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幻想の世界に生きていた太古の人

幻想の世界は 時間の中にない

幻想の世界は 波動の世界であり

響は波動をつくる


響の世界は 幻想をつくる


「甘え」という響は

幻想という時間をこえた世界に入り 

神通力の世界をもつくる


現在の人々は       

記号的な言語に落ちる

これによって時間の中に入ってしまい

響を失ったのである

そのため現実的になり 幻想を失い

現実の不自由の世界に住まわざるを

えなくなってしまった


太古の人々は

響の中に住んでいて

その響が後に 言語として現われた

それがサンスクリットである


甘えは幻想をいざない 

無時間で自由な世界

神話の世界をつくりだす


「甘え」は響そのものであり

幻想の中に 

人を住まわせて来たのである

これは時間を越えている


その「甘え」とは何なのか

単なる甘えとか やさしさは響をもたない

又単なる響は 単なる響であって

「甘え」を基にもっていない


例えば響ある言語と 響をもたない現代人の言語

との違いである

現代人は 響をもたない言語を

使っている

これは時間をつくり 時間の中にあって

人は生きている


だから時空を越えた世界 いわゆる「神通力の世界」に

いないという事である


オチャメと甘えは 同じものであった

自己の知力を溶かす蜜のようなものである


神通力というのは

時空のない世界の事である

しかもそれは 幻想力の世界であり

その幻想力も 単なる幻想でなく 

時空を越えた「甘え」から

出されてくる響の幻想である
 

これが自由の世界(神通力)に

住まう人(太古の人)をつくるのである


一口でいえば現代人は 時空の中にいるが

太古の人は時空をもたず 

「甘え」を基にもち

その響を空想力 幻想力としていた


すると神通力は 信仰によって神の恩恵を得て

出ていたが 

神への信仰なくても 出てくるという事である


太古の人には 神も 信仰も 言語も 

時間もなかった

すべてが幻想の 夢の 詩の世界であり 

神話の人間だった


2003.11.05.
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| 2003年 | 20:20 | TOP↑

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甘えると浄福に満たされる

相対事物は

甘えさせてもらえる相手であるから

浄福にみたされる


浄福がくるから

礼拝がおきる

甘えから 頭がやわらかくなり

素朴になる


素朴になると オチャメになる

やさしさも来る


甘えが やさしさを創る 

やさしさは 甘えからでてくる

オチャメも 羽毛の舞の軽やかさも

甘えからくる


花が咲いて 自らそれを楽しみ

よろこび 浄福にひたれる

姿は甘えにある


花は甘えているのに

人は甘えずに 苦をもっている

浄福を忘れたのである


星もきらめいている

宇宙は 自ら花をさかせ

それを楽しんでいる

甘えのひとしずくである


そしてそれは浄福に

かがやいている


2003.10.30.

| 2003年 | 20:56 | TOP↑

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ドルガに

おお ドルガよ

おお ドルガよ


涙が 涙が

ふき出て来ます


おお ドルガよ

おお ドルガよ

涙が 涙が

ふき出て来ます


甘えるという事の

秘密を知ったので

急に 涙が

ふき出てきました


甘えなければ

星もきらめく事は出来ない


太陽も昇ってくるのは

甘えているからである


2003.10.30.

| 2003年 | 11:32 | TOP↑

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「甘える」ことのひらめき

知的になると 時間の世界に入る

知を取ると 時間を超えた世界に入る

それが オチャメ踊りの儀式となる


そしてオチャメという儀式から

「羽毛」に意識を移してみた

すると食事中ずっと体がゆれていた

そこでこれは 脈拍なのであると感じた


オチャメには

羽毛のような軽やかな動きがあり

それが生きてある事がわかり

それが現に形となって 動きをとり始めた


それは存在生命のもつ脈拍であり

その生命は

オチャメで しかも羽毛のような軽やかで

自由をもっている事が分った


オチャメと羽毛 そして脈拍を持つもの……

という事まで判明してきて

しかもそれは時間の外にあるものだ

という事である


それが魔法使いになれる秘訣かも知れない


脈拍を感じ 足のかかとから

上にゆれてくるのを感じていると

「甘える」というものが閃いてきた 


となるとオチャメも 

「甘える」ことかも知れない

「羽毛の舞」もそうかも知れない

「謎にみちている宇宙」も

「躍動」も 「白紙の舞」も……


2003.10.29.

| 2003年 | 11:31 | TOP↑

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時間を止めた行為の現われ方

時間は思考によって出来ている

これが分った時

思考を止めた 

つまり時間を止めたのである


すると そこに人がいない時

それはオチャメ踊りの儀式として

飛び出て来た


そこに人がいた時には

「やさしさ」となって現われた


儀式がやさしい行為と 言葉となって

出て来ることが分った


この二種類の現われ方があることに

気付かされた


2003.12.24.

| 2003年 | 11:27 | TOP↑

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思考は時間をつくる

霊感を得ようとすることは 間違いである

なぜならそれは頭での世界 つまり思考に入る

ことであるからだ 

それでは時間を超えられない


思考を止めると

オチャメ踊りがふき出てくる

それは頭の世界でないので 

時間を超えた世界である


時間を超えたものが

儀式として やって来る


時間は 思考の世界にいると出来てくる 

その思考から行為の世界 踊りの世界に入ると 

時間を超え 

時間から抜け出せているのだ


時間は思考の産物である

時間を抜けて

開けた天地の世界に入れ


以前 神から「天地を開け」という啓示を

受けたが 

これがその答えであったのだ


2003.12.24.

