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2018年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年09月

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無知なる礼拝の幾何学

やくざでも形をもっている

立派だ 統一しそのものになりきっている


普通人はあれを考えたり これを考えたり

目的をもったり フラテンでフラフラしている

統一していない 分散 散漫になっている

自分を見失っている


まわりに 翻弄されないで人の眼や

人の言葉を気にしないで

シャンと一人立ちして ビクともしないものに

ならねばならない


自分を見失ったら 徒らに時を費やす

ばかりだ

人から離れ 宇宙を突き抜けて

唯一人で立て


商売人も求道者も同じ

儲けよう 良くなろうと目的をもって進んでいる

禅宗の坊さんも

坐禅して悟ろうという求めがあるなら

道は遠のく


無知は質問をもたない

ヴィコのいう太古の神学詩人は

無知であったがゆえに

詩人たりえた


目うつりしたり気を散らしたりしないで

きっぱりと断念して

本筋のみでおれ


自己の内をじっとのぞき見よ

無知なる自己の無限性

無知の深淵にじっとたたずむ


礼拝するたびに 地に頭を下げるたびに

汚れがとれる

礼拝は幾何学

幾何学の線が自分であり

線は消える


消えたあらわれ

それが自己の本性である


2001.09.18.
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| 2001年 | 22:17 | TOP↑

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モデルのような女性の歩き方に感銘を受ける

その女性は歩くことに統一しきっていた

一歩一歩 ゆっくりと堂々と歩を進めている

そこには知情意がない 


例えて言うならば

人間でなく 箸が歩いているようだった

その姿に皆ひきつけられ 何かの感銘を受ける


それにひきかえ 我々の歩いているのは

何かを考えながら 何かの目的をもって

目的に向ってヒョコヒョコ フラフラ ウロウロ

歩いている

考えが入ると汚れ 透明からずれてしまう


歩き方に統一してみよ

歩くことに その一歩一歩に統一する

その歩き方にも 一定の型があるのだ

型に身体を透明にする作用があるのだ


そうすると 歩くことがひとつの

宇宙となり得る

一定の形 型を決めること

そこに宇宙が出現する


宇宙のすべては 知識でなく型で出来ている

今までは意識とか 認識で考えていたが

意識でなく型となることだ


知識は分散させる

型は統一させる


すべて型である はじめに型があり

すべては その型によって

つくり出されてきた

人間も型 それなのに知恵であれこれ考え

て来た

それが人間の失敗であった


2001.10.08.

| 2001年 | 22:16 | TOP↑

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偉大なるアホ

ついに「アホ」が発見された

世の賢者や人々は 上へ上へ積み上げようとする

真理の探究 悟りなるもの 

上へ上へと求めは続く


逆に皆がそこを出よう出よう

それから抜けて 上へ上へ行こうと

している一番底のものが拾い上げられた

それが「アホ」であった


人々にとっては そこに

みるべきものは何もなく

少しでもそこから遠くへ昇ろうと

後にする対象に

真理があると見つけた

アホの真の偉大性を発見した


アホは一切を含んでいる

知は必ず分断の方向へいく


「自分は知識を持った悪人だ」

その認識が

アホの神秘ベールを開く


2001.09.10.

| 2001年 | 12:19 | TOP↑

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女性のもつはすかい構造

女性は子供を生む 

生み出すということはすばらしい


生み出せるというのは

はすかいの構造 

はすかいをもっているからである

元なる構造をもっているからである 

本質的な性質がそこにある


男は生むことの出来ないため

本質的でないもの 

いわゆる知性をみがき

意識が頭の方へいきやすい


生きているということは

はすかいがあるということだ

存在しているということは 

はすかいがあるということだ


存在していないということもまた

はすかいである


すべての人間は はすかいの元にある

男女の性差を越えて

そのはすかいのみをみよ


存在する しないの枠を越えて

そのはすかいのみをみよ

そこに宇宙を生み出す

深淵の姿をみよ


2001.09.16.

| 2001年 | 12:17 | TOP↑

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無知なる深淵

知恵より形が宇宙の元である

その形は無知の形 無知の深淵の形

宇宙をつくる形だ

宇宙のはじめに形があった

そこに角度の秘密がある


無知の深淵は 宇宙が生まれる以前のもの

そこでは意識は消され 

感情は消され

人間も宇宙も消えてしまう


あの狩野某の日本画の世界

無表情 ほほえみもないきりっとした

とぎすまされた世界 情感のない世界


ほほえみ 笑いは表面的なるもの 

もっと奥にいくとほほえみも

笑いもなくなる

無知の深淵にいったら何もなくなる


表現されたものは何もいらない

知恵は結合を破壊する

無知の形は すべてを結合させる

そこに透明な角度があり

連鎖の形がある


連鎖は知恵でなく

宇宙根源の意志の形である


2001.08.21.

