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2005年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年06月

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生命の躍動するモーターへ



現在時間(矢印)が進行出来るのは
前に開きの時間(コイル状の曲線)があるからである
開きの時間は未来時間の特徴である

未来時間に呑み込まれて現在時間は進行する

現在時間の矢印の現れる以前に
未来時間という宇宙が始まる以前からあったもの
この無限なる未来時間が この矢印を創ったのである

無限なる無時間なる未来時間そのものが
人を宇宙の流れに乗せる

曲線の未来時間がブラフマンであれば 
矢印がアートマンである
コイル状の構図は宇宙意志であり そこには開きがある

そこにその二つの関係の中に自己を見つけることができる
二つとも自分なのである
そしてそれは同時に進行している

この図形はモーターを動かすコイルの構造である

円形は巻いている銅線であり
そこに棒を入れると N極とS極が生まれ
コイルとなりる
これによってモーターができる

これが生命のモーターである
生命の物理学であり 人間は時間というもののモーターなのだ
これで永遠の生命の回転の瞬間の中に
人は参入する

自己が自己を呑み込んで震えて来る
永遠の生命の躍動がここにある


2005.05.17.
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| 2005年 | 16:16 | TOP↑

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最高の調べ

親と子の関係の中にある調べ
子が親のそばにいて 幸せを感じる調べ
子も親も共に 最高の調べの中にいる

それは親と子が離れた所にいた時 始めて分かる
子が親の手伝いをする
そして歓び 安らぎを得ている
この調べを知的に説明できるであろうか

口や言葉で説明は出来ないが 即ち否 否 否であるが
味わい知る事が出来る出来事がある
それが 親と子の関係においてである
説明は出来ないがたしかに 感じとれているものである
だからこれを「訳も分らぬ調べ」というのである

人には それ以外のものはいらない
その調べこそ自分である
その調べが羽毛となるのである
マート女神が正義 秩序 真理 真直ぐなるもの
といわれるのはその故である

死の審判において その羽毛の軽さを持っているかどうかが
計られるのである
エジプトの太古の人々はこの真実なる調べを知る人々であった

その羽毛とは何を意味しているのか
その神秘な謎が人類の世界から 消え去ってしまったのである

今こそそれを 復活しなければ7、8千年間の人間の闇の世を
光に包むことは 出来ないのである

羽の詩の羽ばたきを忘れたが故に
知という悪魔の餌食となっているのである
それを救うのは この「訳も分らぬ調べ」である
それ以外にないのである

これまでに多くの聖賢が現われたが
この調べを見つけるまでには至らなかった

2005.05.10.

| 2005年 | 00:38 | TOP↑

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わけも分らぬ調べ

最後にゆきついた所が
「訳も分らぬ調べ」というものであった

ところが それに意識を集めると
音もないような 静かな羽ばたきを始める

又 動作が音のない動作となる
無風の羽ばたきともいえる
手足の動作もそうなる
その調べによって!

音も動もない音と動になる
歌もそのようになる
音のない不動となる
これは神の声に似た波動だ‼

2005.05.05.

| 2005年 | 22:05 | TOP↑

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なぜ わけも分らぬ調べがよいのか分った

さてこの「訳も分らぬ調べ」という言葉が
最後に見つけた言葉だが その言葉を心の中でとなえると
両手が浮いて羽毛のように動き始める
しかしこの言葉が なぜこういうことを起こすのか
それについて今 分った

それは インド哲学のように否 否 否……ブラフマンは
知では分らぬ 分らぬ 人間の知を越えたものであるというが
この言葉は合理的な 知的な言葉であるが故に
ブラフマンを掴むことが出来ない

なぜなら知で知を追いやろうとしているからである
哲学は知の産物であり 答えであった

ところが私の見つけたものは 知ではなく「調べ」である
すると調べによって知が追いやられる
そして調べになってしまう

調べは波動的なものだから これによって知が
体から解放される
そして 調べそのものの世界に入る
そして両手が 波動そのものとなるのである
両手が浮いて踊り始める

今まで知という悪魔に束縛されつくしていた
全身が軽々と 羽毛のように浮いてくるのである
その「訳も分らぬ調べ」とは親と子の関係である

2005.05.05.

| 2005年 | 00:32 | TOP↑

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一番かしこい方法は

全てを捨てて 親のそばに居る事が
一番かしこい道である

素朴と 浄福と 礼拝がそこから来る
欲の消えたところから それが来るのである

成る事や 成らねばならぬ事を考えるのが 
やはり自己を仕立て上げねばという
一つの欲である

今までの哲学は やはり自己をまとめ 
何か立派な自己になる為の
思考のあがきであった

別に立派になろうが なるまいが
光ろうが 光らなくても
親のそばにいて 
親の手伝いをするだけでいい

それが一番よい道である
たとえ貧乏でも 豊かな人生を送れる
至福に満ちた人生は そこから来る

一番いいその方法から 一歩も
よそ見をするな
至福の調べは 人生の法である

2005.05.01.

| 2005年 | 22:02 | TOP↑

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