2004年01月

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無心の儀式が踊る

宇宙の奥はピュアーだ
ピュアーには心の要素がない
ただ無心の運動がある
循環という遊戯的な運動のみがある

人間は宇宙を体現しようと思えば 心でなく
その無心の深淵に入らねばならない
それ故その無心を儀式化してしまうことだ

人間という生き物は 宇宙のピュアーから出来てきている
それは無心をさらに展開したものである
宇宙の循環の遊戯を 更に心の世界を超えて儀式化するのが
人間の役割である

無心が儀式となると 踊りが始まる
全身が手足をふって 踊り始める
舞だ 踊りだ これが人間だ 神話とはこれだ

無心を儀式化したのが人間そのものである
無心を儀式化すると 今までゆれていた体が
手足が動き出し それが踊りとなる

儀式とは春の発芽のように 踊り出す儀式なのだ
春の芽生えとして現われたものが生命なのだ

無心が踊りに変化したのが人間であった 
命あるものたちであった

生命あるものも 生命のない物も
躍動するものとして現われた
月も 太陽も 星々も踊る者たちである
原子ひとつでも踊っている
人間だけが踊りを忘れて 心の世界に囚われている

踊れ 踊れ 
踊りながら宇宙は進化してゆくのだ
宇宙の進化を祝して 時空と共に踊るのだ

2003.12.31.
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| 2003年 | 15:40 | TOP↑

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時間を止めた行為の現われ方

時間は思考によって出来ている
これが分った時
思考を止めた 
つまり時間を止めたのである

すると そこに人がいない時
それはオチャメ踊りの儀式として
飛び出て来た

そこに人がいた時には
「優しさ」となって現われた

儀式が優しい行為と 言葉となって
出て来ることが分った

この二種類の現われ方があることに
気付かされた

2003.12.24.

| 2003年 | 11:27 | TOP↑

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思考は時間をつくる

霊感を得ようとすることは 間違いである
なぜならそれは頭での世界 
つまり思考に入ることであるからだ 
それでは時間を超えられない

思考を止めると
オチャメ踊りがふき出てくる
それは頭の世界でないので 
時間を超えた世界である

時間を超えたものが
儀式として やって来る

時間は 思考の世界にいると出来て来る 
その思考から行為の世界 踊りの世界に入ると 
時間を超え 
時間から抜け出せているのだ

時間は思考の産物である
時間を抜けて
開けた天地の世界に入れ

以前 神から「天地を開け」という啓示を
受けたが 
これがその答えであったのだ

2003.12.24.

| 2003年 | 11:25 | TOP↑

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「やさしさ」と「遊戯性」とはちがう

「優しさ」「親切」は 孔子の用語である
宇宙と人間の本性は「優しさ」ではない
「遊戯性」(オチャメ)である

そのオチャメを忘れている人間は 儀式という言葉を唱えて
引き出さねばならないのである

悟りも何もいらない 
本性さえ見つければよかったのである
それが啓示によって 知り得たのである
決して自分が見つけたものではない

連鎖の中には 合理と非合理が遊戯している
それが存在の真理である
もし真理という言語をもちいてそれを探すならば遊戯 
即ちオチャメこそ真理である
それが自己そのものである 

故に儀式なる言語を唱えて それを 
その忘れ切っていたものを誘発するのである
それだけが求道の結果 
その金の細かい通しに 拾い上げられたものだ

永い歴史の過ちを作り それに育て上げられて来た自己を
歴史的にカムバックしなければならなかった
それに50年の歳月がかかった
勝利は天の手助けからやって来たのである

2003.12.22.

| 2003年 | 21:59 | TOP↑

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儀式は遊戯性を誘発する

神話は言語なき言語である
すると言語を持たない人間に アホの顔が出てくる
それは知識の世界をもたないという知の顔だ

言語でない言語が神話なら 何もかもあるもの 
石ころでも神話である
すると世界は神話に囲まれているのである
それが響だ!!

神話とは言語なき言語 連鎖の遊戯性 対話である
ところがその真理なる遊戯性が
いつも人間から忘れさられている故に
それを誘発する為の「儀式」という言語でもって
自己に言い聞かせる必要がある

人と人が会った時 人と人の関係の中で
「儀式」と心の中でつぶやくのである
すると遊戯性が誘発され 優しい行為が遊戯的に出てくる

この優しい行為は 孔子のいうやさしさとか親切ではない
遊戯性のある優しい行為なのである
儀式という言葉を常に自分に言い聞かせ 
心の中でつぶやくのだ

なぜなら人間は 永い間の間違った歴史の中で
その遊戯性を失いきっているからである
言語が出来てから そんな悪い人間になりきってしまったのだ

2003.12.22.

| 2003年 | 21:53 | TOP↑

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太古の人の響きとは

太古の人は響いていたという
その響きという言語に 今までひっかかっていた感じがする
なぜならそれは 現代人が感じられる響きでないことは 
確かだからである

すると太古の人のもっていた響きとは
どんなものであったのか
……それは言語でない言語ではなかろうか

言語で現わされない言語
言葉で現わされない言葉
それが響となって伝わっていたのではなかろうか

だから我々が使っているような 響きという言語の
響とは 全然ちがうのである
となると その原始の響はどんなものであるか――
神話がそれである

神話とはそうした言語でない言語 即ち原始の言語である
だから神話は 原始の言語であると言われるのであろう

原始の言語 即ち神話
神話とは言語なのだ

例えば 炎の踊りの形相
又は「揺れ」なども言語なのである

即ち 宇宙意志が炎の踊りとなったり
又は「揺れ」の形で現われたりする
……そういう言語以前の言語が
「揺れ」であったり 炎の踊りでもある

すると 矢印一つでも言語でない言語であると
はっきり分ってくる

原子の動きも 言語なき言語である
神話はそれだ
言語なき言語だ

世界は黙って動いている
太陽も黙って動いている

人間だけがしゃべっている
だから神話が来ないのだ

2003.12.22.

