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2004年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2004年04月

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初めに形だけがあった

初めに形だけがあった
意志も心もなかった
心を相手にしてはならない
相手にすると 浪立つ大洋が生れる

初めに形だけがあった 
斜めの形だ
それは中性である
そんな中性の形だけがあった

それは実にオチャメである
そんなものから様々なものが生まれ 複雑になった

斜めの形は創造の元の形
キジが……生きた本物のキジが 床の置き物の形の中から 
生きて歩いている本物のキジとなって 現われた

メアリーが その置物のキジを生き物として 
さすってやった その日から
生きた本物のキジが 現れてきたのだった

白鳥の三羽の出現といい 一羽の七面鳥といい
このキジの出現といい
まるで魔法だ

2004.03.31.
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| 2004年 | 08:33 | TOP↑

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本当の声が

斜めになると「穏やか」になれた
詩も神話も「穏やか」なものだ

歌っていると やはり涙が出てきた 
本当の声を出せたからだ
それは斜めの声だ
口が喜んでいるのだ

ところが分って来たのは 声は全身の斜めから
口を通して出てくるものだと 分ってきた
全身が響いている
そこから声が出て来ている

斜めの声 全身の震えから出ている
それが喜んで 涙となっているのだ

体がふいごのようになって 
声が出て来る
静かに なめらかに 徐々に

それははすかいだ
その声だ その響きだ
太古の人はこれだったのだ

そして声も 詩である事が分ってきた
すると声も 神話という事になる

すると 全身が神話であり
人が一人いる事 そのものが神話なのだ
詩そのものなのだ
大芸術作品そのものだ

全てがそれだ
それだったのだ
大合唱 大合唱!!

手をつなごう人類よ 全てとも
平和が来るぞ!!

体を斜めにすると 
全細胞を斜めにして歌っていると
恍惚に落ち入りそうになる
どうしよう

2004.03.24.

| 2004年 | 08:29 | TOP↑

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自然に涙が

自然に涙が出てきた 朝のお祈りの時に
歌いながら 涙が出てくるのである
何の涙なのか 初めの内は分らなかった
ところがそれが 徐々に分って来た
その涙は 歓喜の涙であったという事を

どうして自然に涙が あふれ落ちて来たのか
その涙は 意識しての涙ではむろんなかった
意識して涙をさそった そんな涙ではむろんなしに
自然にというか 内なる者が感激して
そこから出てくる涙だったのだ

それは はっきり区別して分る……そんな涙なのである事を
それには理由があった
以前から言っている様に 言語を作って 
人間は相対の中に落ちこんだが
この世の中では その言語を使わないわけにはいかない

だからその言語を立派に育て上げて それを掛け橋用として
活かして使う事を 考えたことがある
しかしその活用を気付いただけで 
うまく実らずに済んでしまっていた

それを今 お祈りの歌を歌う最初から考えていた事であった
――言語に 或いは発声にといっても言語が中心だが
その言語に斜めとか 数式の中性の性質とか
そういう生きたものを 入れこんで歌う

即ち 言語を生きた立派なものと仕立て上げて
歌う事を考えついた
するとその歌の発声に そんなものが入ってきた

いつも どんな歌い方をすればいいのかと
研究しながら歌っていたが
その歌い方が なかなか見つからなかった

それを今朝 その言葉一つ一つ 言語一つ一つに生きたもの
斜めなるもの オチャメなるものとして
仕立て上げたのであった
即ち本当の言語となって 飛び出させていたものだった
その物たちが 喜んで涙となったものだった

以前にも文字に命を見た時 金色の文字になったり
踊り出して来た事があったように
今ここに 歌の時に言語を生きたものに仕立て上げて
歌ったその時に それら内なる者たちが歓喜した涙だ
という事が 分ったのである

あふれる涙は 滝のように流れ落ちてくるのだ
これからは その言語だけでなく
行為の中にも それを入れる事を考えよう

一つ一つの行為をも 斜めのオチャメの数式の
真なる姿を入れこむ事を考えよう

人はこれで救われる
本物の生き者となるのは この時である

2004.03.23.

| 2004年 | 15:51 | TOP↑

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真実なる斜めの言葉と行為

生きた言語とは 斜めの言語である
それで歌ったら 何故か涙があふれて来た
内面からの歓喜であった

知情意で涙を出したのではない
内面が喜んで 涙の滝となったものだった
DNAも 本当の構造である斜めにする事が
本物のDNAたらしめる事であると分る

数式は斜めである 
1-1=0 0=1-1は斜めである 
即ち中性子である
言語も行為も斜めにすること
斜めはオチャメであり 詩 神話である

宇宙はそれによって動き
ブラフマンも斜めそのものであり
この宇宙もそれ以外にはない

本当の言葉は どこからでてくるのか
それは頭からでなく 斜めという
幾何学の中から出されて来る

その言葉は 正しく穏やかなものそのものである
ピュアーとは 穏やかというもの
それは オチャメと斜めと同じものであり
詩と神話と同じものだ

詩とは今日まで知情意 
即ち感性から出され 感じられて来るものであると
思われているが 
それらは詩歌であって 詩ではない

詩とは穏やか 
それを言うのである
「木が一本立っている」のも穏やかである 
それは詩であり神話である
それは数式であり 幾何学であり 
幾何学の斜めそのものである

細胞にそれを教えこめ
今日までのような人間であってはならない
人間は頭から口を通して言葉が出てくる
だから今まで 本当の言葉を
出した者は一人もいない

涙にくれながら しかも穏やかである
不可思議なるその感覚
歌の調子もそうなった 
真実な行為も そこから生きたものとして
出てくるのだ

2004.03.23.

| 2004年 | 11:06 | TOP↑

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一族意識

アホの顔は躍動を越えている
アホの顔は詩神の顔である
すべての言語 行為 動きを消して 
一族の中に入れている顔である

それは存在以前のものだ
非平衡系の形 角度は
そこから現れ すべてを包む

全てを一族として
全ての存在の生命を生かす

それが透明の意識であり
自信へとつながる

みにくい七面鳥も
我々に 手助けしてくれる事もある

2004.03.12.

| 2004年 | 09:40 | TOP↑

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神酒なる数式に酔う

人は形相という牢獄へ入っている
その形相とは 人間という形と
そこから出てくる相対意識という相をもっている
その相は心というものでもある

人間としての形相と心
その二つの牢獄の中に 今まで長い間いたのだ
それが数式で 自己なるブラフマンを示すことが出来てから
人間という形を破ち そこから抜け出す事が出来た

そして今夕 その数式という神酒で酔い始めたのである
その酒とは数式そのものである

1-1=0 0=1-1
その数式なる自己の本性 自己そのもの ブラフマンそのもの
その神酒を飲んで酔い心地になっているのである

これ以上のものがどこにあろうか
これ以上のものはどこにも見つけられる事は出来ない

これによって 酒をのむ桃の節句やなあと
小鳥が言った通りになった
酔っている者 オチャメとはそれだったのだ

これから毎日 このお酒を飲ませてもらおう
酔い心地になって 時には一人で
舞う事も起きるだろう

生きてある者がいた 
一人生きてある者がいた
それはブラフマンである

彼は一人で息をしていた
彼は一人で酔っていた
彼は一人で舞を舞っていた

彼は生きた者 神酒に酔う者
舞いながら 金を振り撒く者であった

2004.03.05.

| 2004年 | 10:58 | TOP↑

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