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2005.02.19 Sat
火は 古里なる水の中に
かえらねばならない
これは リグヴェーダの詩人が
言った言葉である
子が 親の中に帰った事は
この世に生きようとする火を
消した姿である
詩人とは 生きる欲望を
放り
天の手伝いをする人の事である
詩人とは 宇宙意志そのものに
なった人のことである
欲と我を もたない人の事である
そしてしまいに 詩からも
ぬけた人のことである
武術者が 武術からぬけた時
真の武術者と成るように
詩人は 詩からぬけた時
この宇宙や 自然からもぬけた時
真の詩人となる
それと同じで宗教家が 宗教から
ぬけた時
真の宗教家となる
その時 火は古里なる水に
帰ったといえる
2005.02.19.
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| 2005年
| 13:06
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2005.02.18 Fri
今日は ラーマクリシュナ生誕169年祭だ
その日にエジプト文明と インド文明の謎の一つを
書きつけるとは 妙なる事だ
ドルガ女神は 善の中に悪がひそんでいる事を
見つけ それをやっつけるという
そこまで解っていたが
それをもっと深く とらえる事が出来るようになった
それは その善人になろうとする その願望の中に
自己欲がかくれている事を 見つけたのである
例えば求道も それである
聖者の教えは すべてそれである
自己を正せ 真理を発見せよ 自己にかえれ
自己を仕立てあげよ 他に親切であれ
あるいは 自然にかえれ……これらすべては
人間が善い人間に なることを欲する願望から
出てくるものである
それらは よさそうな教え 或いは願望であっても
自我欲へのささやきである
余計に自己を 自我を認識させてしまう
求道すること自体 動機不純から
出て来たものである
自分を立派な 真理にかなった人間にしようという
不純が かくれていて
そこに悪魔が しのびよって
人々にささやいているのである
立派な善人に ならねばならないのだと
そこで話を 他にかえよう
エジプト文明の太古にあっては
自己を仕立てる という事でなく
「手伝う」 「手助け」という事が すべてとなっている
そこには 自己がない
へプリ 即ちカブト虫 これをフンコロガシという
このへプリがフンを集め それを丸めて
後ろ足で それをころがしてで運ぶ
その丸いものを運ぶことを エジプト人は
太陽を運ぶと とらえている
即ちカブト虫が 太陽の日の出のヘルプを
するのだと とらえているのである
即ちヘルプ……手伝い 手助け
しかもその手伝いは 太陽を動かしている
宇宙の根源者である インドでいうブラフマンである
そのブラフマンのする仕事の 手助けをする
……ということである
我々人間は 人に対して親切とか手助けを
するが
宇宙の親である根源への ヘルプをしているで
あろうか
するとすれば自分の幸せを それに願うだけである
おお神よ と
そこにも その信仰にも動機不純がある
それをドルが女神は 知っていたのである
ここでインド文明と エジプト文明の同じ
性質のあることが わかるのである
インド文明のはじめに ヴェーダ時代という
ものがあった
その当時の人々は 太陽をおがむのでは
なく
太陽の出てくるのをヘルプするという 詩的な
心をもっていた
ウシャス女神の詩が それを証明している
ウシャス女神は 太陽の出て来る前の 東の空を
きよめ
その東天を 紅に染める
そして太陽よ来ませと 道をひらいて
案内する
その太陽の車の 先頭に立って
太陽を導き運ぶのである
エジプト文明にも それと同じことがある
太陽ラーの娘 マート女神である
マートは正義 真理 まっすぐなもの 秩序といわれ
太陽の舟を 導き入れる女神である
そのマートの意味である正義 真理 まっすぐなもの
秩序というのは 太陽即ち 生きとし生ける者たちの
親ともいうべき太陽の ヘルプをするという事である
これら ウシャス女神とマート女神は 親の心から離れず
親のヘルプをする それが真理というものであるという
知的世界でない 詩的世界を我々にのこしてくれた
尊い宝物である
2005.02.18.