| 2001年 | 12:16 | TOP↑

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生きている線と大地のエネルギー

線には生きた線と 死んだ線がある

今まで透明な線や ななめな線などと

言っていたが 

それはただの線という認識で

まだ不十分であった


その線が実は 半導体であり

穴のあいたものと 詰まったものとの

不断の運動によって出来ていることが

わかった


即ち その線が半導体であり 

生きたもの 自ら動くもの

活動しているものということを

とらえていなかった


知恵と形との関係において

知恵が消えて形の方へ行った――


その形は無知の形 無知の深淵

形に行くと 知恵からくる争いや 美感や 

怒りや いわゆる感情の世界が消え

ただただ おどり 舞い 形になる


そして 昔ほうきをもって 庭をはいていた時

半導体と思ったら ほうきをもって踊り出した

のはどうしてかがわかった


半導体という不断の動きしているもの

その形を思っていたから 

知らぬうちに「形」の方へ意識がいっていた

そのため知が消えて 形の世界へ入っていたのだと

わかった


すべては半導体の透明な線で

出来ている

線は生きているだけでなく動いている

活動している 

自ら動いているのである


以前までは 半導体には開きの作用が

あることまでは気付いていたが

自ら動いていることに 気付かなかった


生命も半導体によってつくられた

半導体は生命のへその緒

地面につっ立ち

半導体の生きたものを思うと

歌のような波動が 

地の底から足先に エネルギーがきてゆっくりと

全身に響いてくる


大地のエネルギーを受けて

体が躍動してくる


我々は空気を吸って生きていると思っているが

本当は大地のエネルギーを

吸って生きているのだ


今の人間は 大地から離れて

生命のへその緒を

切ってしまっているあわれな状態なのである


2001.08.20.

| 2001年 | 23:43 | TOP↑

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カバは宇宙を内蔵する

オチャメがないと救われない 

オチャメでないと救われない 


聖とか きよらかとか 善意とか 美とか

今までの精神文明の言ってきたことでは

だめなのだ


一方のある他方だから

そんな相対観念は いくらでもひっくり返る

人を分けへだて 行き違いの果てしない

混沌のやぶが延々と続いて行く


行き違いが 行き違いを生み

又それが さらにゆがんでいく

そんな複雑怪奇な世界など 

解きほぐそうと思うな

きっぱりと断ち切るしかない


悪に対して 善で対抗しようとか

聖をもって救おうとか 

相対の中でいくら思っても

争いと固いぶつかりと 憎しみや恨みや

疑いなど 感情の渦の中に入るだけだ


相対の土俵を降りる

すべての土俵自体から すっかり降りてしまうのだ

この世が自分の舞台であってはならない――


オチャメを見よ

オチャメは永遠の宇宙を 消えた宇宙を

舞台としているのだ

オチャメの前では 思考がふっとんでしまう


オチャメは宇宙に関係があって 関係がない

全ての中にオチャメがかくれている

なぜならすべては

オチャメから生れているから

オチャメが母胎であるから
 

オチャメのひとふれが宇宙を 世界を生み出した

オチャメははすかい オチャメは半導体

オチャメは透明な角度 幾何学

オチャメは白紙の舞 羽毛の舞

ゆれそのもの 傾きそのもの

元なる形


何にもひっかからないオチャメ

笑えるもの

笑いだけがある世界


カバは偉大だ

カバの中にオチャメが含まれている

カバは黙って体現している

古代エジプトは偉大だ

カバを拝んだエジプトは偉大だ

          
2001.08.18.

| 2001年 | 08:25 | TOP↑

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知恵と形

列車の線路のポイントを変えると

違う方向へ走るように

知恵と形と意識し 形を切り換える


すると知恵は消され 

今までいた世界からポンと離れ 

相対の渦がすべて うそのように

消えてしまう


相対 善し悪し 善悪の中にいたら

いつまでも同じ路線をくりかえす


それを切り換えると 相対は消えて

子供のような眼のイメージが

現われた


知恵を切って 形に入っているから

宇宙がその子供としての本性を

あらわにしたのである 


知恵も野心ももっていない純朴なこころ

悟ろうとか 良くなろうとか

人を救おうなどという大人の

作為をもっていない


無価値とアホ

その正体は 子供のような遊びの中に

あったのだ


2001.08.17.

| 2001年 | 20:37 | TOP↑

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価値とアホ

価値とアホ

この二つしかない


人は時間の中に生きているから

価値がつきまとう

価値の中にいるから 

いらいらしたりおこったりする


この中では絶対救いはない

悟りも救いにならない


人は欲望の時間 個々の時間に

生きている

だがその中にいる以上 絶対助からない


助かるためには 時間を切ることである 

世界から時間を引いてしまったら

全ての価値や人間的視点が

消えてしまうのだ


価値が消滅し

アホ 無時間 無意味 無知の深淵に入り 

手が上り 手が動き舞い 踊り

オチャメ踊りがでてくる


世間時間 透明な時間

悟りも 詩も 超感性も 美も……

皆とんでしまう


今までの哲学 すべてがいらなくなる

時間を切ってオチャメの舞になる


2001.08.12.

| 2001年 | 10:39 | TOP↑

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「やさしさ」と「遊戯性」とはちがう

「やさしさ」「親切」は 孔子の用語である

宇宙と人間の本性は 「やさしさ」ではない

「遊戯性」(オチャメ)である


そのオチャメを忘れている人間は

儀式という言葉を唱えて

引き出さねばならないのである


悟りも何もいらない 

本性さえ見つければよかったのである

それが啓示によって 知り得たのである

決して自分が見つけたものではない


連鎖の中には 合理と非合理が遊戯している

それが存在の真理である

もし真理という言語をもちいて

それを探すならば遊戯 即ちオチャメこそ

真理である

それが自己そのものである 


故に儀式なる言語を唱えて

それを その忘れ切っていたものを

誘発するのである

それだけが求道の結果

その金の細かい通しに 拾い上げられたものだ


永い歴史のあやまちをつくり

それに育て上げられて来た自己を

歴史的にカムバックしなければならなかった


それに50年の歳月がかかった

勝利は天の手助けからやって来たのである


2003.12.22.

| 2003年 | 21:59 | TOP↑

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