| 2003年 | 00:25 | TOP↑

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アホの顔になるには

アホの顔になる事
これには 強力が必要
強力なオチャメが 光を放つ

それがアホの顔となる
ただ ボーッとしておっては
アホにもなれない

輝けるアホの顔になること
それには今ここで 強力になること
強力はオチャメをつくる

強力を忘れると 今ここでを忘れる
距離の中に入っては 考える人となる

ものを言わないオチャメ
ものを言わないアホ

ものを言わないオチャメ
ものを言わないアホ
顔や体がものを言う

昔は言葉がなかった

2003.12.21.

| 2003年 | 20:47 | TOP↑

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構造の世界

二階に上り お祈りを始めた
すると 神聖ということを考えている目の前に
神聖というものが立体になって現われた
そして平面となった

それで神聖というものは こういう物理的な
構造をもったものだと分った
一つの驚きであった

これをもっと探れば 「神聖」というものが
どうしたら そうなれるのかという道筋が
分って来るだろうと思い もっと見つめていた

すると平面という生きもの 構造をもつものが線となった
その線が 消えそうになったり現われたりしながら 
白光 白光体の線となった
これが神聖というものの正体なのかと分った

水でも結晶すると その構造という正体が現われて来るように 
神聖というものになろと思えば 単に聖らか……
神のように聖らか……などと考えても そんなものでなく
こんなものにも 構造がある事が分ったのである

即ち こんな神聖というものも一つの生きもの
構造によって 組み上げられた存在物であるということを知り
宇宙というものを 改めて認識させられた

白光体の線――それになること
そこに 神聖というものにならせてくれる道筋がある事を 
教えてもらったのである
天の啓示だ!!

最近は 次々に奥に入れるのでとても愉快だ

2003.12.19.

| 2003年 | 15:39 | TOP↑

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ちがう世界

点も 線も あらゆる可能性も消えた
そこから出てくるものは何か
そこから出てくるものは
あらゆる可能性である
零ではない

あらゆる可能性を 放ったその後に
出てくるものは
あらゆる可能性である 

力である
幻想力である
それは 違う世界のものである

2003.12.06.

| 2003年 | 21:50 | TOP↑

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女王蜂は住み家を去った

細胞に人体の縮図があり 過去の歴史が刻まれている……
という事になると 幻想力によってその過去の因縁を
みることが出来ると考えた

そこで細胞そのものに 元なる意識を与えねばならなくなる
清らかな元なる自己に目覚めさせる為に
宇宙呼吸をさせて 一滴の露なるものに返さねばならぬ

それには角度が必要である
元なる清らかな露なるものに 
どうして目覚めを与えればよいのか
……それには 斜めなる光を与えることだ

斜めに目覚めた一滴の露
そこにオチャメのどよめきを見た
細胞がオチャメに目覚め 自己の息が吹きかえってきた

それは動きとなった
創造力なる幻想力が 手足を伸ばし始めた
映像と音を創る力と それはなった

この所から 方向性が一度に変わった
あまり変りすぎたので とまどう程である
即ちこの映像と音を得るのに 「神々の協力を得ることによって」
という謙虚な気持ちが横切った

人は誰でも 自分で何かを出来ると思いこんでいる
そこに何か 大きな間違いをしでかしている原因が 
ひょっとしたらあったのかも知れない
こんな大事な事が 横切ってくれたのだった

これが横切ったため今まで自分の力で 細胞の能力さえ 
元通りにして 力を発揮させようとしていたのが
くじけてしまう事が感じられた

ここが一番 問題になった所である……という事は
自力がなくなる という事である
あたかも女王蜂が 次に生まれた雌蜂にその座をゆずって
外に出てゆくのに似ている

そして 点のみにまかせる事となる
という事は 神々が点の存在か 或いは(たのむ事)によって
自己の点が出来るのか
そのどちらでもいい
とにかく 女王蜂が即ち(自力)が出てゆく事になった
……それに成功した という事になる

――すると過去も現在も未来も 
或いは 未来にかける夢もなくなるのである
自己が消えたのだから
即ち 距離が消えたのだから

すると 求めも 希望も 幻想も 創造も
なくなってしまった事になる となると 
ただ……羽毛のように軽やかなものだけが残った
――という事になる

と それでいいのか?……という力の抜けた様な
かつて 経験した事のない事態が起きた
これにアホの顔がある

アホが 最後に残った
笑った顔でもなく 力んだ顔でもなく
ただ残ったのは アホの顔だけであった……という事になる
少々とまどいながら これが本当なのだと
自分に言い聞かすのである

自己という 距離をもつ女王蜂が 
自らその住み家を 出ていったのである
神通力も 超能力も そんなものはどうでも
いい事になってしまうのである

過去も現在も未来も なくなったのである
希望も幻想もなくなったのである
アホの顔だけがあった
笑い仏も かしこそうな仏陀も 微笑んだ仏陀も
なくなってしまったのである
女王は去った!!

おどりも 舞も やさしさも
オチャメも 躍動も なくなったのである
軽やかな羽毛だけが残った
点も線も角度も どこかへ行ってしまった

ただ 真実なるものだけが残った
金線で出来た通しは ついに本当のものを拾い上げた
詩も神話も これであった

2003.12.03.

| 2003年 | 15:56 | TOP↑

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