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2006年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2006年11月

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水文明と香り

水文明の方程式が 現われた

1-1=0 或いは 1´-1´=1である

0=1


この1-1とは 自己を消すと0となる

手伝うこと 下僕となる事である


何に下僕となるのか

それは 天の下僕となるのである 

それが1-1=0である


すると0=1と言う事は 0になると

はじめて1となる

即ち 本当の自己となるのである

水文明とは この事である


本当の自己をつくるのには

自己を何者かに 捧げねばならない

それが天への手伝いである

水文明とは これである


すると人は黄金の香りそのものと

なってくる


0=1は無我である

成ることを欲する者は

0にも1にもなれないで

知識だけの人生で 終ってしまう


花は 咲かねばならない

人も 人にならねばならない

しかし 成ろうとすると成らない


0になり1になって 黄金の香り波に

自己を捧げねばならない

そこにとけてゆくと そのものになる


ここではじめて 命そのものが出てくる

誕生である

お祭り おどり 命の躍動が

おきてくる


相対を消して 自己の中にとどまれ

ギリシャの神 それへの信仰は

静かであった 燃えてはいなかった

ああしてくれ こうしてくれと 燃えて

いなかった


静かに神の前にひざまずいて

聖なる神のみ姿 形相を仰ぎ見る

だけであった

そこで自己を 消すのである


日本庭園や茶の湯には

それがある

はでやかで 燃える世界に

入ってゆかない


花はどのように生けるのですか

それに対して

「野にあるように生ける」と答えが

返って来た


ここに日本がある

ここに日本人がある

日本人は大昔から 流れ伝わって来ている

精神に帰らねばならない

そこにこそ 自由がある


本当の自由をもった日本人に帰らねば

ならない

自然は 眼の前にあるのではない

自然は 自己の内にあるのである


老子は 自然に帰れと説いた

神も仏も そこにはなかった

天だけがそこにあった

そして 天は我が内にあった


野にある花は 我が内にあった

夕焼けの女神はただ つっ立っただけであった

それが 詩そのものであった

香りそのものであった


2006.10.17.
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| 2006年 | 21:22 | TOP↑

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水の文明

人は今日まで 約1万年

欲する世界に住んできた

知識も その内の一つである


金のスプーンと 銀のスプーンの

どちらがいいか 

欲しい物を取れと言ったら

金のスプーンを取った

という具合である

便利なもの 価値あるものを

取った


そういう欲の世界に住んでいた

知識欲も その内の一つである

いろんな事を知って 偉い賢いと思っている


ところが インドのラーマ・クリシュナは

味わうことの世界を説いた

日本の茶道も 味わう事を教える

これは相当 高級部類に属する


貧乏をも 不自由をも味わって

生きる人は 天国に近い所に

住んでいる人である


欲を持たない素朴な人も 天国の

近くに住む人である


光を欲する人は 光を失う

天国を欲する人は 天国を失う

真理を欲する人は 真理を失う


今日までの文明は 火の文明だとも

いえる

しかし火は 表面的なもので

火の古里は 水である


静かな水 一滴の露

小さなせせらぎ

それを味わう人は 幸せを得る


味わいは 幻想の世界の

入国手形のようなものである


幻想の世界は 現物の世界でなく

夢を描く世界で

宇宙より大きい世界でも 夢を

描ける


ところが人は 幻想とか 夢は

腹の足しにもならない くだらない

ものと思いがちである

ところがそうではない

幻想こそ 我が命である


静かさの中に 我が命の巾を

ひろげ

豊かさをひろげ

静かなよろこびにひたる


日本の茶道のように 

イギリスにも茶の道があって

茶を口の中で かみしめて

宇宙を味わう


フランスでも 河にブドウ酒を

流して 宇宙を味わう


満月に手を合わせて拝む

人々もいる

そういう詩の世界 神話の世界

こそが 

我が世界である


燃える はでやかな事ばかりを

欲しないで

つつましく 静かな春のそよ風に

身をひたすよろこび


その喜びの顔を つくる事である

求めていると その顔が出てこない

求めは何か 相対的にあるものを

欲する


これを 相対人間 相対文明の中に

住む人という


そういう人は 永遠の幸せを

得る事は出来ない

他者との間で悩み やさしさを求め

一生求め通して 迷いの魂で終わって

しまう


ラーマクリシュナの偉いところは

目標を 持たなかったところにある

成らねばならぬ何ものも 持たなかった

自分の内にあるよきものを 味わった


彼は成ることを教えた人ではなく

味わうことを 教えた人である

その味わうから あのほほみの顔が

出来てくるのである


ラーマクリシュナの讃歌の詩の歌を

歌っていると

ラーマクリシュナの あのほほえみは

どこから出てくるのかと

歌ったものである


私の求めて来たものは そこにあった事が

分かる

では果して そのほほえみはどこから

出てくるのか

それを見つけるのに 約50年程かけてきた


2006.10.12.

| 2006年 | 21:55 | TOP↑

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はすかいの方程式が生まれた

はすかいを分母とし

自己なるはすかいを分子とする

これは 吸い込まれる方程式であるし

宇宙の秘密の鍵を あける方程式でもある


この方程式で 宇宙に入り

自己なる我を消し

更に三宝の 通しの中を通るのだ

黄金の波動で出来た

三宝の通しは 聖なる命を

つくってくれる


誕生だ 新たなる聖なる命の

誕生だ

斜めの角度は

自己も他者も 消してくれる角度だ


涙が 涙が出てくる

清く 静かで おだやかなるものの

誕生だ

ドルガ女神とラーマクリシュナの恩恵である


はすかいは 真実なるものをつくる創造の

角度である


2006.10.10. 

| 2006年 | 19:41 | TOP↑

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10月10日の双十節のよき日に

人間を相手にしている間は

人間を消すことが出来ない

天の手伝いをせよ

その手伝いから 道が開けてくる

天は広い 心をそこに向けよ


天に手伝うことは 幻想の

軽やかなるものとなる

人間からもぬけられる

天に手伝う事は 現象界からぬけて

頭が軽くなる


手伝いは ゆだねでもある

ゆりかごが そこにある

天からの歌声が そこにある

ほほえみが 静かなほほえみが


そのほほ笑みの手伝いの中に 入ってゆけ

斜めになって 入ってゆけ

斜めは 宇宙の角度

斜めは 自己なる人間の角度

その角度の中へ 入ってゆけ

吸い込まれるのだ


斜め/斜め という方程式が

そこに見付かる


2006.10.10.

| 2006年 | 19:34 | TOP↑

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