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2004年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2004年03月

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ゆれ動く透明なほほえみ

ラーマクリシュナは偉大だ

彼には根源なるブラフマンは

なかった

ゆれ動くオチャメのゆれだけがあった


そのゆれ動くものとは何か

それは1-1=0 0=1-1という数式

それに意識を集め

その数式になり切るのである

それは人間という形相から 逃れる事でもある


これは自らが自らを呼吸することである

そして自らが自らを呼吸するとは

自らさえも消えるのであって

自らは何者でもなくなってしまうのだ


知情意でもなく 考えの湧く何者でもない

いわば暖かい世界を求める中にいない

では冷たい世界ということになるが

それは暖かいの反対の冷たいではない


有無の世界でなく中性の世界

即ち点の世界でもある

知情意によって求めつづけてきた自己が消えて

自らは人間でないものとなって

軽くなり 踊り出して来るのである


結果的に来るべき何かを

待ちわびるのでもない

受け取るべきものもないのである

実りとか実現というものも

ないのである


そこで身が軽くなる

即ち羽毛だ

軽くなるのである 


それが暖かさを求めない透明な

中性的オチャメである

いわゆる冷たいオチャメともいえる


冷たいとは暖かさの中にいた人間模様を

おさらばした状態をいうのである

暖かいものを求め

暖かいものの中に住まう自己がなくなり

自らが消えた瞬間である 


踊りが始まる

冷たい自らがもつ躍動の舞の姿 

それが現われて来た

やっと 何ものかを求めていた自己から

解放されたのである


押さえられていた覆いがなくなり

自らそのものの踊り 躍動がやって来た


ゆれ動く1-1=0 0=1-1が

0そのものに帰ったのである

あるものそれ以上のものも それ以外のものも 

そこにはなかった


自らの冷たい熱情だけがあった 

他に何も関係のない自らである

慄然と立ち そこに揺れている者があった

慄然と一人ほほえむ

言語は消えて ゆれ動く自らだけがあった


一者はほほえむ

それは静かで

ラーマクリシュナのように

世界をつつんでいる


それは最高のものになった

透明なほほえみであり 

透明な静かさである


1-1=0 0=1-1

このブラフマンの数式の偉大さが

これをもたらした


2004.02.25.
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| 2004年 | 13:35 | TOP↑

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自らを呼吸する大鳥

汝大鳥 

ブラフマンなる大鳥

彼の大鳥は 自分自らを呼吸する

ものなり


その大鳥の自分自らとは何か

自分そのものを言っているのか


否 その大鳥にとっては 自らなる自分とは

1なる自分ではなく

すべてを自らとする


宇宙に存在するすべてのものは

何であろうと

彼にとっては自らである


0であろうと 点であろうと

距離であろうと

彼には何ら区別はない


自らなる大鳥は

自らすべてを呼吸し

我が懐に入れて飛ぶ


それこそ大鳥そのものの

飛ぶ姿である


大鳥ブラフマンは飛ぶ

素朴とオチャメを両翼として

その翼の上下運動は

飛ぶ


素朴とオチャメの舞は飛ぶ

これ以上のものはあろうか


2004.02.16.

| 2004年 | 13:33 | TOP↑

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ブラフマンの数式

酸素は酸素を呼吸して生きているという

啓示を以前受けた事がある

これは生きていることに重きを

おいているのではない


自らが自らを呼吸するという事は

その自らも呼吸によって

吸い込まれてしまうのである

即ち行為者さえ消えてしまうのだ


自らである行為者には関係がない

1-1=0となるように

自らである主体が消え

ただ呼吸という行為があるだけである 


気息という行為により

一者さえ消される 

1という数が消され 0だけ残る

そしてその0が

また息を吐き出すのである

すなわち 宇宙を再創造するのだ



そこには時間も空間のない世界

即ち形も相もない世界がある

形も消されるのである



ただあるものだけがあった 

それは呼吸である

1-1=0 0=1-1 

これがブラフマンの数式である


美感とか知情意は そこにはなかった

花を見ても美しいと思わなかった


彼はブラフマンの中にいた

それと廻転の秘密も分って来た

その中心軸はブラフマンであった

宇宙はブラフマンを中心軸として

廻るのである

それが即ち 呼吸である


2004.02.13.

| 2004年 | 13:32 | TOP↑

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気息のみがある

平和を求めている者には平和はこない

求めがあるところ 即ち受けのあるところに

それは来ない

受けのない所

そこにブラフマンそのものが立ち上る


受けがないとは何か

それは現象世界の形相をとること 

つまり存在事物の形をもとり除くのである


ブラフマンは宇宙を呼吸する一者なるものである

その一者が自らを呼吸するのである

それがブラフマンの公式 すなわち

1-1=0 0=1-1


1という数が消され 0だけが残る

一者さえもそこでは消される

一者自らが 一者に吸い込まれるのだ

そして再び 一者が吹き出される 

ここには気息があるだけである 


そこには距離のない世界 

即ち時間も むろん相もない世界がある

形も消されるのである


ブラフマンなる一者があった 

そこから夜の静けさも 波打つ大洋も

出来た


しかし一者は

それを創ろうと意志したのではない

彼は呼吸するのみであった


そこで創造するという意志は消された

美感とか知情意は そこにはなかった


ただあるものだけがあった 

それは気息である


2004.02.13.

| 2004年 | 09:48 | TOP↑

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受けのない詩と神話の世界

受けのない世界 

この発見で すべてが終った

思考がとまった


受けのない世界こそ詩であり

神話である

この受けのない世界が オチャメと幻想力の

翼の上下運動を運ぶ

その上下運動こそが オチャメであり

幻想力である

かつ又 二つを合わせたものである


距離も点も すべて受けのない

世界であった

太古の人々はこの受けのない人々であった

故に詩人だったと言われるのである


受けのない世界がこの現世であり かつ

現世以前の世界であった


人はまちがって受けをもち

すべてをあやまちの中に

引き込んでしまった


私は受けのない そよ風そのもの

そよ風が私だ

人のほほをそっとなぜて通る


受けのないもの そよ風が私だ

そこには思考がなかった


2004.02.06.

| 2004年 | 20:02 | TOP↑

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受けのない世界

受けのない世界 

この発見で すべてが終った

思考がとまった


受けのない世界こそ詩であり

神話である

この受けのない世界が オチャメと幻想力の

翼の上下運動を運ぶ

その上下運動こそが オチャメであり

幻想力である

かつ又 二つを合わせたものである


距離も点も すべて受けのない

世界であった

太古の人々はこの受けのない人々であった

故に詩人だったと言われるのである


受けのない世界がこの現世であり かつ

現世以前の世界であった


人はまちがって受けをもち

すべてをあやまちの中に

引き込んでしまった


私は受けのない そよ風そのもの

そよ風が私だ

人のほほをそっとなでて通る


受けのないもの そよ風が私だ

そこには思考がなかった


2004.02.06.

| 2004年 | 13:31 | TOP↑

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お手上げは原始の言語である

お手上げは 原始の言語

即ち神話


神話とは両手を上げて

知恵の世界から 肉体の真理の世界

即ち無知の踊りの世界に

突入する


これが神聖という真理の

入口に入った時の言語なのだ

両手を上げる事は

原始の真理の踊りの形である


無知の深淵は このような

言語をもっていた


踊りの元型は お手上げである

無心の踊りがあった

それは 無ではない

無を感じとることではない


踊り それはオチャメの踊り

宇宙はオチャメの踊りであった

中性子……点である


2004.02.03.

| 2004年 | 22:20 | TOP↑

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