| 2005年
| 20:54
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2005.02.05 Sat
第一段階は 詩神が現われて 思考のすべてを
とめられてしまう
第二段階は 落葉が現われ 価値と無価値を知る
第三段階は オリオン座の詩から 宇宙を動かしている
根源の詩の世界を知る
そして オリオン座を 朝になったら魔法の
小箱にしまい入れる根源の働きを知る
第四段階は 裸電球の例えから 子は親を忘れていた事を知る
そして 子は親の 「手伝い」をしてオリオン座を
動かすことを知る
ここから子の務め 「手伝い」が世に出てきた
第五段階は オリオン座をしまいこむ根源の働きから
東天を 紅に染める魔法の小箱へと移る
第六段階は 知の欲の世界から 詩の無欲と素朴の子として
果すべき仕事は 「手伝い」のみであるという
大事なただ一つの事をみつけ それに定着する
第七段階は 魔法の小箱をもつこの子は それを開け
東天を紅に染め 太陽を導き出し その一つ
の事で 満足しきる者となる
第八段階は インドのウシャス女神と エジプトのマート女神は
同じことである事を知る
フンコロガシの事も分った
2005.02.05.
| 2005年
| 13:07
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2005.02.05 Sat
太陽が 上って来た
太陽が 上って来た
私の つけておいた道を
太陽が 上って来た
太陽が 上って来た
私の つけておいた道を
こんな うれしい事はない
こんな うれしい事はない
太陽が 上がって来た
私の つけておいた道を!!!
こんなうれしい事は かつてなかった!!
太陽が 上がって来てくれたのだ
2005.02.05.
| 2005年
| 12:58
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2005.02.03 Thu
知の世界から やっと詩の世界へ
ぬける事が出来てきた
詩の世界という一つの世界だけが
真実な世界であることが 分ってきた
夜になると オリオン座を眺めて
それを 動かす手伝いをしだした
バカなような おろかなことのようだが
これしか 真実な行為のない事を知った
老子は 無為自然といって 自然にかえる事を
説いたが
自然にかえったら どのような事を行為すれば
よいのかが説かれていない
教えが 中途半端であるから
弟子の荘子が それをおぎなう為に
すべては 一つであるとか
すべては 運命であるとか言い出した
すべては 一つであるというような 哲学思考では
又しても 合理知の世界にひき戻されてしまう
最終的に何をすべきであると 誰も言わなかった
そして 無我とか 無欲とか 足るを知れとか
空とか 無とか
知のすべての道具を 並べたてた
しかし 真なる宇宙構造のあり方が
そこから現われては来なかった
自我を知れとか 故郷にかえれとか
これらも それらと同じたぐいの まやかしの
言語の羅列であった
人間には しなければならない一つの行為が
あるのである
それは 自己を高めることではなく
親のそばにいて 親の仕事を手伝うことである
宇宙根源の親なる者の そばにいる事で十分である
幸せはそこから やって来るのである
宇宙構造の外に出ると 時々刻々 安心の出来る
時がない
たとえ 百才まで生きたとしても
たとえ 百人の孫子に囲まれて死んだとしても
そのよろこびは つかの間のよろこびである
求めているものが 癒やされただけの事である
それこそ 無欲になれという教えが ぴったりくる
無我という教えも 薬となる
しかし その薬をのんで 無我無欲になった後は
何をすべきなのか
それがこの世に 説かれていない
即ち 子は親の手伝いをしなければならない
という事が
する事の分らぬ魂は それから常に
無欲無我という言葉に 追いまくられる
解脱という言語や やさしくあれ 親切で
あれという孔子の教えにも 追いまくられる
自己を仕立て上げねばならぬ という
これまでの教えに つきまとわれるのである
自由を失ったその魂は いづこに行くのだろうか
天国か 信仰する神の所か
そこで 何をするのか
そこへ 何の為にゆくのか
親と子の関わりから離れた魂は
永遠に 求め歩かねばならない
私は子の「手伝い」を知ってから 完全に
思考がとまってしまった
自己を 仕立て上げる為の思考が
不必要となったのである
私の手は上にあがり おどりはじめた
鳥でもうれしい時は おどりはじめる
親の手伝いをしてから 思考はとまった
そのよろこびは 踊りを創った
無価値なものをつかんだよろこびと
踊りであった
DNAが 昔のDNAへと回転しはじめた
太古の神学詩人へ 回転しはじめた
2005.02.03.
