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2018年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年08月

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魂の自由への進軍

軽やかなるもの よろこばしきもの

黄金の音 色彩 香り波に

みちあふれている この宇宙存在


躍動せざるを得ない自己存在

そのよろこびの舞をもって

世界を平和に塗りつぶそう


前進 前進 正義の進軍

おお 高貴なるものたちよ


人も 空気も 時間も 

水 太陽 鉱物たちも

すべての進軍だ

魂の自由と 平和に向かって


香りが人間の原始の言語である

ことを忘れるな

黄金の音声と 黄金の色彩に輝く自己存在を

忘れるな

おお気高きものたち


2006.03.20.
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| 2006年 | 15:17 | TOP↑

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進軍ラッパは吹かれたり

黄金のひびきをもった声

黄金のひびきをもった色彩の輝き

黄金の香りをただよわす全身

それが宇宙であり 人間である


自然のすべては その三つの宝によって

成り立っている 

そのよろこばしきもの 軽やかなるもの 


三つの宝 それを

正義 真理 まっすぐなるものという


宇宙はその展開であり

進軍である


三つの宝の進軍ラッパは 吹かれたり

雄々しく 美わしく進め!!


2006.03.19.

| 2006年 | 14:18 | TOP↑

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日本庭園は日本の人類的誇り

今までの宗教 説教は 頭の世界

感覚の世界であり

細胞は宇宙的 宇宙は物理的世界である

宇宙には整然とした秩序が

整っている


日本庭園も一つの宇宙といえる

庭石一つ一つとっても

置くべき位置があるのである


石には説教も 愛や親切もないが

正しい位置に置けば

その庭は宇宙的に整うのだ


人間も日本庭園の石のように

置くべき位置に自分を置いたら 

整って来る


石は置かれた位置で 黙々とおる

ものを言わないで しかるべき位置に自分を

置くことが肝心である


これはいわば物理である

そこに日本庭園の良さがある

宗教の世界と全然ちがう 

頭の世界 心や精神の世界とはちがう

物理の世界である


位置というのは角度でできている

細胞の角度がちがっていては

人間も 正常に働かない


細胞は宇宙的だが 時に思考は

人間を危うくさせる

そのような意味で 人も

日本庭園の石になるべきである


整然と並ぶ庭石に

ちがう配置の石を たったひとつ置いただけで

その秩序は 破れてしまう

破つ石を破石という

破石になってはいけない


人は自由を欲するが

自分勝手な事をするのを破石という 


自由と不自由とは同じこと 自由の反対が不自由

両方とも良くない

自由というのは欲望を満たすためばかりの

言葉になっている


自由も欲しない 不自由も欲しない

それがカルマヨーガである


自由を欲したら破石になる

置かれる位置に自分が置かれたら

自由も不自由も感じない


ピュアーな構造には カルマヨーガがある

そこには角度がある

角度が自分をこしらえる基である

角度が自分たちの母胎なのだ


ピュアーは 角度で出来ているの

その角度の芸術が 日本庭園ともいえる

日本庭園には 

石が水ももらさぬように置かれている

これが日本庭園のすばらしさなのである 


1982.02.11.

| 1982年 | 22:29 | TOP↑

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受けのない詩と神話の世界

受けのない世界 

この発見で すべてが終った

思考がとまった


受けのない世界こそ詩であり

神話である

この受けのない世界が オチャメと幻想力の

翼の上下運動を運ぶ

その上下運動こそが オチャメであり

幻想力である

かつ又 二つを合わせたものである


距離も点も すべて受けのない

世界であった

太古の人々はこの受けのない人々であった

故に詩人だったと言われるのである


受けのない世界がこの現世であり かつ

現世以前の世界であった


人はまちがって受けをもち

すべてをあやまちの中に

引き込んでしまった


私は受けのない そよ風そのもの

そよ風が私だ

人のほほをそっとなぜて通る


受けのないもの そよ風が私だ

そこには思考がなかった


2004.02.06.

| 2004年 | 20:02 | TOP↑

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ゆれ

ゆれ動いている事は 

意識も動いている事であり

瞬発力がそこにある 


それで体をゆさぶっていると

オチャメという意識も 出て来る

「やさしさ」という行為が

すぐ出来てくる



動きを止めると 意識まで止まり

行為も 遅れてのびのびとなる

その為 やさしさが今 出ないままで

硬い自己で終ってしまうのである


だからいつも 体をゆさぶっている事が

肝腎である

これも一つの儀式だ

儀式なくして神話はない


神話には儀式がともない 

創造力も 幻想力も

そのゆれをとめると 止まってしまう


点とは いつもゆれ動いているもの

である

また点とは ゼロではない仮の現われとしての

オチャメのゆれをもっている

それが点である


線の世界にいると 意識がゆれを失っている

それは動くその点にいないからだ

響とは そのゆれの事かも知れない


オチャメはゆれそのもの

創造と幻想そのもの


体を少し ゆり動かせておけ

それがオチャメ踊りの

消えない灯である


ゆれは 儀式である

ゆれは 詩と神話の儀式である

ゆれは 点である

ゆれは 詩である 神話である


点はいつもゆれ動き 燃えている

ゆれは 人間の一万年の凍りついた魂を

溶すものである


点は 暖かいものの根源である

点はそのゆれを引き出す

ゆれは 宇宙のすべてである

宇宙は常に ゆれている

人間だけがゆれを忘れて 凍りついている


現代人は点に 帰らねばならぬ事を

ゆれねばならぬ事を 見つける事が出来なかった

南太平洋の住民達はいつも体を

ゆり動かしていた

一万年前の太古の人間がそこにあった


彼らは 生れながらの詩人であった

神話そのもの 点そのもの

宇宙そのものであった


「ゆれ」こそ永遠の儀式である

それを継承する者となれ


2003.11.29.

| 2003年 | 21:01 | TOP↑

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点の幻想力

点はオチャメの踊りであり

宇宙意志がそこに含まれている


そのオチャメ踊りの中から

幻想力がつくられ

その幻想で 他界の音と映像を

つくる事が出来る


宇宙のすべての存在は

オチャメ踊りという詩をもっている


詩とはオチャメ踊りを 内蔵したものである

神話はその詩が儀式化された

ものである


太古の人はいつも詩と神話その

ものであった

現代人は時間と距離の中に

いるが故に

点を 詩を 神話を その本性を

忘れてしまったのである


太古人はオチャメ踊りの

もえる炎であった


現代人は 点を追い出し

その炎を消してしまった


即ち幻想力を

失ってしまったのである

だから幻想力で見える映像も

音も聞く事が出来ないのである


ただ 時間と距離の中にある映像を

見ることが出来

音を聞く事が出来る人間になって

しまったのである


幻想力は 時空を超えた世界の

映像と音をつくる事が出来るのだ


2003.11.24.

| 2003年 | 23:15 | TOP↑

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