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2018年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年09月

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お手上げは原始の言語である

お手上げは 原始の言語

即ち神話


神話とは両手を上げて

知恵の世界から 肉体の真理の世界

即ち無知の踊りの世界に

突入する


これが神聖という真理の

入口に入った時の言語なのだ

両手を上げる事は

原始の真理の踊りの形である


無知の深淵は このような

言語をもっていた


踊りの元型は お手上げである

無心の踊りがあった

それは 無ではない

無を感じとることではない


踊り それはオチャメの踊り

宇宙はオチャメの踊りであった

中性子……点である


2004.02.03.
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| 2004年 | 22:20 | TOP↑

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無心の勝利に手が上る

無心の踊りは

進化と存在の骨子である

無心 無知を意識すると

手が上ってくる

それは神聖なる門に入る

姿であり

同時に知を投げすてて 無心になった姿である


手が自然に顔の高さまで

二つ共上がる

俗に人々が「お手上げ」という事を

言うではないか

又降参する時も 両手を上にあげる

ではないか


これは 自力が無くなった 限界であると

自力を捨てた時に 両手を上げて無力

無心 無抵抗となる

そのように 無心無知といったような

知力 知恵 思考に限界ができて

手を上げる事である


そのように 人は両手を上げて

万歳をするのである

万歳とはこんな勝利の時をいう

即ち神聖なる門に立った時の

事である


無心を意識して 無心になれて

無心に入った時

人は神聖への門に立つのである

その時人は 両手を上げた姿勢をとる


また様々な舞踊でも

両の手が高く 眼の高さまで

あがるのである

それが踊りの元型である

完成の印である

自然に人は確かなるものを

すでにもっていたのである


2004.01.18.

| 2004年 | 22:19 | TOP↑

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中庸を解き明かす円とメビウス

宇宙とは何か

宇宙とは存在するものである

その存在するものとは何か

それは無か 有か

それは 無でもなければ 有でもない

ものである


そういう存在するものがある

それは 中性子のような存在である

有でもなければ無でもないもの

それが中性子である


宇宙の初めに何があったかを尋ねるのは

愚である

宇宙には初めがない

宇宙とは存在してあるものの事である

宇宙は在るから それを尋ねるのである


それは問題提起を引きおこすのだ

在る者同志が 向い合っているのである

宇宙は 向い合っているのではない

人間の心が向い合っているのである

そして宇宙とは何かと

今まで問いつめて来たのだ

そのように人間は 無駄な長い時間を費やして

来たのである


しかし対象物を調べるより

自己自身を調べた方が賢いのでは

ないか

では自分自身とは何か それは存在物である

では 宇宙も人間も含めて存在とは何かを

尋ねた方が賢い


さて存在とは何か

存在するものは 時間の上にのっかっている

存在するものは 距離の上にのっかっている

では時間とは何か 距離とは何か

それらも在るものである

となると在るものは

何を根拠としているか


それは点を根拠としている

では 点とは何か

点というものはあるのか

いや点とは 在るのに無いのである

線と同じだ


それらは無から現われたのか

いや 無から何も生れてこない

これはヘーゲルも言った通りである


シェリングは 有は無から生まれた

と説いて

ヘーゲルに批判された

しかし老子も同じように 無から有が

生れたと言っている


もしかすると 無も有もないのかも知れない

あるのはただ存在というものが在るだけ

なのかも知れない

雲の上に浮いているようなものだ

在るかと思っても 姿が変わる

これは有の内には入らない


変るものは変るものであって 有ではない

では変るその存在物は何なのか

それは雲のように浮いている何かのような

ものである


有でも無でもないもの

しかもそれが 巡環していて永遠である

その永遠なるものをメビウスで見てみよう

円で見てみよう


それらには端がない

端のあるものは

有とか無の部類に入る


しかし メビウスの図式を見てみよう

そこに一つの交差する点がある

円を見てみよう 直径と円周の交差する

所がある

交差する所もあるし 距離のある直径と

距離のないものの同居がある


これは一つの遊戯であり オチャメの遊びである

存在物はすべてこんなオチャメの

遊びを内在しているのか

それとも 遊戯そのものか

オチャメそのものか


有でもなく無でもなく オチャメ

そんなものが 存在というものかも知れない


存在は中性子を骨子として 

存在しているのであると

言えるかも知れない


すると存在は 進化するものであり

進化の骨子に中性子的な法則があり

それに従わねば進化しない

のかも知れない

そうでないと存在の意味もないの

かも知れない


そうだとすると 人は永い間

有と無を論じる事に時間を

費やし過ぎたのではないか


道徳も 宗教も 哲学も 共にその

線上を歩んで来たのではないか

何が善で 何が悪かとか

真なるものをその線上で探し廻って

いたのではないか


そこで仏陀は中庸を説いた

しかしその中庸というものはどんな

ものだったのか

有と無 善と悪の中間という意味の

ものではなかったか


もし中庸を宇宙存在の骨子としたい

ならば

それは有でもない無でもない しかも

有であって 無である

無であって有であるといったような

中性子的なものならば

まともなものとなろう


1は 1であって 2になり得る

2は 2であって 1にも0にもなり得ると

いった働きをもっているもの

円とメビウスのように 距離のあるものと

ないものとの交わり

仲良く行こうというオチャメな

遊びそのもの

それが1であり 2であり

それが数学の骨子である


科学 哲学 宗教をよりよく

高貴にするもの

それが中性子である

いわゆる点である


点が踊ると線となり

線が踊ると平面となり

立体となる


その踊りなくしては

この宇宙は出来てこなかった

のである


2004.01.10.