| 2003年 | 11:25 | TOP↑

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オチャメ踊りは人を助ける

いろんな事があって

心が乱れる事があるのをしずめるのに

右の手(自分)左の手(宇宙)の実在を

オチャメ踊りでぶつけて音を出す 

その踊りをすると 何もかも忘れて

それに成れる


オチャメ踊り――右の手の平を人間(自己)とし

左の手の平を宇宙実在として 

その二つを踊らせるのである


何もかもを忘れて 自分の実在と宇宙の実在という

二つの存在を 左右手の衝突の中で

それによって意識を停止させ

思考を止めて 踊りに変えるのである


宇宙のすべての物は

オチャメ踊りをしている

踊れ

オチャメ踊りを


思考の世界から 詩の世界

神話の世界に入る

理性 理知 その世界に

入るな


踊れ 両手を打って踊れ

実在と実在の触れ合いの中で


オチャメ踊りは 人を助ける


2003.10.06.

| 2003年 | 22:14 | TOP↑

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血の通っていない人間像

血の通っている人間像――

人間くさい人間という意味


知情意を抜けていない人は 血がまだ体内に

残っている……

ということは いくら世の中から

離れても 

世の中というものがあり

俗人の思考の域を出ていない


血のある人間というのは

どこまでも知情意の いずれかが残っており

この宇宙という実在の中に

実在として人間(私)があるのである


それは時間 エネルギー 距離 そして自然から

縁が切れていないという事である


我々はこの時間 エネルギー 距離 自然と

いうものを意識しているし 

その中で生きているという事は 

それらを持っている――という事であり

そういう血を持っている人間である

という事である

それから抜けねばならないのである


血の通っていない人というのは

どんな人なのか………

それは宇宙と人間という実存を

蹴落とした人である――と分って来た 

その者には 時間 エネルギー 距離 自然もない


すると今までの哲理も 真理も 文化も 宗教のような

ものもすべて血の通っている人間が

つくったものである 


だから社会や世界が 人間の苦の対象と

なっているのである 

即ちそれらは 生きている人間がつくったものである

といえよう


生きてある人間は 生があり 様々な心配があり

自己があり 自然があり 宇宙がある

そういう現象世界の中に 我々が生きていた

即ち欲のある人間社会をつくり

何とか平和に生きる方法を

考えていたのである


しかしはたして これで人間世界は

まともになったといえるのか

血を抜く事 自己の血を抜く事が

必要である


自己の血を抜くとは 宇宙存在と

人間存在という実在を消し去る事である


実在が在る以上 血の通った生きてある欲と

破壊 創造 保持という三つの動きのとりこから

抜け出せない

その実在の罠の中にいる限り 人間は

苦しむのである


実在そのものを消し去るのである

それが自己という破壊 創造 保持という

乱れを起こす原因から 

抜けさることなのである


2003.10.09.

| 2003年 | 21:57 | TOP↑

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オチャメ踊りの謎が解けた

手拍子をうつのも オチャメ踊りも

宇宙創造の踊りだ

そのたびに 物がつくられているのだ


躍動すると物がつくられ 存在の保持が

なされる


手拍子をうって オチャメ踊りをせよ

木も 石も 花もそれをしているのだ


そして人と人が

右と左の手をうって 手拍子をうって

オチャメ踊りをするのだ 

これ以外にないのだ


ついにオチャメ踊りの謎が解けた


左手は無であり 右手は有である有

詩の自己呼吸は 手拍子となる


オチャメ踊りはそれだ

詩こそブラフマンの実態だ


左右の翼のはばたきも

この宇宙創造の自己呼吸に

他ならなかったのだ


2004.04.26.

| 2004年 | 16:14 | TOP↑

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創造者なる詩の呼吸

詩とは自ら生きてあるもの

しかもそれは 中性である

中性は踊る

呼吸もそれだ


汝等も創造者である

別に宇宙を創る創造者という

事ではない

自己を創る創造者である


人は全てを断念する事によって

詩の本性を知るに至る

すると物質宇宙が

無用のものとなるのである


我々は どう自己実現せねばならぬという

ところから

野心とか求道とかがやってくる

例えば統一を考える

……等々である

何とか自己をまとめようとする


その自己というものも断念した時

詩があらわれ それとなる

つまりブラフマンとは 詩そのものの

ことだったのである


それから 分って来たのは

ブラフマンは詩であること

そしてその詩は 呼吸し

生きてあるものであるという事である


詩とは自らが 生きてあるものであったのだ

それが分った

それは全てから独立しているものであり

宇宙にはそれ以外に 何もないのだ


それが分ると求めるものが

何もなくなるのである


そしてその呼吸に 非平衡系がある

それによって 躍動 興奮がおき

力とエネルギー

その他が創造されてくるのだ


それは半導体的なものであるとも

言える

そこから創造がおきて

運動 踊りもおきているのだ


自らが創造者たれ

宇宙そのものの創造者たれ


2004.04.23.

| 2004年 | 16:12 | TOP↑

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