| 2005年
| 15:18
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2005.02.03 Thu
今までの歴史は 親の手伝いを忘れて
真理なる価値あるものを求めて
求道ばかりしてきた歴史であった
人はさまよいの道を 歩き続けてきた
のだった
何千年も……どれ程多くの人間が
その迷い道を たどって来た事か
デカルトは言った 迷っている者が
道を求めて 真理を 見つけ得れるであろうかと
我々のDNAは 横道にそれて よごれに
よごれきって 来たのである
アヒルでも 昔ながらのDNAをもっていると
いうのに
人は親のまねをしないで より価値あるもの
より幸せにしてくれるものへと
前進しつづけて 来たのである
人間のDNAは 救いようのない程に変形して
しまったのである
しかし今ここに その反転が来た
子は 親のまねをし 親と離れずに 親の手伝い
をすることが 真理であると知る事によって
私は星々を 動かす手伝いに満足して
毎日をおくった
それ以外に朝 太陽のあがる前に
東天をきよめ 東天を紅に染め
太陽の上ってくるのを 祝い
しかも その道を開き 太陽を先導してくるという
ウシャス女神を 見習っているのである
又 エジプトのマート女神のように 同じく
太陽の舟の前途を きよめつつ
太陽を 導いてくるのである
しかも私は 魔法の小箱から
絵筆をとり出して 小箱につまっている紅の
絵の具を
筆いっぱいにつけて
東天をそれで 紅にぬりつぶすその手伝いに
最上のよろこびを感じ
朝をむかえる
80才の年を積ねたこの2月3日に
それが出来るようになった
親なる神に 感謝で一杯だ
かつて 誰も気付かなかったエジプトと
インドの
この秘伝を こうして発掘する事が
出来たのである
2005.02.03.
| 2005年
| 12:56
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2005.02.01 Tue
欲望という心の動きからでは
真理に めぐり合う事は出来ない
絶対に
真理は 求める動きの中からは
見つけることが 出来ないのである
求めがなくなると
真理が見えてくる
人々の思考は ほとんど求めより
おきてくる
その思考からは 間違いしか手に入ら
ない
ある日 その男に詩神が現れた
詩神はその男に 思考を止めよと
いった
そしてお前の考えている事は すべて
間違っている
思考を止めよ と再び言った
だが その思考を止めるのに
どうすればよいかと 又思考して
しまう
思考はなかなか やまらなかった
ところが 東天を紅に染める手伝いを
はじめた事によって 思考が見事
止まってしまった
小箱と 紅の筆と その手伝いの
お陰であった
幻想という魔法の小箱のお陰で――
この「秘伝」を知った者は
ウシャス女神の詩をつくったリグヴェーダの
詩人以外には
かつて無かったであろう
この「秘伝」を知ったこの男は
合理から 詩の世界へ何なく入れ
神話の世界まで直行して 入ることが
出来た
彼は 宇宙の間近に住まう人となった
のである
……そうしたある日
又しても 彼に幸運がめぐって来た
それは 夕焼けの女神を見る事が
出来たのである
そこで 黄金の音声の波動と 黄金の
色彩の波動以外に 黄金の
香りの波動を 見つける事が
出来た
そして この三つこそが 宇宙の根源――
宇宙意志 人々が求めている真理その
ものである
真理はこうした心を 内在した
かつて 知り得たことのない物質で
あった
科学者も いつかこれを発見する
であろう
しかし 自我を持たない科学者
に限る
2005.02.01.
| 2005年
| 20:29
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