| 2004年 | 22:17 | TOP↑

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光とは踊りである

光が斜めに走った

宇宙はそこから創造されたという

リグ・ヴェーダの言葉の謎が解けて来た

これは一大発見である


なぜ光が斜めに走ったら

創造が起きたのかが

今まで分らなかった


そのリグヴェーダの謎が分って来た

光とは「踊り」であるからである


2004.01.01.

| 2004年 | 22:10 | TOP↑

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無心の儀式が踊る

宇宙の奥はピュアーだ

ピュアーには 心の要素がない


ただ無心の運動がある

循環という遊戯的な

運動のみがある


人間は 宇宙を体現しようと思えば

心でなく

その無心の深淵に入らねば

ならない


それ故その無心を儀式化

してしまうことだ


人間という生き物は宇宙のピュアーから

出来てきている

それは無心をさらに展開した

ものである


宇宙の循環の遊戯を 更に

心の世界を超えて儀式化するのが

人間の役割である


無心が儀式となると 踊りが始まる

全身が手足をふって 踊り始める

舞だ 踊りだ

これが人間だ

神話とはこれだ


無心を儀式化したのが

人間そのものである

無心を儀式化すると 今までゆれていた体が

手足が動き出し それが

踊りとなる


儀式とは春の発芽のように

踊り出す儀式なのだ

春の芽生えとして現われたものが

生命なのだ


無心が踊りに変化したのが

人間であった 

命あるものたちであった


生命あるものも 生命のない物も

躍動するものとして現われた

月も 太陽も 星々も

踊る者たちである

原子ひとつでも 

踊っている


人間だけが踊りを忘れて

心の世界に囚われている


踊れ 踊れ 

踊りながら宇宙は進化して

ゆくのだ

宇宙の進化を祝して

時空と供に踊るのだ


2003.12.31.

| 2003年 | 15:40 | TOP↑

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形は命である

自分という人間を 右手にたとえ

宇宙を左手にたとえ

その右と左の二つの形が

踊る


右と左が手を打っておどる

人と宇宙を その立体から

ぬけ出させ

その形と形を踊らせよ


人からも 宇宙からもぬけ出せる

ただ形だけが残る


鳥の翼は はばたく

翼の上下運動は形であり

形の遊戯である


生命はその形から

形の遊戯から創られる

遊戯そのものも形だ


2001.11.20.

| 2001年 | 23:03 | TOP↑

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生かされている中に踊る自己を見よ

吸引力によって引かれて

人間は生かされている
 
一人の存在は 自らのエネルギーでなく

他から出力が来て

それを入力し それを出力している
 

いわゆる呼吸である 

そこに零がある

入力と出力の折り返し運動の分岐点に  

零があるのであり

個なる存在自体が

零を持つ事は出来ないことが

分かってきた


秘密は呼吸にある 

吸引力に引かれること

それが自己を 零に導くのだ


酸素は酸素を呼吸して生きている

というのもそれである

自らは自らを呼吸している

そこにある消えた構図が見えないか

消えた中で 踊る自分が見えないか


引かれ 消え 現われる

それによって「生かされて生きている」 

そこに零があり 無知がある


自己が出てくると 様々な探索が行なわれ

知恵とそれらはなる

かくて迷いの闇は深まってゆく


形だ

生かされて生きている形だ

折り返し運動だ

透明な角度だ それは

認識すべき大切なことは

それだけだ


2001.08.25.

| 2001年 | 13:34 | TOP↑

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細胞の持つ半導体構造

ななめ 半導体 ななめ 

単なる角度というものではない

それ自らが動きをもっているもの

即ち半導体的


それこそが運動をおこさせる力を

もっている

人間の生命も 細胞も その半導体を

もった斜めの角度によって

成り立っている


細胞の活力は この斜めの半導体の

力によって

よみがえってくるのである


人間は

半導体という動きをもった形(線)で

出来上っていると発見すると 

自身が動き出し

自分を自身が動かすようになる


自らを動かしている

構造の原理を知れ!


2001.08.19.

| 2001年 | 23:04 | TOP↑

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折り紙

折り紙は 平面が角度の舞で織られ

立体になる


そのようにして 宇宙も

全ての存在が ある一点から

立ち現われたかとおもえば

又 平面になり線になり 点になって

消えてゆく
 

全ての存在は 踊りながら 舞いながら

消えたり現われたりを 繰り返す


死も踊りであり 舞なのだ

生まれることも 踊りであり舞である

その遊戯性が 宇宙と人の

姿なのである


そしてその奥に 踊りと舞を可能にする

幾何学のあることを

人は忘れてはならない


2001.02.12.

| 2001年 | 23:31 | TOP↑

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神とは

人は神を何でもできるとか 

何でも知っているとか思っているが

そういうものが 神なのではない


この上なく純心 この上なく清浄 

これが最も大切なことである


これを決して忘れるな

神がやはり 最高のもの

尽きるところは 神しかない


純心 清浄でなかったら 

神を感じることができない


本当に生きることは 神を感じること

神と共に居ること それしかないのだ


2001.02.10.

| 2001年 | 23:16 | TOP↑

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