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最高の調べ

親と子の関係の中にある調べ

子が親のそばにいて 幸せを感じる調べ

子も親も共に 最高の調べの中にいる


それは親と子が 離れた所にいた時

はじめて分る

子が親の手伝いをする

そして よろこび やすらぎを得ている

この調べを 知的に説明できるであろうか


口や言葉で 説明は出来ないが

即ち否 否 否であるが

味わい知る事が出来る 出来事がある


それが 親と子の関係においてである

説明は出来ないがたしかに 感じとれている

ものである

だからこれを 「分けも分らぬ調べ」と

いうのである


人には それ以外のものはいらない

その調べこそ自分である


その調べが 羽毛となるのである

マート女神が正義 秩序 真理 まっすぐなるもの

といわれるのは その故である


死の審判において その羽毛の軽さを

持っているか どうかが

計られるのである

エジプトの太古の人々は この真実なる

調べを知る人々であった


その羽毛とは 何を意味しているのか

その神秘な謎が 

人類の世界から 消え去ってしまったのである


今こそそれを 復活しなければ

7、8千年間の 人間の闇の世を

光に包むことは 出来ないのである


羽の詩のはばたきを 忘れたが故に

知という悪魔の 餌食となっているのである

それを救うのは この「わけも分らぬ調べ」

である

それ以外にないのである


これまでに 多くの聖賢が現われたが

この調べをみつけるまでには 至らなかった


2005.05.10.
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| 2005年 | 00:38 | TOP↑

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わけも分らぬ調べ

最後にゆきついた所が

「わけも分らぬ調べ」 というものであった


ところが それに意識を集めると

音もないような 静かなはばたきをはじめる


又 動作が 音のない動作となる

無風のはばたきともいえる

手足の動作もそうなる

その調べによって!


音も動もない音と動になる

歌もそのようになる

音のない不動となる

これは神の声に 似た波動だ!!


2005.05.05.

| 2005年 | 22:05 | TOP↑

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なぜ わけも分らぬ調べがよいのか分った

さて この「わけも分らぬ調べ」 という言葉が

最後に見つけた言葉だが

その言葉を 心の中でとなえると

両手が浮いて羽毛のように 動きはじめる


しかしこの言葉が なぜこういうことを起こすのか

それについて今 分った


それは インド哲学のように

否 否 否……ブラフマンは 知では分らぬ 分らぬ

人間の知を こえたものであるというが

この言葉は 合理的な 知的な言葉であるが故に

ブラフマンを 掴むことが出来ない


なぜなら知で知を おいやろうとしているからである

哲学は 知の産物であり 答えであった


ところが 私のみつけたものは 知ではなく

「調べ」である

すると 調べによって 知がおいやられる

そして 調べになってしまう


調べは 波動的なものだから

これによって知が 体から解放される

そして 調べそのものの世界に入る


そして両手が 波動そのものとなるのである

両手が浮いて 踊りはじめる


今まで知という悪魔に 束縛されつくしていた

全身が軽々と 羽毛のように浮いてくるのである


その「わけも分らぬ調べ」とは

親と子の関係である


2005.05.05.

| 2005年 | 00:32 | TOP↑

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一番かしこい方法は

すべてを捨てて

親のそばに居る事が

一番かしこい道である


素朴と 浄福と 礼拝が

そこからくる

欲の消えたところから それが

くるのである


成る事や 成らねばならぬ事を

考えるのが 

やはり自己を 仕立て上げねばという

一つの欲である


今までの哲学は やはり自己を

まとめ 何か立派な自己になる為の

思考のあがきであった


別に 立派になろうが なるまいが

光ろうが 光らなくても

親のそばにいて 

親の手伝いをするだけでいい


それが 一番よい道である

たとえ貧乏でも ゆたかな人生をおくれる

至福にみちた人生は そこからくる


一番いいその方法から 一歩も

よそ見をするな

至福の調べは 人生の法である


2005.05.01.

| 2005年 | 22:02 | TOP↑

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